「この先端が描く軌跡は、神風せめぐ双蛇の結界でございます」

「どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです」


「探偵サークル、ですか?」


「はい、伊宮いみや八重やえさんはいらっしゃいますか? ご依頼の手紙をいただきまして、そうお伝えいただければ分かると思うのですが」


「……ああっ、令さんですね。お待ちしていました。まさか本当に来ていただけるとは。感激です!」


「いやぁ。実はここに来る階段の途中、大きな蛇に出くわしましてね。逃げて帰っちゃおうかとも思ったんですが、勇気を出して登ってきて良かったです。ははは」


「わたくしも、蛇は苦手です。あの、ずずずって這いよる姿が、どうしても好きになれず。お恥ずかしいです」


風蛇かざへび様でしたっけ。その蛇の神様に舞を捧げる神社の巫女さんでも、そんな感じなんですね。すこし安心しました」


「…………そうなんです。よっ。好意と敬意は別ですから。風蛇様にお仕えする心持ちに曇りはありません」


「ところで、あまりにも普通に応対されているのでツッコミづらいんですが。白衣に緋袴はよくお似合いかと思うのですが、純白の布で目隠しまでされているのは、なにか呪術的な意味でもおありで?」


「この目隠しはですね、伊宮神社の伝統です」


「それまた、かつての神主は高尚な趣味をお持ちだったんですなぁ……」


「え、あ、そういうのではなく! つまりですね、わたくしは伊宮神社の巫女ですから、そうなりますよね?」


「なるほど、……なるほど?」


「……舞の風切りは、風蛇様に奉ずるもの。舞の所作は、街の方に納めるもの。巫女自身が観てしまっては台無しでしょう」


「そういうものなんですか」


「はいっ」


「とはいえ、境内の掃き掃除をする時まで目隠ししなくてもいいのでは」


「ふふふーん。目隠しした程度で、この社で起こることを見逃すとお思いなら大間違いです」


「であれば、ちょっと失礼」


「なんでしょう。かっ」


「よっと」


「きゃっ。なんでしょうか。あの、なんでしょうか。わたくし、令さんに素肌の領分を侵される覚悟は、まだこれっぽっちもありませんといいますか!」


「いや、ほっぺに桜の花びらが付いていたのが気になったもので」


「はい? あ、伊宮の八重桜ですね。もう散りはじめる季節になったんです。ねっ」


「そうですね。それにしても、この社の八重桜はなかなかのものですね。四月も終わりになって咲いているとは」


「八重桜は遅咲きですから」


「いやホント綺麗です」


「綺麗だなんて、そんな照れてしまいます。ところで、依頼した件ですが……」


「舞の練習を観てほしい、とのことでしたね。それだけでよろしいのですか?」


「はいっ、充分です。それでは早速お願いします」


「え、こんな石畳の上で、舞うんですか」


「ここは足踏みで立ち位置が測りやすいですから。両手を広げるので、ちょっと距離を取ってください。ねっ」


「このくらいですかね」


「さてさて。両の袖口から黒白の扇子を取りだしまして。この先端が描く軌跡は、神風せめぐ双蛇の結界でございます。この広さで舞いますので、わたくしはともかく風蛇様の領分は侵さないでくださいね」


「はぁ。了解です」


「参ります。気を長く持ってください、ねっ」


「…………」


「…………」


「………………」


「………………」


「……?」


「………………切り返します……」


「…………」


「……」


「!」


「……っと」


「へぇ、これはなかなか」


「はいっ。今のが基本の一動作です」


「なんというか、ものすごいゆっくりした動きなんですね。二分くらいは経った気がしますが」


「ふふっ、これを対にして、百八ほど織りこんだ舞を奉納します」


「えー、願いましては二分かける二かける百八で……、だいたい七時間。は、正気で?」


「正気も正気っ。休憩を挟みつつ挟みつつ、お天道様が顔を覗かせてから、紅く色付き落ちるまで舞いつづけるのが、伊宮の伝統です。名塚さんは、こちらには来たばかりですか?」


「あぁ、実は伊宮に来てまだ一ヶ月でして。できるなら伊宮のこと色々と知りたいんですが」


「色々と知りたいだなんて、そんな照れてしまいます」


「いやまぁそう言わず」


「実は、わたくしも舞を奉納するのは今年が初めてなんです。伊宮の舞はですね、一つ一つの動作の型は決まってはいますが、それをどう織りこんで紡いでいくかは、その年の街を通す風を読まなければならなくて……」


