「お前はこれを悪夢と嗤うのか」
「やァ。よくぞ来てくれた。誰だか知らないが、感想が聞きたい」
「その声。……
「なんだ、つまらん。お前が釣れるとはなァ。
「こんなところで何を呑気にヘッドマウントディスプレイ付けて遊んでるんだ! 廊下はもう火の海だぞ!」
「そうか。お前にも見えたのか」
「窓から飛び降りるぞ。なにかクッションみたいなものは!」
「まァ、落ち着け。この放送室は七階だ」
「状況分かってんのか、このまま座して死を待つ気か!」
「みんな、そんなふうに切羽詰まっていたか。ちゃんと怯えていたか」
「当たり前だろ! 俺も、お前も、こんな大掛かりなテロを防げなかったんだぞ!」
「良かったじゃねェか。あとは今から目の前にいる犯人をぶん殴って捕まえれば大手柄だ、名探偵」
「……おい、何だそれ。ざけんな」
「安心しろ。ご覧のとおり俺は、命まで奪うつもりはさらさらないからさァ」
「……まさか」
「気付くの遅ェつーの。お前には上映のタネ明かしてたろ」
「嘘……だろ。視界だけじゃなかった。あの焦げた、音は、煙は、匂いは、、、」
「音は、そこの効果音素材から適当に流した。煙は、先輩が仕掛けた発煙装置を使った。危ないから止めた方がいいって忠告したんだけどなァ。匂いは、まぁ錯覚だろう」
「じゃあ何だ。お前は、
「どうだ。脳裏に灼きついたか?」
「……っ」
「…………」
「そんなものは今すぐ外せ! お前か、お前が火種か。なぜだ、なぜこの本館を燃やす夢を見た。こんな悪夢を上映して何の得が!」
「夢じゃねェ。夢じゃないんだ。いかな俺だって、ついさっき思いたったばっかりで、本館だけならまだしも、全校舎を灼きつくす鮮明な夢を見られるわけないだろ。これが俺のありふれた、入学から三ヶ月かけて灼きつくした日常なんだよ。お前にもシェアできて良かった。ほらヘッドマウントディスプレイ外したぞ」
「ついさっきって、お前」
「あー、さっき捕まえたっていう放火未遂犯な。電話の後、警察が来るまで話を聞いてやったら、三人とも俺と同じ幼稚園で火災に遭った奴らだったんだわ」
「……お前もグルだったのか」
「いや、そうじゃねェ。俺たちはあの火災後、治療を受けてから一度も顔を合わせていない。
そうだ、治療だ。俺もすっかり忘れていたが、あいつらが思いださせてくれた。かつて炎上する幼稚園で、保育士が灼けていく姿を目の当たりにしてしまい、強い心的外傷が懸念された俺たちは、この
「何の…話だ……」
「お前が志望している、認知神経科学の話だよ。脳の中には、炎を感じとるためのニューロンがある。人類に文明をもたらしたニューロンだ。そこが火災のショックによって、たとえば死や恐怖を司るニューロンと強く繋がってしまうと、火に関する刺激を受けただけでパニックの発作を起こしてしまい、まともな生活が送れなくなる。だから、そこの繋がりを灼き切らなくてはならない。
そういう理論が、当時は脚光を浴びていたらしい。世間的な注目も大きく、功を焦った特任教授が治療に当たった。だが結局のところ、ほとんどの子供には効果が見られず。そして数人の子供は成功したが、大きな副作用を伴った」
「特任教授……副作用……」
「たしかに炎を見ても心乱されることはなくなった。ありふれた日常の風景として、無意識に流せるようになった。
代わりに、視覚、聴覚、嗅覚、そのありふれた刺激の多くが炎に結びついてしまった。俺たちは、ずっと燃えさかる世界の中で生きてきたんだ」
「…………」
「理屈では違うと分かっていても、どうしようもない。そこかしこに熱と光の揺らぎを感じて、やがて煤まみれになっていき、いずれ全てが灰になっていく。ただただ意味もなく灰になっていく」
「……その復讐のために、こんなことを」
「俺の中で折り合いは付けてきたつもりだった。これでもわりかし、うまくやってきたんだ。家が灰になっても、学校が灰になっても、街の店という店が灰になっても。べつに会う人という人の顔が、灼けて、焦げて、燻っていっても慣れっこだ。いよいよ灰だらけになったら、そこを去って新しい場所に引っ越せばいい。さいわい親父は転勤族だったからな。
ただ、あいつらは耐えられなかった。自分の見ている世界が、現実とは違うことを許せず、放火を企てたらしい。頭悪ィ話だぜ」
「じゃあ、なんでお前はそれを止めておいて……」
「せっかく同じ体験させた人たちを、殺しちゃ勿体ないだろ。煙で意識を失わせるのもうまくない。深く脳裏に灼きつけるためには、死が差し迫った現実と錯誤するほどの虚構を、できるだけ長く彷徨わせなくてはならない。
そして、それを為せるだけの状況が、ちょうど俺の前だけにあることに気付いた。だったら上映するしかないだろ。常識的に考えて」
「魔が差した。って言いたいのか」
「人生そんなもんだろ」
「…………。いいか、奈良原。これだけの騒ぎを起こしたんだ。火災は起こらなかったとしても、怪我人はでたはずだ」
「だろうな」
「下手すれば、パニックで出口に人が殺到して圧死事故だって」
「そうだなァ」
「一緒に警察へ行こう。そこまでは友達でいてやる」
「嫌だね」
「いいから俺に目を合わせろ」
「断る」
「足りないのか。少なくとも数千人の来場者には、お前の日常を十数分ほど共有できたって言うんだろ。それでも満足できないのか」
「まだ種火を撒いただけだぜ。俺たちの火の粉が拡散されて、いずれ誰かの日常が灰になったその先に辿りつくまで見届ける義務が、俺にはある。
そうだ、独りでは無理なんだよ。俺は、完全に灰になった場所では生きていけない。もちろん世界は広いから、これからも同じ場所に長く留まらず焼き畑しつづければ、寿命は全うできるだろう。だが、もしかしたら、他の誰かが別の生き方を見つけてくれるかもしれない」
「だからって。お前のそういう悪夢を、他人に押しつけるのか……」
「……あァ、そうかよ。それがお前の本音か、名塚ァ! 俺が生きている情景を、俺の目の前で灼けていくお前も嗤うのか。今なお炎上しつづけるこの放送室も。お前はこれを悪夢と嗤うのか。……ぐはっ」
「え。
「このッ女。横っ面殴りやがって、邪魔するか! ようやく俺の情景を言葉にして、まだ灰になりきってない友に伝えられたんだぞ、あァ! そんな目で俺を――」
「……ぐずっ……ふざけないでよ……炎にまみれた情景が……ひっ……そんなに特別だって言うなら……わたしにも……!!!」
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