僕らのこと 君との距離

─茅ヶ崎龍介の話



 時が流れれば季節は移ろう。花は散り、緑は色づき、樹から離れる。

 人もやがて変わる。一人一人も、その関係も。



 放課後。

 高校に入学し、軽い緊張とともに初めての中間テストを受け、その結果に一喜一憂したのも過日のこと。新入生も毎日の生活に慣れ、ある者は部活に精を出し、ある者はバンド活動に熱中し始め、ある者は上級生の異性に熱を上げだす。そんな時期だった。

 俺はといえば、部活にも入っていない。バンドを組んだわけもない。ましてや好きな先輩などいない。授業が終わると図書室に直行し、数学関連の書籍を探し、閉館時間まで数学の問題に一人取り組むという生活を送っていた。我ながら地味な日々だ。

 図書室というと、小中のイメージからあまり良い印象を持っていなかったが、この高校の図書室を見て認識を改めた。図書室の中は明るく広々として清潔感があり、漫画コーナーや新刊コーナーがあってタイトル数も充実している。何より居心地がいい。試験前には人で溢れかえるが、今は座席に困ることもない。

 俺が図書室に籠っている頃、幼なじみの二人は当たり前のように部活に励んでいる。未咲は中学から続けている陸上部で、ひかるは写真部と新聞部を兼部しているらしい。取材をしに行くのか、カメラを手にした輝が教室を出ていくのを時々見かける。

 ゴールデンウィーク頃までは三人そろって帰ることもあったのに、最近ではめっきり少なくなった。一人で電車に乗っていると、降車駅までの時間がやたら長く感じられる。

 今日も図書室に行こうかと考えながら、必要な教科書やノートを鞄に詰めていると、筆記具やカメラを携えた輝が通りかかった。その横顔に声をかける。


「よう輝。取材かなんかか?」


 輝が振り向いて、人好きのする笑みを浮かべる。


「うん。これからインタビューしに行くんだ」

「部活、そんなに忙しいのか? 文化部の活動って週一とかじゃねーの?」

「僕の場合、兼部してるからね。それに、全体の活動の他に個人でも色々仕事があるから」

「ふうん……」


 中学も幽霊部員だった俺には、部活での個人の仕事がどんなものかぴんとこない。


「龍介も何か部活やればいいのに。この高校、なかなか面白い部活たくさんあるみたいだよ。冒険部とか三味線部とか」

「例に挙げるのなんかおかしくね?」

「あはは、いや、それは冗談だけど。でも部活に入って、他のクラスの同級生とか上級生と知り合いになるのは悪いことじゃないんじゃない?」

「興味もない部活に入ってわけ分からん奴らとわけ分からんことをするくらいなら、一人で黙々と数学に向き合ってた方が数十倍ましだ」


 憤然と答えると、輝はちょっと悲しそうな顔をした。


「ああ、そういえば」


 と、気を取り直したように言う。

 その次の言葉が爆弾だった。


「未咲に好きな人ができたみたいだけど、龍介は知ってる?」

「──え」


 なんだそりゃ。知らない。

 二の句が継げなかった。

 そういえば最近、未咲が妙に浮かれていたように思う。あれはそのせいだったのだろうか。少なからず動揺している自分に気付いて、俺は自身に腹が立った。


「知らねえ。確かなのか?」

「おそらくね。相手は多分……」

「待って、相手も分かってんのか?」


 どうして輝がそんなに詳しいのだ。軽く冷や汗をかいてきた。


「うん。多分、この高校の今の生徒会長だよ。名前は九条悟くじょうさとる

「生徒会長? なんでそんなのと未咲が……どういう接点だよ」

「未咲は学級長だからね。生徒会で当然顔は合わせるだろうね」


 輝が苦笑とともに答える。

 そういえばそうだった。未咲が生徒会員だということをすっかり忘れていた。

 しかし、生徒会長が相手とは──恐れ入る。


「そうそう、これからその生徒会長にインタビューしに行くところなんだけど、よかったら龍介も来る?」


 なんだと。

 思わず頷きかけて、慌てて首を横に振る。


「──いや、部外者が着いてったらおかしいだろ……」

「じゃあ、龍介に書記役をお願いしようかな。役割があれば大丈夫でしょ」


 にっこりと底の知れない笑顔を作って、輝がテープレコーダーと筆記具を俺に差し出した。



 インタビューの場は、人のいない特別教室だった。俺が輝の後から教室に入ると、一人の生徒が椅子からさっと立ち上がってこちらを見た。

 うわ、と声が漏れそうになる。生徒会長というとガチガチの真面目な生徒を想像していたが、九条はそういうタイプではなかった。制服は規定どおりきっちりと着ているものの、口元には柔らかな笑みが浮かび、しなやかな身のこなしは運動神経のよさを感じさせた。好青年を絵に描いたような人間だ。そして背が高い。百八十cm近くあるだろう。

