「三年前の私の運命の亡霊を」

「こわい。しにそう。妹よ、助けてくれ」


『…………』


「いやマジで恐いんだ。闇夜から這いでた化け物が、時おり異世界から舞いおりた使者と交信している」


『……そう……』


「そうなんですよ。この世のものとは思えない恐ろしいものを追跡しているんですよ。あまり距離を詰めすぎると、当たり判定に吸いこまれて、取って食われるかもしれない」


『……つづけて……』


「うーん、ノリ悪いなぁ。お兄ちゃんテンションだだ下がりですよ」


『……静矢しずやさん、どう?……』


「どうも何も。アパート出てから、ぴんと背筋を張った黒髪ゴスロリ姿で、淑やかに夜明け前の街を闊歩している。中世の肖像画から抜けだしてきた人形みたいで、あのだらしない酔っ払いと同一人物とはとても思えない」


『……でも……』


「間違いなく静矢しずくその人なんだよなぁ。もう一時間ほどストーキングしてるけどさ。こうやって実際に追ってみると、地図上で見るよりずっとデタラメというか、規則性がありそうで全然ないから、なんだかんだで灯りの絶えない街の夜道でもしょっちゅう見失う。さりげなく足も速いし。俺が知っているゴスロリ棋士としての彼女の、ただただ状況を混沌に陥れようとする暗黒オーラは健在というか」


『……なにそれ……』


「いやさ。解説の受け売りだけど、囲碁を打っていた頃の静矢さん、……静矢棋士の打ち回しってさ。できるだけ自分にも相手にも地を確定させないことを至上の目的としていたとかで。実際、自分の勝利とかどうでもよかったらしい。

 だから対局相手は、あちらこちらに振り回された挙げ句、わけのわからない大模様を描かされて、終盤で一気に大勝ちするか大負けするかの博打勝負を押しつけられる。なんて話で、地元の碁会所ではめっちゃ敬遠されていたとかなんとか」


『……すこしシンパシー……』


「ま、お互いに筋を通して勝つことを目指すのが前提なのに、一人違うゲームをしていてたら、そりゃ嫌われるよなぁ。その戦法が人工知能相手にはドハマリしたとかで……あ、また見失った」


『……その先の角を右に、すぐ右の小道に入って、つけ麺屋を左……』


「もう何も驚かないぞ。なぜ俺の居場所をリアルタイムに把握しているとか、そんな野暮なことは聞くまいよ。

 しかし、なんで静矢さんの位置、まだ地図アプリに表示できているんだろうな。さすがに髪に挿した発信ピンを一週間も付けっぱなしっていうのはなぁ、やはり風呂とか入ってないのか、それであのサラサラ加減……むしろアリなのでは」


『……変態……』


「あー見つけた見つけた。夜も明けてきた。また交差点で、いかにもゴシックなバッグから穀物っぽい餌を取りだして、飛んできた小鳥に与えている。あれ、メジロかな。この街、多いんだな」


『……そう……』


「お前の解析によると、あの謎の餌付け行為が、囲碁の石を打つことに当たるっていうんだろう。で、今度は小鳥の後を静矢さんが追っていく。……む」


『……さっきから、お兄ぃがときどき後ずさりするの何……』


「いやなんかさ。あらぬ方向から突風が吹いてくるんだよ。それなりに距離取ってのひそひそ声だけど、風に流されて静矢さん本人に聞かれたら、さすがにアレだろ」


『……風て、そういうこと……』


「ん?」


『……しばらくパターンの解析に戻る……』


「おーけー、おーけー。もうしばらしくたら街に人も出てくるから、ぶつぶつ言いながら徘徊してたら通報されるしな。インカム付けっぱなしにしておくから、終わったら電話かけてくれ」


『……おけ……』


 ~~~


『……解析おわた……』


「へぇ、お疲れ様。こっちはもう三時間ほどストーキングしてるけど、とくに新情報はないな。交差点でメジロに餌やって、次の交差点までメジロを追って、その繰りかえし。ただ今は、工事で歩道通行止めしている前で、静矢さんバグってる」


『……バグ……』


「次の交差点に行きたいけど、工事現場に阻まれて、どうすればいいか分からないって感じで、うろうろしてる。回り道をするほどの知能は、夢遊状態の静矢さんにはないらしい。……あ、ふらついた。げ、ガードレールにもたれた。よくない倒れ方だな」


『……助けてあげて……』


「分かってる。もう走ってる」


『……全速力……』


「着いた。工事現場のおっさんより早かった。いったん電話、切るぞ。――静矢さん! 大丈夫ですか。意識はありますね」


「に……」


「二? 二って何ですか。ダイイングメッセージですか」


「二酸化炭素……切れて……」


「あー、炭酸なら缶ジュースありますけど飲みます?」


「お願いいた、します」


「はい、どうぞ。なんかドス黒くて薬っぽい味の飲みかけのやつですけどね」


「ごきゅ」


「焦らず。ゆっくりと」


「ごきゅごきゅ」


「少し血の気が戻りましたね。とりあえず日陰へ、あちらのバス停のベンチまで行きますよ。肩に手を回してくださいね、よっと」


「私は……また最後まで打てずに……」


「はい、とりあえず座りましょう。支えの肩、抜きますよ」


「あの日の決着は永遠に……これでは私は何のために今まで……」


「あー、これ悪い方に入ってるなぁ。……さっきの炭酸うっかりもう一本買っちゃったんですけど、よかったら」


「ごきゅごきゅごきゅ」


「げ、もう飲んでやがる。炭酸中毒め」


「……ぴゃっ」


「どうですか。落ち着きましたか」


「ぷはぁ。……君、誰?」


「実はもう一本」


「ごきゅごきゅごきゅごきゅごきゅ」


「げ、鞄のストック全部取られ」


「……にゃははははぁ。あーなっつんだぁ。呼ばれて、喚ばれぬ、しずしずでぇーす」


「しまった。飲ませすぎた。なんというかアレだな、誇り高きゴスロリがしちゃいけない表情してる気が」


「けふっ。誇りとかプライドとかそういう両手に花とは別れました! 甘い思い出? 酸っぱい思い出? それとも甘じょっぱ」


「静矢さん、もうすっかり元気そうなので教えてください。何の夢を見ていたんですか」


「夢に夢見る人生という名の夢を? 見ていた?」


「それは結構。で、実際。メジロを餌付けしながら、どんな白昼夢を見ていたっていうんですか。さすがに今の今で忘れたとは言わせませんよ」


「ごきゅ。それは乙女のシークレ」


「そのゴスロリの服装、棋士としての勝負服なんでしょう?」


「……何を言って」


「β5との対局直前に、一度だけインタビュー受けていたんですね。『現世うつしよに縛られた身に黒白を纏うことで、白黒付かない魂が解放される』とか何とか」


「何を」


「黒白が白黒で魂が解放」


「あああああ」


「今日の静矢さん、よくバグるなぁ」


「恥ずかしいです」


「そうですね。俺もさっきから道行く人たちにちらちら訝しまれて、わりと恥ずかしいですよ」


「恥ずかしい、生きてることが」


「ようやく気付きましたか。人生という名の虚しさに」


「ぴゃっ」


「冗談ですよ」


「いえ、ようやく目が覚めました。すべて話します。お話しさせてください。その前に、これをお返しします」


「……ピン、気付いていたんですね」


「ありがとうございます。見つけてくれて」


「いえいえ」


「三年前の私の運命の亡霊を」

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