「ぶっちゃけワンチャンあるわ」

「――ってことで、今渡したデータが。有栖川ありすがわさん家の爺様が遺したという琴の楽譜だ。解読できるだろうか」


「はあ!? 私を誰だと思っているの?」


「お、おう。ちなみに、小鳥たちの録音データも付けておいた」


「まずね、その録音だけど。こんなの周波数分解して、音響推定して、個体分離して、チャンク切って、文脈自由文法に落としこめば、メジロが歌っている旋律もぜっんぜん簡単に解読できるじゃない」


「お前が何を言っているかは全然分からんが、とりあえずだな」


「こんなの音声処理の基本よ。こんなことも分からないなんて何なの?」


「毎回このやりとり繰りかえしてる気はするんだが、やはりツッコミは入れておかないとな」


「莫迦なの? お兄ぃなの!?」


「なぁ、妹よ。お前はどうして日によって、そう性格が様変わりするのだ……」


「ふ、ふん。別にいいじゃない。だいたい性格なんて変えたくっても変えられないわ。口調だけよ」


「じゃあ、どうして日によって、そう口調が様変わりするのだ……」


「あのね。女の子が変わる理由なんて、その日の気分のファッションに決まってるじゃない」


「うわぁ。兄は妹を、そんなファッションツンデレに育てた覚えはないし、まだな、昨日みたいなファッションおっとりの方が好きだぞ」


「はあ!? 兄妹で好きとか、莫っ迦じゃないの。そんなこと言っても解読結果くらいしか出ないわよ」


「そうか、あまりバカバカ言われると心が痛むあまり何かに目覚めそうだからな。さっさと本命のな、楽譜の解読結果を頼むぞ、ファッキンツンデレ」


「……琴譜は未完よ。明らかにブツ切りで終わってる。そして休符も多すぎるわ。音楽として成立するためには、密度が半分くらいしかない感じね」


「協双曲って話だったからな。対になる楽譜は別にあるってことだよなぁ。和紀かずき君にもうちょっと探してもらえないか訊いてみるか」


「その必要はないわ。もうお兄ぃは聴いているでしょ」


「ん?」


「アリスさんが指揮するメジロの歌、これも楽譜に書きだすと休符がやたらと多いのだけれど、ブツ切りの最後から合わせるとぴったり琴譜と噛みあうのよ」


「なるほど、なるほど。つまり?」


「遺された琴譜と対になるのは、アリスさんの鳥譜だって言っているの!」


「おおお、そういうことか……。それにしても解読はやすぎわろた。天才かよ」


「ふん、パターン認識しか能のない私にかかればこんなものだわ」


「しかしな。亡くなった飼い主の相棒役を務めるため、指揮しつづけるとは泣かせる話だな……。え、そんな話ってアリなのか。言い忘れていたかもしれないけど、有栖川さんのアリスは猫なんだぞ」


「さあ? でも二つの旋律が掛けあって、だんだんと複雑に絡みあっていく音楽性が、ただの偶然だなんてあるわけないじゃない」


「ふむ。じゃあ、アレか。和紀君、爺様の遺作をアリスに聴かせたいって言ってたけど、その必要はないのか」


「ふぅん?」


「だって指揮しつづけているってことは。アリスには今も聴こえているんだろう。爺様の琴の演奏が、さ」


「そういうことなのかもね」


「……なんだ、三つも依頼を聞いて回ってはみたけど、俺が解決するべき問題なんて一つもなかったってことか」


「紛うことなき無駄足だったということね」


「いやぁはっはっは」


「あはは」


「はっはっは」


「あはは、……莫迦ね」


「いやぁ譚丁たんていサークルが無駄足を踏むほど、この街は平和。俺はそういうことに幸せを感じるんだ、うん」


「だからね、ホント莫っ迦じゃないの! 有栖川さんの本心は、自分自身が亡きお爺様の音楽性を理解したいってことでしょ。だったらまだ何にも解決なんかしてはなくて、お兄ぃ探偵の出番はあるじゃない」


「そうは言ってもな。たとえば爺様の元相棒に、お前の解読結果を渡して、アリスと愉快なメジロたちと共演してもらったところでな。そりゃ俺は聴いてみたいけど、肝心の和紀君は音程が分からないんだぞ。そこに込められた音楽性をどうやって」


「そう思うじゃない?」


「おう」


「パターンが一致するものは、まだ他にもあったのよ」


「なん…だと……?」


「琴譜とね、静矢しずやさんが夢遊病で歩いていた軌跡が一致しているの」


「ちょっと待て。えー、つまり、どういうことだ。有栖川さん家の話をしていたのに、なんで酔っ払いパジャマ姉ちゃんの話が出てくる」


「そんなの私が知るわけないじゃない。これ以上は、お兄ぃ探偵が頑張ってよ。べべべ別に応援なんかしてないんだからね!」


「いやいやいや。たしかに、たしかにさ。静矢さん家去り際、後ろ髪リボンに位置情報発信ピンとか仕掛けておいたけどさ。母さんにも使ってた、高齢者見守り用のやつ。その歩行ログをなぜお前が持っている」


