彼らのこと・回想 銀の追憶Ⅰ(2/2)

(承前)

 冗談だと思ったのに、ルネの"数式を教えてくれ"という言葉は本気のようだった。

 二人揃って非番の日は、誰も彼も午睡するような静かな昼下がりから、木々の間に張ったロープに垂らした紙と切り株とで、即席の青空教室を始めた。いつも見える青空は特殊プレートに投射された紛い物だったが、天候を気にする必要がないのはありがたかった。

 ルネはよい生徒だった。私の話をしっかり頷きながら聞き、分からないところがあると、こちらの話が切れた絶妙なタイミングで質問を投げかけた。それは彼女がきちんと理解していることを確認するための質問であり、それによってルネが私の解説を分かってくれているのが伝わってきた。誰かに何かを教える経験は私にとって初めてで、理解してもらうのがこれほど自らに喜悦をもたらすことだったのは想定外だった。


「錦は教えるのが上手いな」

「そうか?」

「ああ。教師にでもなったらどうだ」

「おだてても何も出ないぞ」


 私はそれをお世辞だと思って笑った。

 ルネが数学を教えてくれと言ったのは、部隊に馴染もうとしない私への、隊長としての彼女なりの気遣いだったのだろうと思う。そしてその思惑は見事に当たった。

 数学教室にはいつしか一人二人と生徒が増え、その時間を通して、私は隊員たちの輪に自然と溶け込んでいった。あの軽佻な赤髪の男、ヴェルナーも、語らうようになってみると意外と思慮は浅くなく、悪い奴ではないのかもしれないと思えるようになった。

 天を覆うプレートは外からの光を透過するため、島の内側でも自然な昼夜の移ろいがある。夕刻、教室に集っていた生徒どもを解散させ、朱に染まる景色の中、ルネと二人で長々と話し込んだ。

 自分は話し下手だと自覚していたのに、ルネとはいつまでも話題が尽きない。心の内のどこからか、彼女についてあらゆることを知りたい、彼女に自分を知ってほしい、という気持ちが際限なく湧いてきた。そんなことは未だかつて無かった。他人に対する興味が薄いとの自己認識を、ルネという存在はたやすくうち崩してしまった。

 冷えてきたため火をおこし、赤々と燃える炎を見つめながら、倒木の上でしばらく二人で話す。ルネの手には酒の小さいボトルがあった。ぽつりぽつりと会話を続けていると、だんだんとルネの口数が減ってきた。ちらりと見ると、瞼もとろんとしている。ふと気づいたときには、ルネは座ったままですうすうと寝息をたてて眠りに落ちていた。

 私は無遠慮に彼女の顔をまじまじと見つめた。寝顔を見るのは初めてだった。

 血気盛んな雰囲気は失せ、あどけなささえ浮かぶ、無防備な表情を晒している。焚き火の光によって、精悍なつくりの顔面かおおもての上に、長い睫毛の影が作り出されていた。その愛らしいともいえる繊細さに、思わずどきりとする。活動時と睡眠時とで人はこれほど印象が変わるのかと、感心してしばらく彼女の様子を眺めていた。

 不意に冷たい風に吹かれて、我に返る。こんなところで寝入っていては風邪を引いてもおかしくない。私はルネの肩口をとんとんと叩いた。


「おい、ルネ……風邪を引くぞ。起きてくれ」


 んー、と返事とも呻きともつかぬ声が漏れるが、ルネは目を覚まさない。失礼して、少しばかり強く肩を揺すってみる。――駄目だ。途方に暮れる。

 こうなったら自分が寝床まで運ぶしかあるまい、と決意する。彼女は華奢な体格だから持ち上げるには困らないだろう。問題は、どこを持つかだ。

 初めおぶろうかと思ったが、意識の無い人間相手には難しいとすぐに気づく。男相手ならこんなに悩む必要はなく、引きずってでも運ぶのだが。仕方なく、片手で背中を支え、一方の手で膝を持ち上げることにした。

 ルネに近づくと、ふわり、と花の香のような匂いが漂った。その香りの優しさに、心臓が大きく跳ねる。いくら勇ましく漢らしい振る舞いをしていようと、やはり男とは根本的に違うのだなと思う。

