「そして人生という名の怠惰と悔恨にまみれた自意識に酔わない?」

「表札でてないけど、有栖川ありすがわさんの部屋番号ここだよな……。うーむ、緊張する。チャイム押すぞ、っと」


「……はぁい」


「どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです」


「はぁい、しずしずでぇーす。とりま呑もう? 呑みましょう! 呑まない?」


「いや、そういうのではなく、俺は」


「にゃはははー、ままま家に上がって! 上がらない?」


「えーと。有栖川和紀かずきさん、いらっしゃいますか」


「アリスじゃないですぅ。誰が呼んだか、そうです、私がしずしずでぇーす。……あなただれ?」


「しず…しず……?」


静矢しずやとか知りませんしぃ。私は断じて静矢しずくなどではありませんのでぇ」


「静矢雫……げ、住所見る手紙間違えた。しまった、二通目の電波さんか……」


「とりま上がって、一緒に呑んで、酔っちゃおう! そして人生という名の怠惰と悔恨にまみれた自意識に酔わない?」


「いや、酔いません。まだ未成年ですから」


「じゃあ君が呑むのは。金箔を鏤めた自意識ちゃん? 銀箔を鏤めた自意識ちゃん? それとも」


「あの」


「ここ一番の大舞台で失われていく無意識ちゃん?」


「その」


「まさかの阿頼耶識ちゃん?」


「だぁーーー。ぜんぜん話通じねぇな、この酔っ払いパジャマ姉ちゃん!」


「ぴゃっ。……ざざざ残念でしたぁ、しずしずに弟はいませぇーん。天涯孤独な静矢家一人娘の独身でぇーす」


「はぁ……。念のため聞いておきますけど、静矢さんの依頼って何なんですか」


「ななな乙女のシークレットを聞きだそうとするとは、デリカシーのないやつめ。責任取って! 結婚しよ?」


「しません」


「やだぁ、有り余るお金と時間を浪費するだけの生活はもう嫌なのぉ。君がダメなら、三年連れそったお布団と結婚する! 結婚しない?」


「有り余るとは、良いご身分ですね」


「ぴゃっ。知らない人にいじいじ虐められるので、しずしずお部屋かえります。……ばたばたばたばた、ぽすっ」


「げ、マジで部屋に逃げた。よし、この訪問は無かったことにしよう。なかったことに……」


「鬼さんこちら、お布団ヘブンまでおいで? おいでない? 絶対においでないで? ……独りにしないでぇ」


「ちっ。……あーくそ、母さんといい妹といい、この手の壊滅的にダメっぽい人間に甘いのが、俺の悪いところだよなぁ……。お言葉に甘えて入りますよ」


「ぐぅすぅぴぃ」


「いや、初対面の人間の前で、布団に頭隠して尻隠さず状態で寝たフリとかやめてください」


「もう出れませぇん。いざお布団と蜜月らぶらぶちゅっちゅ生活が始まる? 始まりそう! 始めない?」


「それで、また悪夢を見るんですか」


「……どうして、それを」


「静矢さんが手紙に書いてきたんじゃないですか。悪夢をどうにかしたい、って」


「ざざざ残念でしたぁ、もう静矢雫はいません! βちゃんといちゃいちゃして一瞬だけ脚光を浴びた棋士がいた世界は消失しました!」


「え、静矢さんってもしかして」


「もしかして恋?」


「いや、そういう恋愛脳ではなくて。……アレじゃないですか。三年前あたり囲碁で話題になった、あのゴスロリ棋士」


「ちがいますぅ、しずしずは。どこにでもいる乙女です!」


「いや、そうですよね。俺、ネットで実況見てましたもん。最強の人工知能β5と対局できるって触れ込みの囲碁アプリで、レート上限突破して開発会社がサーバ増設しても連勝しつづけて。とうとうキレた社長が全資金投じて稼働させた、本気のβ5と対局したっていう、あの」


「そんな、やだなぁ、にゃはははぁ。……ごきゅ」


「あ、酒に逃げた!」


「ぴゃっ」


「どうして、こんなに落ちぶれてしまったんですか。人工知能から本当の知性を人間に取りもどす天才ゴスロリ棋士が現われたって、わりと全世界が注目していたじゃないですか。それが今はこんなだらしないパンダの着ぐるみパジャマ姿で、あの時の対局料をアルコールに変えるだけの存在に」


「…………」


「そんな、お尻ふりふり振って、知性の欠片もない感じで否定されても」


「……助けて、ください」


「はぁ。凡人の俺にできることなら善処しますよ」


「あの日からずっと悪夢を見るの。まず天から漆黒の隕石が降ってきて、わけのわからない殺し方をされそうになる悪夢。それを繰りかえし繰りかえし」


「囲碁の悪夢ですか」


「碁なんて、知らにゃい」


「碁盤中央の天元に初手で碁石を置くって、あの時のβ5との棋譜ですよね」


「知らにゃい」


「もしかして、静矢さん。あれからずっと夢の中で研究されているんじゃないですか」


「碁なんて」


「でもそこに積まれている穀物袋? の下に碁盤が埋もれているような」


「十九路盤なんて、知らにゃい。……ごきゅ。でも今年に入って、運命の星にカカリが打たれた気がして、私自身わけのわからないものになって、それでも白黒は付かないまま。あれから負けっぱなしで、しずしずの人生はずっとずっと負けっぱなしで。亡霊と歌う風に吹かれ煽られ流れついて、いつも目覚めるのは白昼の交差点で。

 ごきゅ、こんなふうに呑んでれば。かの白黒模様の続きが、また良い夢が見られるんじゃないかって」


「交差点で目覚めるって、アル中なうえに夢遊病なんですか」


「ぴゃっ」


「うちの母もそうでしたけどね。無意識に外へ出るのはさすがに命が危ういですよ」


「でもでも乙女の逢瀬は危険が危ないものですぅ」


「つまり、誰かと会っているんですか」


「もしかしたらβちゃんのことを忘れさせてくれる、しずしずの運命の人? それとも運命の……」


「はぁ」


「ごきゅ。……だから、その運命を探して、ください。素面でも絡めるように」


「おおかた夢遊状態で誰かと囲碁でも打っているんじゃないですかね。公園とか橋の下あたりで、住所不定な方と」


「ぐぅすぅぴぃ」


「また寝たふりですか」


「ぐぅ……」


「なるほど、今度は本当に寝ましたね。これで多少のことなら静矢さんは何をされても目覚めませんね」


「…………」


「じゃあちょっと後ろ髪失礼しますよ、っと」


「ゃ、ええぇぇぇ」


「あれ。これだけ近づいてアルコールの匂いがしない、だと……」


「残念でしたぁ。しずしずはアル中じゃないです、ただの炭酸中毒ですぅ。……けふっ」


 ~~~


「――もしもし、回線生きてるか、もしもし」


『はいなー』


「あー、ちょっとトンネル走ってて電波悪かったみたいだ。でまぁ、静矢さん家はだいたいそんな感じだった」


『なるほどなー』


「静矢さんな。急に天才と持て囃されて、一時期はプライベートも詮索されまくってたから、メンタルにくるものがあったんだろうなぁ。アレはもう人としてダメっぽい」


『なるほー。家に上がったって、変なことしてないー?』


「してないしてない。気を取りなおして、今度こそ有栖川さん家に行ってくる。いったん電話切るぞ」


『いてらー』

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