 輝が九条に向かって頭を下げる。


「お待たせしてすみません、九条先輩」

「大丈夫だよ。今日はよろしく」


 快活な声で言い、五月の快晴の空のように爽やかな笑みを浮かべる。うっと息が詰まった。自分とは絶対に相容れない類いの人間だ。

 九条が俺の方を見て、少し不思議そうな表情をする。


「あれ? 一人だと聞いていたけど……」

「あ、こちらは僕の友人の茅ヶ崎龍介くんです。書記役をお願いしました」 


 俺は無言で会釈した。


「あ、なるほど。君もよろしくね。二人とも一年生かな?」

「はい」

「高校にはもう慣れた?」


 そうですね、と輝が答える。

 どうやら九条は人と話すのが好きなたちのようだ。初対面の相手と笑顔で言葉を交わすなど、自分には到底できない芸当だ。

 九条は嬉しそうな様子でうんうんと頷いている。


「それは良かった。二人は何の部活に入ってるの?」

「僕は新聞部と写真部に」

「……俺は、何も」


 そう言うが早いか、九条は俺に笑顔を向けた。白い歯が眩しい。


「そうなんだ、じゃあバスケ部入らない? 俺バスケ部員なんだけど、もう何人か新入生入ってほしくて……って、俺が話してたら意味ないよな。ごめんね」


 ばつが悪そうな顔もまた爽やかである。輝はにこにこしたまま、いえ、大丈夫ですよ、などと言葉をかけ、九条に腰を下ろすよう促す。

 二人ともよくそんな愛想よく会話ができるな、と俺は傍観者のように考えていた。


「それじゃあ、本題に移ろうか。文化祭のことについて聞きたいということだったよね」

「はい。早速ですが、今年の文化祭のテーマについて何かお考えは──」


 俺は無言のまま、テープレコーダーのスイッチを入れた。



「──それでは、ありがとうございました」

「こちらこそ。いい記事になるのを祈ってるよ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、編集頑張ってね。それから茅ヶ崎くん、バスケ部の話、よかったら考えておいて」


 インタビュー後、朗らかに言って、九条は俺に握手を求めた。バスケ部になど入るつもりは毛頭無かったが、先輩の求めなので無下にするわけにもいかず、はあ、と気の無い返事をしつつその手を取った。