「その風が読めない、と?」


「そう……ではなくて、です。ね。おそらく、わたくしは読みすぎてしまっているのです」


「むむむ。たしかに、この神社は良い場所に建っていますからね。街を一望できて。今はもう夕焼けで」


「そうなんです。風に乗って街の色々な音が、草野球の歓声とか、電車の走行音とか。その混ざった場所を辿っていけば風の流れが手に取るように」


「なるほど。耳を澄ますと、意外と遠くの音まで聞こえてきたりしますね。空には遮蔽物がないので」


「はい、そのとおりなんです。視界を塞いだら、聴覚の感度が上がりすぎてしまいまして。ね。商店街を行きかう人たちの、溜息とか、舌打ちとか、痴話喧嘩まで」


「え、それは聞こえすぎなのでは」


「さすがに冗談です。よっ」


「ですよね」


「少しだけですけど。……そんなわけで、お恥ずかしながら。わたくしの舞は、些事を運ぶ短命の風に惑うばかりで、続かないのです」


「ああ、たしかに。ずいぶんと白の扇は揺れていましたね。てっきりそういう舞なのかと」


「未熟きわまりないです」


「うーん、アレはアレで魅力的な気がしたんですがね。ピタッと静止する黒の扇と対照的で。扇の軌跡を結界と称してましたけど、なんというか、誘っているというか、けれど誘いに乗ると突きはなされるような……」


「……! 今なんて仰いました?」


「誘っているというか」


「それより前の言葉です。よっ」


「魅力的な気が」


「もう一声っ」


「伊宮八重さんは、とても魅力的なのではないでしょうか!」


「そんな照れてしまいます。ありがとうございます!」


「…………」


「……とはいえ、百八対も魅力的に舞うためには、伊宮全体に相克する大きな二つの流れを読まなくては、筋が通らなくて」


「むむむ、街一つに通る大きな風。そんなもの、本当に存在するんですかね」


「えっ。だって、その、伊宮の伝統ですもの。存在如何に関わらず、巫女はそれを読まなくてはならないのではないでしょうか」


「それは、そうなのかもしれませんが。や、伝統とか先代の巫女さんがどうとかまったく知らないのでアレですが、わりと伊宮さんが舞いたいように舞えばいい気がしますけれどね」


「令さん。わたくしのことは八重さんと呼んでいただいてもいいんです。よっ」


「……八重さんが舞いたいように舞えばいい気がしますけれどね。むしろ自分が伊宮の風を作るんだ、くらいの勢いで」


「でも、それでは独りよがりではありませんか。風蛇様は巡り廻りて、死に抜け殻を遺しながら、人の縁を結ぶ場を作る神様です。巫女がそんな心構えでは、舞を観る方も惑ってしまうでしょう」


「そんなこともない気もしますけれどね。巫女さんの舞ってだけで、ありがたくガン見する輩も多いんじゃないですかね」


「令さんも八重をガン見なうですか。ねっ」


「えーあー、実際さっきは、街の何を聞いて舞っていたんですか」


「うふ、令さんの心臓の音をガン聴きなうです」


「え」


「冗談です。でも、令さんの音に耳を澄ましていたのはホントですよ。初対面で好奇心ありありとはいえ、舞を観てくださる方に意識がいってしまうのは、未熟の証なのですが……」


「いやまぁ、俺のことはともかく。そんなふうに気負わず、その時々の気ままな風の声を聞く感じでいいと思いますよ」


「それが街の一年を象徴することになってもですか」


「儀式って、そういうものでしょう」


「…………」


「たぶん」


「……そうかもしれませんね。ありがとうございました。わたくし舞いとおせる気がしてまいりました」


「奉納の日はいつですか」


「最後の一枚が散る日です。この社の、八重桜の」


「あー、明日から毎日通うのはちょっと無理ですね……」


「縁があれば。また観ていただけることもあるでしょう。ねっ」


 ~~~


「――伊宮さん神社はだいたいそんな感じだった。なんかテンパり気味だったが、勝手に解決したらしい」


『人と話すとねー。無意識のパズルがー自然と解けたりするからー』


「そうだ、そうだ。だからお前は俺以外とも話せ。主治医の先生ちょっとベソかいてたぞ」


『それはそれなのでしてー』


「それはそうと、別にフェチとかではないんだが、目隠し巫女さんやばかった。しかも夕陽に濡れて」


『さいてー。そんなお兄ぃはーしねばいいのにー』


「実際やばい」


『しねー』


「分かった分かった。このあと、かりにバイク事故って天に召されたとしても、明日はまたお前んとこ行くから安心しろ」

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