「勝手にトラッキングするとか、わりとガチめの変態じゃない!」


「いやほら発信器とか探偵っぽくね?」


「変態」


「で、その歩行ログ。お前に渡してないはずなんだが」


「そんなの簡単よ。お兄ぃのスマホやらパソコンやら、さくっとネット越しにハッキングしてデータ抜いたもの」


「おい、やめろ。変態妹」


「私だって、ハッキングなんてしたくなかったわよ! でも明日死んでも行くって宣言して、まるまる五日も放置されたら心配するに決まってるじゃない」


「それについては正直、反省してる。なかなか大学のレポートが終わらなくてな。一年目のゴールデンウィークから、なかなかエグいやつが……」


「ふぅん面白そうなことしてるじゃない。私に投げてくれたら、さくっと終わらせてあげなくもないのに」


「妹にレポート代行してもらう兄とか、控えめに言って最悪だろう。ってか大学とか興味あるのか」


「ないわよ。お兄ぃが入りびたる下賤な世界なんて、心の底から微塵も興味ないんだからね!」


「めっちゃ興味ありありじゃねぇか。この病院も、うちの医学部系列の大学病院ではあるらしいんだけどな……。それで。琴の楽譜と、歩行ログがパターン一致しているってどういうことなのさ。データとしては全然違うものだろ」


「それがそうでもないのよ。この街、蛇行している街路多いけど、おおむね網目になっているでしょ。そして交差点から交差点へ斜めにショートカットする裏道も結構あるのね」


「ほほう?」


「静矢さん、デタラメに彷徨っているように見えるけど。たとえば、東西の路を五線譜の横線、南北の路を五線譜の縦線、そして交差点の通過を音符に見立てると」


「なるほどなるほど……。いやいやいや、俺も地図アプリで歩行ログ眺めてみたけど、いくらなんでもそれは無理があるっつか、そんな綺麗なパターンじゃなかったぞ」


「ふん、さすがに一目で分かるものを、パターン一致したなんてドヤ顔で言わないわよ」


「ん。お前、引きこもりのくせに、そんな高度な表情できるのか。碧眼つり目で金髪縦ロールのドヤ顔な、ふむふむ」


「いいかげん、そのおかしな妹像から離れなさいよ。莫迦ね」


「それほどでもない」


「…………」


「それに、だな。静矢さんの夢遊病、月曜、水曜、それから昨日の金曜と、隔日の明け方から正午にかけて起きてるっぽいけど、毎回ルート違うぞ。これただのランダムウォークだろ」


「その考えが浅はかっていうのよ。実際はね、ちょっと複雑なグラフ変換かけると、夢遊病の軌跡と琴譜が一致する感じよ。グラフ変換自体は日ごとにパラメータが微妙に違うのだけれど、でも本質的なトポロジーは一緒だから間違いないわ」


「ずいぶんと、ややこしそうなことをするな……。一つツッコミ入れてもいいだろうか」


「一つと言わず、さっさと何でもツッコミなさいよ」


「お前、わりと何にでも大それたパターン見出すタイプだろ。空を見上げれば雲をクジラになぞらえ、壁を見つめればシミを世界地図になぞらえる。そういうパティーン」


「私の代表的な症例の一つに、人の顔らしきものを見ると何でもお兄ぃと認識してしまうというものがあるわ。雲やシミに限らず、何でもよ」


「……なにそれこわい。っていうか、さすがに闇が深すぎる」


「ついさっきお兄ぃが来る前はトイレで」


「おい、やめろ。そういうのはガチでやめろ」


「わわわ私だって好きで認識しているわけじゃないわよ! 勘違いしないでよね」


「お、おう。はやく治るといいよな……。それで、アレだ。楽譜と軌跡については、お前のグラフ変換とやらが強引すぎるだけで、実際は何の関係性もない可能性」


「はあ、私の徹夜の解析作業を莫迦にしてるの!? ……ぶっちゃけワンチャンあるわ」


「あるのかよ。そこは最後まで自信を持って否定してほしかった複雑な兄心」


「所詮、一般社会から隔絶された病人の戯言なのだわ」


「いや待て待て。俺が悪かった。和紀君の爺様と静矢さんに、何かしらの関係があったとは微塵も思えないけど、完全に一致ってことにした方が絶対面白いから、そういうことにしような」


「ふんっ」


「となれば更なる情報収集かね。やはりあの酔っ払い姉ちゃんをストーキングするしかないか……」


「それ、実況とかしてくれたら、聞いてあげなくもないわ。……妹には亡きお母さんに代わって、お兄ぃが一線越えないか監督する義務があるもの」


「はいはい、実況してやるよ。でも静矢さんの夢遊、これまでの隔日周期でいくと、まぁ明日の明け方からってことになるな」


「明日、ね」


「そうか。明日になったら、お前ともお別れだな。いやぁ残念だなぁ」


「べつに寝て起きたら、ランダムに口調が変わるだけよ。パターン固定させると、自己認識がゲシュタルト崩壊するから仕方なく」


「うちの妹、ガチャだった説。どうせならお兄ちゃん、アレがいい。なんかすっごい深窓の令嬢って感じのやつ。再会時にアレは騙された」


「アレは、妹ガチャの中でもアルティメットウルトラスーパーレアだから。二度はないわ」


「うわ。すげぇ馬鹿っぽい」


「……せっかくノってあげたのに、なにその言いぐさ。莫迦兄ぃなんか死ぬといい! っていうか、しね――っ」

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