 じゃあ、と軽く残して、九条は颯爽と踵を返す。その姿が遠くなってから、


「さすが生徒会長九条悟、去り際まで爽やかだね」


 輝の口調はしみじみとしていた。


「……なんか、むかつくくらいイケメンだな」

「あれ、顔知らなかった? 僕らの入学式でも挨拶してたじゃない」

「寝てた」

「ああ……そっか」

「ああいう奴はな、腹の底では黒いこと考えてんだぜ。絶対ぇそうに決まってるって」


 輝がこらえきれないといった風に吹き出す。


「……何が面白いんだよ」

「龍介、僻みすぎ」

「別に僻んでねーよ。あれで裏が無かったらそれこそ聖人君子みたいじゃねえか。ありえねえだろそんな奴」

「まあまあ、邪推は止そうよ。それより、未咲の相手としてはどう思った?」


 輝がこちらの目をまともに見た。その瞳が好奇心の光を宿している。


「……未咲には釣り合わない」


 正直な感想だった。輝があははとさも可笑しそうに笑い声をあげる。


「……んだよ。だってそうだろうが」

「いや、僕も全く同じ感想だったから」


 笑顔でしれっとひどいことを言う奴だ。


「未咲には龍介くらいがぴったりだと思うけどねー」

「なんで俺なんだよ。つうか、くらいって何だよくらいって」

「あはは」


 誤魔化すなよ。

 抗議の声を上げようとしたところで、不意にでもさ、と輝が呟き、真面目な表情でこちらを見る。


「このまま、未咲と生徒会長が付き合うことになるかもしれないよ。それでも、龍介はいいの?」

「……いいも何も、なんで俺が関係あるんだよ。未咲が誰と付き合おうが、それは未咲の勝手だろ」

「そうかなあ、後悔するんじゃない? 絶対後悔すると思うけどなあ」

「後悔なんてしねーよ」


 輝はどうも昔から俺と未咲をくっつけたがっているようだが、自分にとって未咲は幼なじみであり、それ以上でもそれ未満でもない。はずだ。未咲もおそらく同じだろう。

 俺たちは鞄を取りに一旦教室まで戻り、昇降口に向かった。階段から一階廊下に降りるところで、女子生徒と鉢合わせになる。未咲だった。

 未咲がぱっと顔を輝かせる。


「あれっ、輝じゃん! ……と、龍介。こんな時間までどうしたの?」

「さっきまで生徒会長にインタビューしてたんだ。龍介にも手伝ってもらって」


 生徒会長、という単語が輝の口から出たとたん、未咲の目の色が変わった。喜色満面というのはこういう顔をいうのだろう。

 心がなぜかちくりと痛む。


「うそー! 龍介の代わりにわたしが行きたかったー! 今まで部活だったけど! ……ってあれ? なんか龍介元気なくない?」

「うん、現在進行形で失恋中」

「え!」


 未咲が目を丸くする。


「ちげーよ馬鹿、なに言ってんだ」

「ねえちょっと、龍介好きな人いるのー? だれだれ? 同じクラスの子?」

「うるせーな、違うって言ってんだろ!」


 自分でも驚くくらい、大きな声が出た。

 未咲がぎゅっと口をつぐみ、身を引くようにして龍介を見る。


「な……なによ、別にそんな怒鳴らなくてもいいでしょ。龍介ってほんと意味分かんない。行こ輝」


 未咲が背を向けてさっさと歩き出した。輝は肩をすくめて俺を見る。やっちゃったね、と言いたげな顔だ。

 そんな顔されなくても分かる。今のは良くなかった。自己嫌悪に陥りつつ前を行く二人をとぼとぼ追いかけるが、一緒に帰っていいものか、未咲の様子からは判断しかねた。

 その時、右手の職員室の扉が開いて、男性教師が出てくる。反射的に顔を見ると、担任の桐原先生だった。今日はよく人と出くわす日だ。

 目礼して通りすぎようとしたが、ちょうどよかった、茅ヶ崎、と声をかけられて先生に向き直る。


「この前配布した進路調査票のことなんだがな。提出期限が明日になっている。実を言うと私のクラスで提出していないのは君だけなんだ」

「……ああ」


 今思い出した、わけではない。調査票はずっと、制服のポケットにしまわれている。

 この高校は進学校ゆえ、文理選択の時期が早い。一年生のこの時期に、そんな重要な選択を迫られるとは思ってもいなかった。

 それに加え調査票には、私大、国公立大、専門学校のいずれかに丸をつけるところがあり、学校名を書く欄が設けてある。俺は進路についてまだ何も考えておらず、そこに手をつけられる気がしなかった。渡されたその日に理系に丸をつけたものの、提出できずにいたのはそのせいだ。


