「わたしの憧れは、一度叶ったんじゃないかなって」

「どうして追ってきたんですか。わたし、独りで帰れるって、そう言いましたよね?」


井内いのうちさん。落ち着いて、その手に持っている物をゆっくりと、ゆっくりとこちらに渡してほしい」


「ああ、このガスバーナーです? 嫌ですよ。こうやって見られちゃったら、もう後には引けないじゃないですか」


「そんなことはない。まだ引き返せる、まだ無かったことにできる」


「あなたは、わたしたちと違って、炎に囚われた情景の住人ではありませんよね。そして、わたしは他人を巻きこむつもりはありませんから。こうやってゴミ山にバラまいたガソリンの始末も、ぜんぶ独りで済ませますから」


「いや、そういうわけにはいかない。友達だからな」


「友達って、あは、まだ出会って昨日の今日なのに、そんな本気にして、おっかし、わたしの何が分かるって言うんですか」


「井内さんが炎に憧れているのは知ってる。だけど、これじゃあただの……自殺だ」


「わたし、炎とか視たことないから、その恐さとかよく分かんないですけど、憧れに灼かれて死んじゃうなら、それはもう仕方のない人生だって、そう思いません?」


「なんで今日なんだ……! ずっと囚われてきて、それでもうまく折り合い付けて普通に生活しようと努力してきたんだろう。奈良原ならはらも、井内さんも。それなのにどうして今日になって」


「魔が、差したんですよ」


「そんな理由で」


「でも、その魔はずっと、わたしの中に巣くっていて、なんとか飼いならしてきたけど、もう抑えきれなくて。

 だから、思いだしたんです。オリエンテーションで大学病院を見学して、妙なデジャブに襲われたの、あれはホントのことで、わたしも火事のトラウマを治療されたんだって、そんなことを朧気ながら思いだしたんです」


「え……。分かった、じゃあまずはその話をしてほしい。ゆっくりと」


名塚なつかさん。奈良原さんに伝えそこねたことがありますよね?」


「……っ」


「だってズルいじゃないですか。わたしたちばっかり自分の過去を洗いざらい喋って、友達っていうんなら、お互いに隠し事はなしにしないと、嘘ですよね。わたしが叶えようとしている情景に土足で上がり込んでくるなら、尚更ですです」


「…………その治療にあたった特任教授、俺の父さんかもしれない。昔、ひどい副作用を引きおこしたことがある、って」


「名塚先生。ですよね、あなたの名字を聞いた時、やっぱりデジャブがあって、それで興味持ったんですけど、これで繋がりました」


「……恨んでいるのか」


「先生。患者の話とか、家でしてませんでした?」


「何を……」


「たとえば、火遊びが高じて、放火してしまった女の子の話とか」


「……!」


「記憶があるわけじゃないんですよ? でも、わたしの記憶は誰かのお葬式から始まっていて、大きくなっても施設の人はわたしが捨てられた理由を絶対に教えてくれなくて、わたしはずっと炎を目にするたび泣きっぱなしのクズで、こういうふうに生まれついたものだと思っていました。思っていたんですよ?

 けれど、たとえば。そういうことにすると話が綺麗に繋がるんですよ。治療を受けた子たちの誰も、こんなふうにはならなかったみたいで、それは火事の現場にあってわたしだけが恐怖とは異なる感情を抱いていたってことで。だから、わたしの憧れは、一度叶ったんじゃないかなって」


「分かった。父さんが残していったダンボールに、その頃の資料が残っていると思う。まずは、それを確かめてからでも」


「べつにホントの過去がどうだったかなんて、どうだっていいんですよ。わたしの中で折り合いの付く人生になれば、真相はそれでいいという話です。

 きっと、わたしは初めからおかしくて、この憧れに真っ当な理由なんて、あるはずがないんです」


「井内さん、明日のMCバトル決勝、一緒に見に行くって約束は」


「そうですよ、これはそういう話なんです。べつにストリートで出くわしても流血沙汰とか起こさない常識人のラッパーたちが、バトルになるとありとあらゆる罵詈雑言を並べたてて殺生を騙りだすのは、DJが流すビートに乗せられたセッションだからじゃないですか。

 どれだけ下手な脚本と役者の三流映画でも、音楽さえ良ければ涙腺緩むみたいな、そういうのがわたしにとっての炎で、否応なく泣き虫になっちゃうのに、肝心の炎はわたしの認識の埒外にあって、だったら限界までボリュームを上げるしかないじゃないですか。そして、そんなの迷惑きわまりないじゃないですか」


「…………」


「それにダメなんじゃないかな、やっぱりダメなんじゃないかなぁ、大学生活ふつうに楽しんだりしてないで焦がれなきゃダメなんじゃないかな、焦がれつづけたこの身はちゃんと灼きつくすしかないんじゃないかなぁ」


「やめろ、それだけは引いちゃダメだ」


「そんな本当に、ガスバーナーのトリガーを引かせたくないなら、このゴミ山のてっぺんまで登ってきて、わたしから奪ってみせてくださいよ、このどうしようもない炎への憧れを!」


「クソっ、少しだけ動かないで、そのまま」


「……だから、こっちに、来ないで。わたしも、みんなが観た悪夢を共有したいって、ただそれだけなのに」


「やめろ!」


「わたしは……今度こそ……ちゃんと炎を!」


「……ッ!」



 ~~~


「……ぇっ……やめてくださいよ……ぇぐっ……こんなゴミ山の上で……女の子を押し倒すとか……」


「ごめん、足をくじいた」


「……なんで逃げないの……あなたが弾きとばしたガスバーナーの炎は消えず……ひぅ……もうきっと辺り一面……助からないよ……」


「夕立が来たんだ。季節外れの大嵐が来たんだ」


「……分かってたよぉ。わたしは最期まで泣き虫で……こんなにも焦がれたものを感じられないんだって……うっ……うわあああああん」


「いや、これは嵐だよ。雨粒も、雨音も、聞こえる。だから一緒に、この情景から逃げよう」

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