 ルネの肩に手を回し、膝裏に手を差し込んで、その華奢な体躯を持ち上げようとする。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 一秒未満、コンマ数秒のうちに、見える世界が反転していた。作り物の見事な星空が見える。後頭部がちくちくするのは、草の感覚だろう。そして、自分の腹の上に、ルネが馬乗りになっていた。

 凄絶な形相だった。眼には殺気がみなぎっている。両手で、得物の日本刀を私の首筋へと突き立てていた。大事には至っていないようだが、僅かにひりひりする。皮膚が切れているらしい。

 ――殺されるところだった。確かに、その実感があった。

 そんな状況下で、私の思考は、この人の瞳と髪はなんて美しいのだろう、と場違いな感想を演算し弾き出していた。

 その状態は長くは続かなかった。ルネがはっとして顔に動揺の色を浮かべ、焦ったように刀をどかす。刀は濡れたように艶やかに光っており、それが鞘に納まるのをぼんやりと見届けた。

 ルネは、すまん、とぼそりと呟いた後に立ち上がり、そのまま立ち尽くす。


「ルネ……?」


 地面に仰向けになったまま、私は縫いつけられたように動けなかった。襲われたことへのショックで、ではない。そこに突っ立ったままの彼女、その青く美しい瞳に宿った後悔と悲しみの念が、痛々しいほどに胸へ迫ってきたからだ。

 そのルネの姿は、荒野に取り残され、冷たい風に吹きさらされているように見えた。一人ぼっちで。まるで無力な少女であるみたいに。


「すまない……私は、もう部屋に戻る。君も、もう休むといい」

「ああ……」


 ふらふらとした足取りでテントに向かうルネの背中を、私は上体を起こした体勢のまま長らく見つめた。その、何かに深く傷ついた背中を。



 翌日、私とルネのあいだには表面上は特に何事もなかった。挨拶の言葉をかけると普通に返してくれたし、きびきびと隊員に命令する姿は凛々しく覇気があった。しかし、その顔がどことなく強ばって見えた。

 気にかけまいとするのに、どうしても気になってしまう。午前中の模擬戦闘では組んだ相手の足を引っ張り、危うく自分も大怪我をしかけた。頭の中に別の誰かがいて、シナプスをめちゃくちゃに絡ませてでもいるように、実体のないもやもやで思考が鈍っている。実戦ともなれば、人間を辞めた獣みたいに目の前の事態に過集中するほどなのに、自分が自分でなくなったようで落ち着かなかった。

 午後、見張りに呼ばれた私は、運悪くヴェルナーと組まされてしまった。この男、いつもはおちゃらけて飄々としているのだが、実は他人についての観察眼が異常に鋭い。一体いつ見ているのか不気味なくらいに。


「お前ら、昨日なんかあっただろ」


 持ち場に着くなり、ヴェルナーは簡潔に言った。気取った風もない、淡々とした口調だった。

 単刀直入に切り出され、数秒おかしな沈黙を作ってしまう。


「……何かとは、なんだ」

「だーかーら、それは俺が聞いてるんだろが。昨晩はルネと二人きりだったんだろ? ルネもああだけどこの部隊で一人きりの女性だし、男と女が二人きりになったら色んなことが起こっても不思議じゃないし、端から見ててもお前らなーんかぎくしゃくしてるし。俺ってこう見えても口は堅い方だから、何があったか包み隠さず言ってごらんよ。ほら。遠慮せずに、ほらほら」


 ヴェルナーは淀みなく私に迫ってくる。口はどう見ても弓形ゆみなりに歪んでおり、明らかに面白がっていた。そんな様子と、常日頃の言動からいっても、こいつの口の堅さを信用するわけがなかった。 