「すいません、理系に進もうとは思ってるんですけど、志望校とか全然考えてなくて……」


 先生がふっと表情を弛める。


「それで大丈夫だ。今回は文理どちらなのかだけで構わない。それも決定ではないしな。来年のクラス編成に関わるから、ある程度の傾向を知りたいだけだ」

「──そうなんですか」

「この時期に全員の志望校なり進路なりが決まっているとは教師も思っていないよ。それらについてはまた機会があるとき話そう」


 こくりと頷く。少し胸のつっかえが取れたように思えた。進路調査票のことで、実をいうと少し悶々としていたのだ。

 心に幾ばくかの余裕を取り戻した俺は、はたと気づく。そういえば、桐原先生と九条の背格好は似ている。先生の方がわずかに身長も高く、肩幅もあるが。

 バスケ部に入らない? と問う九条の声が耳に甦る。

 スポーツをやっていると、背が伸びるのだろうか。


「あの」

「ん?」

「先生は、何かスポーツやってましたか」


 先生は怪訝な顔をした。


「どうした、唐突に」

「いや、ちょっと、気になって」

「そうだな……」


 少々の間を置いて、


「スポーツというか……武道のようなものを、昔な」


 先生が答えた。


* * * *


 廊下で話す龍介と桐原先生を、曲がり角から未咲と僕はこっそり見ていた。


「担任と話すときの龍介ってなーんかいつもと違うよねー。素直っていうかさ」


 未咲は心底面白くなさそうな顔だ。


「桐原先生って他の先生とちょっと雰囲気違うよね」

「そう! あんな性格悪い奴見たことないし!」

「そういうのじゃなくて、どことなく浮世離れしてるっていうか……本心が掴めない感じ。眼鏡だってたぶん伊達ダテだし」


 未咲が驚きの表情を浮かべて僕を振り返る。


「え、分かるの?」

「うん、顔を斜めから見たとき輪郭が歪んでないでしょ? 度が入ってるなら歪むはず……あ、先生は昔武道をやってたらしいよ」

「え、分かるの?」


 僕たちがいるところからは、二人の会話はほとんど聞き取れない。未咲が驚くのも無理はない。


「うん。読唇術が使えれば簡単」

「えっ輝、心が読めるの!?」

「心じゃなくて、唇の方の読唇術ね」

「なーんだそっかー」


 すんなり納得した未咲に対し、疑問を持つことを知らないんだなあ、と僕は苦笑を漏らした。


* * * *


 結局、輝と未咲と同じ電車に乗り込んだものの、ずっと上の空の状態だった。二人の会話も全然覚えていない。気づいたら自宅の玄関の前にいたような有り様だ。

 家に入ると、母の涼子が鼻歌を歌いながらキッチンに立っていた。帰宅した俺を認めて、おかえり龍ちゃん、と歌うように言う。


「……ただいま」


 涼子は憂うべきことなどこの世にない、といった泰然自若の体で夕食作りにいそしんでいた。その横を通りすぎて二階の自分の部屋へ向かう。

 ドアを閉めるか閉めないかのうちに、適当に鞄を投げ出した。ベッドに倒れこむように横になり、ふーっと息を吐き出す。

 ──疲れたな。   

 胸の内側がもやもやする。これを何と呼ぶのか俺は知らない。分からない。誰か、教えてほしい。

 目を閉じると、二人の幼なじみの顔が浮かんでくる。輝の口が蠢いて、"後悔するんじゃない?"と言葉を発した。


「後悔なんて、しねえよ……」


 幼なじみという事実を抜きにしたら、自分は未咲をどう思っているのか。改めて考えると分からない。

 本当に分からないのだ。自分自身のことなのに。情けなくて泣きたくなる。

 目を開ける。二人の顔を遮るように、ポケットから進路調査票を取り出して翳す。理系に丸がついている。私大、国公立大、専門学校、学校名(   )。それらは渡された時のままの状態だ。

 自分は理系に進むつもりだが、未咲と輝はたぶん文系だろう。これまでずっと同じクラスだったが、来年からは確実に別々になる。ずっと三人一緒ではいられないのだ。

 それに、ずっと同じ関係でもいられない。いつか、必ず離ればなれになる日が来る。


「あー……くそっ」


 調査票を放り出し、頭を抱えてベッドの上で丸くなった。

 将来のことなんて考えたくない。

 自分は何がしたいのだろうか。分からない。

 自分に何ができるのだろうか。それも分からない。

 分からない。分からない。分からない。

 自分には何が分かるというのだろう?

