第八章二節 操られし姫君

「よし、行ってくるぜ!」


 準備を終えた龍野は、今まさに飛び立とうとする飛行機のタラップに足を掛けていた。

 彼の左手の小指には、あの指輪が嵌まっていた。


「お前を取り戻してやる……ん、毛、だと……? 猫の、か……?」


 龍野は一瞬タラップに違和感を覚えたが、「気のせいか」と言って意識を現実に引き戻した。


     *


 話は前後する。

 一時間前、部屋で旅支度をしていた龍野は、厭世の賢者に呼び止められた。


「何だよ、爺さん」

「悪いの、急ぎの支度を止めて。だが年寄りは、ついお節介を焼きたくなるものでの」


 ふぉふぉふぉと笑う、厭世の賢者。

 だが次の瞬間には、一気に表情が引き締まった。


「お主、指輪は持ったかの?」

「指輪? 何の指輪だよ?」


じゃ」


「! あ、ああ……持ってるぜ。今も身に付けてる。ほら」


 左手を見せ、銀色に輝く指輪が小指に嵌まっているのを見せる龍野。

 厭世の賢者はそれを見て、満足そうに微笑んだ。


「よし、ここまでは良い。その指輪に、お主の魔力を込めておけ。少しで良いからの」

「よくわかんねえが……やっとくぜ」


 龍野は魔力の流れをイメージし、指輪にごく少量の魔力を込める。

 一瞬だけオレンジ色に光ったが、すぐに、何事も無かったかのように収まった。


「そして、二つ目。これはこの後の旅路で良い。お主、一人でいるじゃろ?」

「ああ。今まで専用機で送ってもらったときは、一人にしてくれてたからな。多分いるだろうぜ」

「ならば次言う事は一つじゃの」


 賢者の言葉に、龍野は体を僅かに前のめりにする。「聞かせろ」という意思表示だ。




「過去を振り返れ。姫様と共に過ごしていた頃の、過去をな。のじゃ」




「どういうことだ?」

「疑問に思う気持ちは理解出来るが、まずはやってみよ。でなければ、お主……死ぬぞ?」


 「死ぬぞ」。その言葉に身震いした龍野は、それ以上は何も質問しなかった。

 ただ、「ありがとう」と言っただけであった。


「うむ、それで良い。ではの」


 賢者は煙が消えるように、姿を消した。


「!?」


 龍野は動揺するが、「今はこれ以上のこと、関係ねえ」と思い直し、支度を続けたのであった。


     *


 手紙の指定した時刻にて。

 龍野は、品川に位置する“オーバルガーデン”の中央に向かっていた。


「約束通り一人で来たぞ、お前ら! さあ、ヴァイスを返せ!」


 オーバルガーデンの楕円形の空間中央に立つ龍野。


 すると、ひとりでに鎧と大剣が展開された。


「なっ!?(勝手に展開した!? 俺は何もしてないぞ……! つーか一般人が見てたらどうすんだよ!?)」


 だが、特に周囲の様子に変化はない。

 そもそもオーバルガーデンは、たった一人の一般人もいない、不気味な空間と化していた。それ即ち、“無音”である、という事だ。


(まさか……)

「これはってやつだよ」


 突如響き渡る声。


「てめえ……不知火、豪……!」

「そうだぜ」

「約束の時刻通り、来たぞ! ヴァイスはどこだ!?」

「まあ焦んなよ、黒騎士殿。弓弦!」


 どこかに控えているであろう、弓弦を高らかに呼ばわる。

 エレベーターに隠れていた弓弦が、まるでステージに上がるように、階段を下りる。すぐ後ろに、ヴァイスを伴って。


「これで約束は果たしたぞ、須王龍野……!」


 いまだ憎悪は収まらぬのだろう、毒を含む声で告げる弓弦。

 龍野の正面までヴァイスを連れた後は、階段を駆け上がった。


「よかった、ヴァイス! 無事だったんだな!」


 龍野は喜々として、ヴァイスに近づく。

 だがヴァイスは一言も発しない。


(ん……? 消耗してんのか? 妙だな、ヴァイス……)


 そう言って、自分の姿を思い出した。


(そうだ。顔が見えないんだった……! なら……)


 鎧騎士の状態を解除しようとする龍野。


 だが、何故か一向に戻らない。


(あれっ!? 頼む、戻ってくれ……!)


 龍野の願いは、されど無情にも無視され続けた。


(鎧が言う事を聞かない……!? なら、兜だけならどうだ……?)


 兜だけを解除しようとする龍野。

 今度は鎧も応じてくれた。

 素顔をあらわにする龍野。


「俺だ、須王龍野だ! 聞こえるか、ヴァイス!」


 ヴァイスが俯いていた頭を上げた。


「…………」


 その視界には、須王龍野は映っていた。

 ヴァイスは龍野の顔を認識したのだろう、右腕を上げ始めた。


(ん……?)


 龍野がヴァイスの行動を疑問に思った時には、既に

 その直後――


「『われが許しを与える。呑め』!」


 ヴァイスの右手から、2メートル程の魔法陣が展開した。


(クソ……ッ!)


 龍野はすぐさま上に跳躍する。

 魔法陣から巨大な水の柱が飛び出した。水は地面を削り、龍野の後方にあったエスカレーターと階段の中ほどを破壊。大穴を開けた。


(どうしちまったんだよ、ヴァイス!? それに俺の鎧も、変な所で思い通りにならねえ……ッ!)


 ヴァイスはなおも魔法陣を展開し、巨大な水柱を立て続けに撃ち込んだ。


「ううあぁああああ……ッ!」


 かわすので精一杯な龍野は、加速に伴う衝撃をもろに受けて悲鳴を上げていた。


「おいてめえら! 俺のヴァイスに何をした!?」


 水柱をかわしながら、豪と弓弦に罵声を以って問いかける。


「何をした? 操ったんだよ。なあ弓弦?」


 驚くほど冷淡な声と答えが、豪の口をついて出てきた。


「ああ。姫殿下は気丈なお方だ。だから精神を操作したのさ、須王龍野! さしずめ……『操心そうしんの風』と言ったところかな」

「くっ、てめえらぁああああああッ!」


 龍野はヴァイスの視界の死角に逃れ、大剣を召喚する。

 不意を突く為にわざと遠回りし、豪を視界に捉え、一気に加速する。


「許さねえぇええええええっ!」


 全力で振るった剣は、しかし何かに止められた。


 


「……!?」

「相手が違うってこったよ、須王龍野!」


 龍野は豪の声を聞きながら、ヴァイスの表情を見る。

 その目に、最早彼女自身の意思は込められていなかった。


「くっ……どいてくれ、ヴァイス!」


 必死の願いは、しかし聞き届けられることは無かった。

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