「何も無い」

「無いこたないだろォ、そんなに動揺しちゃってさぁ」

「動揺などしていない!」

「ええぇ、目が泳いでるよお、錦くん。あっ、俺分かっちゃった! 人に言えないようなことを二人でしてたから、だからそんな変な態度なんでしょ」

「勝手な憶測をべらべら喋るな! 昨日はただ――」


 そこまで衝動的に言い返してはっとする。ヴェルナーがにんまりと意地汚く笑う。この男に手玉に取られたのだと分かるが手遅れだった。


「へえ? ただ、なに?」

「……ッ」

「大丈夫大丈夫、ほんとに誰にも言わないから」


 悔しさに歯をぎりぎりと噛み締める。話すまでヴェルナーは解放してはくれないだろう。どうせあと数時間、ここでこいつと一緒にいなければいけない。その間中ねちねちとしつこく粘着されるよりは、潔く吐いてしまった方が楽か、と半ば自暴自棄な結論を出した。


「……貴様が思うようなことは何も無い。ただ――ただ、ルネに襲われそうになっただけだ」 


 ヴェルナーがひゅうと口笛を吹いた。


「おいおい、俺の期待以上だぜそりゃ。女性に襲われるなんて羨ましいぜ、ルネの好みはお前みたいな優男ってことかい。で、それを断っちゃったわけ?」


 にやつく男を前にして眉間に手をやる。どうやら言葉を曲解しているらしい。襲われた、その言葉以上の意味はないのに。


「そういうことじゃないんだ。……殺されそうになった」

「殺されるゥ?」


 今度こそヴェルナーは頓狂な声を上げた。次は彼が眉間に皺を寄せる番だ。

 どういうことだよそれ、と訝しむ眼前の男に、昨夜あったことを手短に説明する。

 先ほどまでの浮薄な雰囲気は鳴りを潜め、赤い眼光も鋭く、ヴェルナーは腕を組んで思案しはじめた。


「ま、大事に至らなかっただけ良かったがよ。本当にお前、それ以外のことはしてねえのか」

「無論、そうだ。寝込みを狙うような不埒な真似などしない。貴様と違ってな」

「お前も言うようになったねぇ。そういや、今の話と関連するか分からんが、気にかかってたことがあったな」

「何だ」

「大したことじゃないんだが……ルネはいつも、革手袋をしてるだろ。あれ、外したところを誰も見たことがないんだよ。俺が思うに、極力肌を露出しないようにしてるんじゃねえかと」

「だから?」

「お前、鈍いねェ。つまり、ルネは他人に触れないようにしてるってこと。他人に触られたら、昨日のお前みたいに斬りかかっちまうってことだよ」

「……なぜ」

「それは分からんよ。昔何かあったんじゃない? お前が自分で聞いてみれば」


 言い出した張本人のくせに、ヴェルナーはとっとと話題を投げ出して、草原の上にごろりと横になった。このタイミングで昼寝でも始めるつもりらしい。どこまでも気ままな男だ。絶対に耳を貸さないのは火を見るよりも明らかだったので、協調性を身に付けろなどと言うつもりはなかったが。

 それよりも、私はルネのあの時の姿を脳裏に呼び起こしていた。殺気の塊のような表情。すぐそのあとに見せた、不安げで寂しそうな表情。手負いの小動物にも似た彼女の様子からは、寒々しい孤独を強く感じた。

 あの反応がルネの過去の経験から来るものだとしたら、深入りするのは憚られる。私のような人の心の機微に疎い人間が、踏み込んでいい領域とは思えなかった。それに、ルネは頼りがいのある第一部隊の部隊長であらんとするが故に、弱みともとれる部分は公に晒さないのではないか、とも思えた。

 そこまで考えたのに、どうにかして彼女に心を開いてもらう方法はないものか、と無意識に思慮を巡らせている自分に驚いた。

 手袋越しだったけれども、彼女は私の頭を撫でてくれた。だから、だから、もしかしたら――。

 ふるふると頭を振り、思考を強制的にシャットダウンさせる。ルネと知り合ってからの自分は、やはりどこかがいかれてきている。



 ルネと二人きりで面会する機会はその日、相手からもたらされた。簡素なレーションでの夕食が済んでから、話がある、と一人隊長室に呼ばれたのだ。配属初日以来、そこに足を踏み入れるのは二回目だった。今度はヴェルナーも付きまとっていない。正真正銘、ルネとのマンツーマンだ。