 鬱々と考え込みそうになって、無意識に舌打ちをする。


「今の自分のことも分かんねえのに、未来の自分のことなんて分かるかよ……」


 俺は人知れず呻いた。



 昨日と同じような一日が終わって、生徒が待ち望んだ放課後が来る。部活に急ぐ者、下校する者、皆その顔は明るい。

 どうしてみんな、そんな平気な顔をして毎日を過ごせるのだろうか。悩みなど持っていないのだろうか。

 ぼんやりした頭をやり過ごしつつ、鞄に必要なものを移す。昨晩はよく眠れなかった。授業中はいつも以上に眠ってしまった。悪夢を見たような気もする。

 俺のその日がいつもと違う日になったのは、未咲が話しかけてきたからだった。


「龍介」

「あ?」

「あ? って、あんたね……その返事感じ悪いから止めなさいよ」

「うるせーな。お前は俺の母親かっつーの」

「あのね、いちいち突っかかってくるの止めてくれる? まあそれはどうでもよくって、ちょっと付き合ってほしいんだけど」


 俺は少しまごついた。昨日あんな話をしたせいだ。


「……何びっくりしてるわけ? ちょっと買い物付き合ってほしいって言ってんの」

「……ああ」


 買い物か。ほんのちょっとでもどきりとしてしまった自分を蹴り飛ばしたい。

 未咲が俺を連れて向かったのは、高校から程近いところにある雑貨屋だった。ガラス用品や文房具やアクセサリー、プレゼントに使えそうなものから変わり種の置物まで、しゃれたものなら大体揃う。ちなみに自分はここで買い物をしたことなどない。


「何買うか知らねーけど、なんで俺連れてきたんだよ」

「男の人がどんなもの貰ったら喜ぶか、教えてほしいのよ」


 そう言う未咲の頬は、ほんのりと朱に染まっていた。

 ははあ、と思う。


「生徒会長にプレゼントでもあげんのか」

「ちょっ、余計な詮索は止めてよね!」


 未咲の頬が今度は怒りで朱に染まる。

 めんどくせえ奴だな、と俺は嘆息する。



「あ! 見て龍介、これ可愛くない? これも可愛いし、これすごい綺麗! あーあそこにあるのも可愛いなー」


 店内をうろうろしながら品物を見繕ううち、未咲は自分の世界に入り込んでしまったようだ。プレゼント選びそっちのけである。何しにきたんだよ、と呆れる他ない。

 それにしても──と思いながら、未咲が先ほど可愛いと言っていたカエルの置物を手に取る。そのカエルはなぜか燕尾服を来ていて、パイプをふかしている。俺には妙ちくりんで変なカエルだとしか思われない。未咲の趣味は割と変わっているようだ。

 品物を見て回る嬉しそうな未咲の横顔を眺めているうち、なんとなく胸の内が温かくなってきた。こそばゆいような、不思議な感情が湧いてくる。これはなんだろう。


「……何か買ってやろうか」


 無意識に、そう口にしていた。

 未咲が怪しむような顔をする。


「は? なんであんたが、わたしに物を買うのよ」

わりィのかよ」

「……ま、あんたがどうしてもって言うなら、貰ってあげてもいいけど?」 


 口を尖らせてぷいと顔を逸らしながら言う。不機嫌なのか、照れ隠しなのか、はっきりしない。

 本当にめんどくさい。



 未咲が購入したのは、ふたを開けるとペン立ての形状になるペンケースだった。学校でも使えるようなものが良いだろう、との思いで俺が選んだのだった。

 俺はもう帰ろうと思っていたが、未咲はこれから部活に行くそうだ。ご苦労なことである。雑貨屋と駅は反対方向なので、必然的に途中まで未咲と一緒に歩くことになった。

 二人並んで歩くのはかなり久しぶりな気がする。未咲は今にスキップでも始めそうな軽い足取りだ。

 俺は何気なく未咲のつむじを見下ろした。昔のことを思い出す。幼い頃は未咲の方が背が高かったのに、いつしか自分の背が未咲を追い越し、今やかなり身長差がついている。身長とともに、二人の関係にも距離が開いてきたと思う。小さい時はそれなりに仲が良かったはずなのに、今では喧嘩腰でしか会話をすることができない。いつからこうなってしまったんだったか。


「何感傷に浸ってんの」


 校門へ続く小道の前に差しかかると、未咲がこちらを振り返った。別に、と言葉を濁したまま、しばし未咲と向かい合った。


「未咲」

「なに」


 言いたいことはたくさんある気がしたが、言葉は何も浮かんでこなかった。


「……上手くいくといいな」

「余計なお世話」


 吐き捨てて、未咲は足早に校門へと向かっていった。

 また距離が遠退いて、手の届かない場所へ行ってしまうのだろう。俺はしばらく、釘付けになったように、その場を動くことができなかった。

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