「最期に織りこんだ、意匠も、情緒も、分かりません」

「今度こそ間違いないな。表札も出てるし。よし、チャイム押すぞ、っと」


「……はい」


「どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです」


「はじめまして、有栖川ありすがわです。このたびはお世話になります。差し上げたお手紙のとおり、琴を弾いていた爺様が遺した楽譜を、どうか解読していただきたいのです」


「まずはお悔やみを申しあげます。……君が、有栖川和紀かずきさん?」


「はい、そうです。このたびは依頼を受けていただき、ありがとうございます」


「えーと。君は、小学生?」


「はい、ご明察のとおりです。あの、小学生が依頼するのは、なにか問題があったでしょうか」


「や、そんなことは。お爺さんが亡くなったのは、いつ頃のことで」


「半年前です。それからお葬式以来、この家に住んでおります」


「あー半年前ですか。ちょうど、うちの母さんが亡くなったのと同じくらいの時期ですね。昨年の秋は急に冷えこんだので、嫌な感じでした」


「そうなんです。我が家の爺様も、それが止めだったと聞いています」


「なんとも世知辛い話で。……ところで、お父さんかお母さんはいますか?」


「この家に住んでいるのは、僕とアリスだけです」


「え」


「ああ、大丈夫です。ご心配なく。父も母も他所で忙しくやっています。家事については、恥ずかしながら家政婦さんに通っていただいています」


「それはそれは。まぁ生活できているのなら何よりで」


「それでは楽譜を取ってまいりますので、少々お待ちください」


「……和紀君、小学生なのに立派すぎて眩しいな……」


「…………」


「……お、戻ってきたか……」


「申し訳ございません。家政婦さんが押し入れの高いところに閉まってしまったようで、もう少々お待ちくだ、さい」


「あー手伝いますよ。入っていいですかね」


「ぁっ、そうしていただけると大変助かります。この家は広すぎて、僕の手には余ってまして」


「ではお言葉に甘えて。……たしかに、広い……」


「実はまだほとんど足を踏みいれていない部屋もありまして」


「そうでしょうね」


「それで、楽譜を置いているのは、その押し入れの……あ、踏み台どうぞ……」


「いよっと。これかな。どれどれ」


「いかがでしょうか」


「ほほう、ふむふむ、これは」


「爺様には、かつて一緒に琴を弾いていた相棒がいまして、交代交代にメインパートを弾きながら掛けあい高めていく曲調を得意としていたそうです。協双曲なんて呼ばれていたと聞きました。ただ年々、爺様の作曲は難解になり楽譜にも独自記法が増えていって、相棒の方は付いていけずに離れてしまったそうなんです。それでも爺様には信じるところがあったようで、誰にも理解されない楽譜を書きつづけて……。

 今回、相棒の方を尋ねて見ていただいたのですが、さっぱり分からないとのことでした。けれど、名にし負う譚丁サークルの名塚さんでしたら、きっと」


「なるほど、全然わからん」


「ぁぅ」


「この楽譜ちょっと持ち帰らせてもらいますね。こういうの詳しい奴がいまして」


「どうぞよろしくお願いします」


「はい、たしかに。……ところで和紀君は、なにか音楽とか嗜みます?」


「いいえ。僕にはそもそも音を楽しむ素養がありません。どうやら音程というものが認識できないようなのです」


「え、それは」


「大したことではありません。このとおり何を喋っているかは認識できますし、音の強弱も分かります。内耳の蝸牛にも異常は無いそうです」


「じゃあ聴覚系を司る脳の」


「そうです。脳の異常で、周波数情報が失われてしまっているそうです」


「だったら楽譜を解読できたところで、和紀君は」


「ご指摘のとおりです。僕には爺様の音楽性は少しも分かりません。最期に織りこんだ、意匠も、情緒も、分かりません。でも僕は、それ以外の遺産を全て受け継ぎました。だからアリスには爺様の遺作を……」


「ありす? 妹さんとかですかね。有栖川さん家らしい仇名で」


「アリスはたぶん庭にいます。ああ、ちょうどそんな時間でした。よろしければ聞いてはいただけませんか」


「……?」


「こちらが庭です。雨戸を開けますね。ぃょしょっと」


「…………」


「……っ……」


「…………」


「…………」


「へぇ、これはなかなか」


「そうでしょう。なかなかのものだと家政婦さんからも聞いています」


「で、アリスさんはどちらに?」


「あはは、ご覧のとおり目の前におります」


「んん?」


「失礼いたしました。そこの松に留まって囀っている小鳥、……メジロですね。そのメジロたちを池の飛び石から見上げている白猫が、アリスです」


「あ、そういうことですか」


「はい。僕の大切な、大切な家族です」


「このメジロたちの囀り、途切れ途切れではあるけど綺麗にハモっていて、歌のようで。その旋律に少しだけ先行して、猫のアリスが鼻先を揺らしていて、なんというか、まるで指揮しているように見えるけど」


「どうやら本当にそうみたいです。晩年の爺様は、この軒下で独り琴を弾きながら作曲をしていまして、その隣にはいつもアリスがいました。

 けれど爺様が亡くなって、ひどく落ちこんでいたアリスは、しばらくおかしな鳴き声を上げては欠伸ばかりしていたのですが。それがいつの間にかメジロたちが集まるようになって」


「それで、メジロたちを指揮するようになった、と? いやぁ、まさか、ははははは。……マジで」


「いかがでしょうか。それでアリスの指揮する曲は、明るい調べでしょうか、それとも暗い調べでしょうか」


「うーん。あくまで小鳥の囀りだから、フレーズにそんなにバリエーションがあるわけでもなさそうだし、ジャンル的にはヒーリング系のミニマルっぽいんだけど、明るいか暗いかでいうと……」


「あの、これは僕の勝手な願望なのですが。もしかしたらアリスはずっと爺様の追悼をしているのではないか、と」


「鎮魂歌ってことですか。どうだろうなぁ……」


「ぅぁ。不躾なことを聞きました」


「いやしかしこれは。……ん、終わったのかな。メジロたちが飛び立っていった」


「はい、終わったのだと思います」


「なんか尻切れトンボだなぁ。いよいよ大サビが来そうな感じだったのに」


「そう、なんですね……。最近、アリスは隔日で指揮をしているのですが、いつもだいたい同じタイミングで終わるみたいです。

 ちなみに指揮をしない日は、夜明け前から正午あたりまで、一匹ずつぱらぱらと飛んでくるメジロと会話をしています。まるで打ち合わせをしているみたいに」


「ずいぶんと賢い猫がいるものですなぁ。……ともかく、楽譜の方は何かしら分かり次第また来ますんで」


「はい、よろしくお願いいたします」


 ~~~


「――有栖川さん家はだいたいそんな感じだった。和紀君、小学生というのにあの大きな家で猫と一人暮らしとかな、気丈すぎて地味に緊張してしまった。お前も見習ったりするといい」


『そう言われましてもー。私だって、お兄ぃと話す時はいつでも胸がドキドキしますしー』


「いいか。お前はせっかく病室に引きこもっているのだからな。不整脈がひどい時は、遠慮無くナースコールするのだぞ」


『ぶー』


「いや、ガチで」


『それはそうとー。鳥奏曲とかー、私も聞いて周波数分析したいー』


「ふふふ、まずは形からでも探偵らしくと思いたってな。胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせておいたのは大正解だった。あとで持っていく」


『お待ちしてまー』


「ということで勢いあるうちに伊宮いみや神社まで行ってくる。このままバイクでかっ飛ばせば、日が落ちる前には着きそう」


『がんばー』

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