 マットの上、丸腰のルネと対面して座る。いつになく硬い面持ちがそこにはあった。


「改まって、どうしたんだ」

「昨日のこと、きちんと君に謝っていなかったと思ってな。隊長としてしてはいけないことをしてしまった。申し訳ない」


 ルネが深々と頭を下げる。輝かしい髪の先が、床面に着いてしまうのも厭わずに。

 痛々しい思いを抱く。彼女にそんなことをしてほしくなかった。いつだって胸を張り、表情には余裕と確かな自信がみなぎり、この人に着いていけば大丈夫、そう思わせる振る舞いがルネには似合っていた。私の心には別に、昨夜のことでマイナスの感情が生まれたりはしていなかった。


「ルネ。顔を上げてくれ。君が謝る必要はない」

「そういうわけにはいかない、私は危うく君を――」


 面を下に向けたまま、言い募ろうとするルネ。その薄い肩を、私はぐいと持ち上げていた。また組み伏せられるだろうかとか、そんなことは頭になかった。ほとんど無我夢中で、至近距離から、彼女の凛々しい顔を見つめる。

 ルネは口を半開きにして、唖然としたようにこちらを見返していた。嫌がる様子はなかった。


「私は君のことを、怖いだとか隊長として不適切だとか、そんなことは一切思っていない。それどころか、私はあの時君を――綺麗だと思ったんだ」


 一気にそこまで言って、反応を見る。

 ルネは数秒、毒気を抜かれたようにぽかんとしていたが、私に両肩を掴まれたままの格好で、体を震わせて笑いはじめた。

 次は私が呆気に取られる番だった。よく笑う人だ、と脳のどこかが他人事のように考えていた。ルネは一頻ひとしきり大笑いしたあと、うっすら目に涙を溜めて、手を口元で押さえながら、私の方に視線を移す。


「おいおい、この状況で口説くか、普通」

「なっ! 私はくく、口説いてなど……っ」


 思いもよらぬ言葉に、かあっと頬が熱くなる。体を仰け反らせて、あたふたと体の前で手を振った。

 そんなつもりで出た言葉ではない。ただあの時感じたことを、率直に言ったまでなのに。

 ルネの可笑しさ満点の笑みは、やがてすべてを包み込むような、慈愛に溢れた笑顔へと変わる。

 そんな彼女の表情に、意図せず心臓が早鐘を打つ。


「ふふ……何にせよ、君のおかげで気持ちが晴れたよ。ありがとう」

「私は……特に何もしていないが……」

「天然タラシか。タチが悪い男だ」


 そんな想定外の評が、不敵なほほえみと共に私に下される。

 ルネの雰囲気は、いつのまにかいつもの通りに戻っていた。私もほっとして、小さく吐息を漏らす。弱気な彼女を見るのは辛かった。私は、悪戯っぽく笑っている彼女の方が、ずっと――。

 ずっと、何だ?

 その先に続けようとした単語を、私は蓋をして無理やり押し込めた。


「錦」


 急に真面目な調子で呼び止められてびくりとなる。もしや、私が今抱きそうになった、適切でない想いに気づいたとでも言うのか。

 そろそろと見やると、ルネは気後れするほどまっすぐな瞳で、私のことを見つめていた。

 その口が意を決した風に動きだす。


「今決めた。君にだけ、伝えておこうかと思う。――私の、過去について」


 無意識のうちに、ごくりと唾を飲んでいた。



 ルネは瞼を伏せ、水滴がぽつりぽつりと落ちるように、静かに語りはじめた。あくまで、淡々と。


「こんな生活をしておいて、信憑性がないかもしれないが、私はな……男が怖いんだ」

「怖い?」

「ああ。まだ"罪"との戦闘が常態化する前の話だ。向こう方のとある麻薬製造拠点を、私を含む四人のエージェントで制圧する作戦が立てられた。それが私の初めての実戦だった。そこでトチってな、私は敵の手に落ちた」

「……」

「情報課が立てた作戦計画が、私が女であることを考慮すると、かなり無理がある内容だったというのもある。しかしまあ、それは言い訳になってしまうだけだがな。……私を捕らえた"罪"の連中は、三、四人はいたかな。みんな薬でキまっていてね、けだもののように本能丸出しになっていたその野郎どもに、順番に手籠めにされたんだ」

「……!」

「連中は薬で痛覚が麻痺してたのか、私が暴れて殴ったり蹴ったりして抵抗しても、ぜんぜん意に介さなかった。気を失ってしまったら楽なのにと、早く終わってくれと、それだけを考えていたよ。そのまま影に見殺しにされても仕方ないと思ったけれど、仲間は助けに来てくれた。――全部が終わってからだったけどね。私はもう心も体もぼろぼろになってた。自分の体液と連中の体液で、体の表面も中もぐちゃぐちゃのべたべたに汚れていた。人生であんなに惨めだったことはない。もう、昔の話だが」


 そこで一度言葉を切るルネに、私は何も声をかけられない。

 語り口は穏やかだったが、組んだ彼女の手の甲には節が白くなるほどに浮き出ており、精神的な苦痛に耐えているのが嫌でも分かった。


「私は自分の性を呪った。なぜ男に産まれなかったのかと思い悩んだ時期もあった。けれど、自分ではどうしようもないことについて、思案する時間など自分にはないと思い直した。私は強くなろうと決心した。男より、もっと。二度と仲間の足を引っ張らないように。自分の身を自分で守れるように。口調も変えて、短かった髪も伸ばしてみたりして、そして変わろうと思った私が行き着いたのが今の自分さ」

「……そんなことが……」

「男と言葉を交わすのは問題ないが、深層的にはまだ恐怖心があるし、触られるとどうにもね……反射的に反撃してしまうんだ。昨日の君への狼藉もそのせいというわけだ」


 これで私の話は終わり、とルネは締めくくる。

 彼女が背負っているものに打ちのめされて、私は口の利き方を忘れてしまった。慰めの言葉ひとつ浮かばない。ルネの過去。その凄惨な出来事を乗り越えるため、どんなに苦労しただろう。どんなに努力しただろう。

 想像を絶する道を歩んできた彼女に、力に訴えることだけが取り柄の私が、かけるべき言葉など持ち得るはずがなかった。私は恥じ入って俯いた。

 

「すまない、悪いことを聞いた。何と言えばいいのか分からない」

「いや、言い出したのは私の方だから。私こそ、君を良くない気分にさせてしまったかもしれないな……。でも今、なんとなくすっきりした気分なんだ。この話を他人に伝えたのは初めてだ」

「そうなのか……。それが私で良かったのか……」

「もちろん、君で良かったよ。……君と話していると、不思議と心が落ち着く。他の人にはない、安らぎを感じるんだ。なんとなく、私はずっと前から、君を知っているような気がしている」


 私は驚いて、目を見張った。ルネのその印象が、私が内心に抱えていた気持ちと、まったく同じものに他ならなかったからだ。

 ルネの隣にいることに、パズルのピースがきっちり嵌まるのにも似た、自然さと必然性を感じる。まるで、こうなるのが初めから定まっていたかのように。そうするのが自然の摂理であるかのように。

 私たちは見つめ合う。ルネの瞳、通った鼻梁、薄い唇、細い顎、輪郭を縁取る銀の髪。私はその時悟った。この目の前にいる人に、とっくに惹かれていたのだということを。


「なあ、錦」


 不意に、ルネがゆっくりと呼びかける。


「何だ?」

「君さえよかったら、練習相手を引き受けてくれないかな。男性恐怖症を克服するための。どうにか、苦手に打ち勝ちたいと思っていたんだ」


 その顔は真剣そのものだった。

 その申し出に是と回答するのに、しばし逡巡する理由はひとつ。


「それは、私でいいのか?」

「君がいいんだ」


 ルネが大きく頷く。それに私も頷き返した。ルネのためになることなら、当然何でもやりたいという心境だった。

 ルネは滑らかな動作で自分のすぐ前に跪くと、流麗な仕種で、私の片手を掬い取る。その様子はまるで、麗しい中世の騎士だった。


「では、これからよろしく頼むよ、錦」


 ルネはそこで、完璧な笑みを浮かべてみせる。

 頬の熱さを感じつつ、疑問を投げかけずにはいられなかった。


「……なあ、これ、逆じゃないのか?」

「まあ、どっちでもいいだろう」


 彼女がそう笑い飛ばすので、私もつられて笑った。

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