第七章三節 ヴァイスの想い(前編)

 龍野がそう告げると、ヴァイスは一瞬、面食らった表情を見せた。

 しかしすぐに、ヴァイスはニコリと微笑む。いつも龍野に見せる表情だ。


『ううん、いいの。それにね、龍野君。私はちゃんと、無事にここにいるわ』

『っ……けどよ……』

『大丈夫。龍野君、こっちに来てほしいな。お願い、ね』

『あ、ああ……』


 龍野はヴァイスの懇願する様子を見て、一歩を踏み出す。そしてヴァイスの側まで、歩を進めた。


『うふふ……』


 するとヴァイスは、龍野の両頬に、それぞれ手を添えた。

 観念した龍野は、悪あがきとばかりに言葉を残した。


『それがお前のお願いか』

『ええ、そうよ』

『わかった。まあ俺は、もうしな』

『わかってるじゃないの』

『だが主導権は俺が貰うぜ』

『えっ……?』


 ヴァイスの後頭部を右手で押さえ、軽く引き寄せてキスする。


『ちょっ、こらっ、龍野君……!』


 念話だから必死になって喋っている。

 が、龍野はどこ吹く風と言った様子だ。


(……やだね。やめてやるもんか。

 俺はもう、やってやるって決めたんだよ!)


『こらっ、いい加減に……』


 限界を迎える寸前のヴァイスは、龍野を押しとどめようとする。

 それを聞いた龍野は、ここぞとばかりにヴァイスをからかった。


『だったらヴァイスも、俺と同じようにしろよ』

『言ったわね……? この……っ!』


 ヴァイスも龍野の後頭部を押さえつつキスを続ける。

 龍野は負けじと、舌を絡めてやった。


(あの時のお返しだぜ、ヴァイス。せいぜい顔を真っ赤にしやがれ!)

『ッ……龍野、君……!』

(おっと、そろそろ息切れかな。)


 龍野は舌を戻すと、一気にキスを解いた。


『きゃっ……!』

(さて、これで懲りてくれたかな?)


 そう思いながらニヤニヤしてヴァイスを見る龍野。

 ヴァイスもまた、ジトッと龍野を見つめていた。


『もう、龍野君……強引ね』

『からかわれたからな、そのお返しだ。何なら、もっとやってやろうか?』

『お断り……いえ、いいわよ? やりたいのならね』


 あっさりと承諾した事に、龍野は内心で少々驚愕した。


(わあお、意外だな。

 お姫様となれば、もっとこう……貞淑であるとか、そういうことを考えるはずだ。

 けれど……まあ、俺にキスをせがんだくらいだしな。非常時だったけど。

 にしても……妙につかみがたいところがあるのは確かだ。

 もう一回、試してみるか?)


 龍野はヴァイスを再び抱きしめ、強引にキスした。


『ほ、本当に、やったわね……』

『試してみたくてな』

『あん、試されちゃった』

『それよりも、お前……』

『何かしら?』


『ひょっとして、俺のこと好きか?』


『ええ。好きよ』


 龍野はぎょっとした。

 ある程度の確信を持っての質問だったが、それでも、龍野はぎょっとした。


『おいおい……即答かよ』

『即答するわよ。小さい頃から、ずっと想ってきたのだから』

『えっ? どういうことだ?』

『はっきり言うわね。いいかしら?』

『ああ、頼む。はっきり言ってくれ』


 龍野は居ても立っても居られなくなり、食い気味に答えた。


『なら、言うわ。私が龍野君に惚れるきっかけをね』


 一転して神妙な様子となったヴァイスを見て、龍野は覚悟を決める。


(これは長くなるな)


 龍野はヴァイスの話を聞くために、ゴクリと唾を飲み込んだ。


『私がそもそも貴方に惚れる理由はね、龍野君。小学四年生の時の出来事を、思い出してほしいの』

(小学四年生? ……あっ、まさか!)


 龍野は、ある事実に思い至る。


『お前……“いじめ”とかいう、ふざけたことをされてたんだろ? その時』

『ええ、そうよ。その時はもうひどかったわ。二階の教室からバケツで水をかけられそうになったり、教科書とかをぐちゃぐちゃにされたり。龍野君がいなかったら、どうなっていたかわからないわ。けれど、本題はそこではないのよ』


 ヴァイスが一度話を区切る。


(こういう整理の時間は、俺にとってはありがたいもんだぜ……)

『そして、忘れもしない十月七日の夕方……きっかけは起きたわ。同級生の女の子や、その取り巻きの男の子達から、理不尽な暴力を受けた。龍野君がいなければ、今度は死んでいたかもしれないわね。けれど龍野君は助けに来てくれた。一人であるということを顧みず、ただ私のために』

『二つ口を挟んでいいか?』

『ええ、どうぞ』


 少し気になることがある。幸いヴァイスは了承してくれたため、龍野は遠慮なく口を挟むことに決めた。


『一つ、幼馴染が危険な目に遭ってるのを助けるのは、一人であることを顧みるとかじゃない。当然のことだろ』

『龍野君らしい美学ね。私はそこに惚れたのもあるわね』

『そりゃあ、ありがとよ。とにかく、次に本題のもう一つ。。当事者のお前のトラウマを掘り返すようだが、いいか?』

『何でもどうぞ』

『お前、その時のことを覚えてないか?』

『覚えてるわよ、鮮明にね。そうね、その時の龍野君は……。お陰で私は助かったわ』


 龍野は「ああ……」と当事者ながら、上の空で同意しようとした。

 だが強烈な疑問が、龍野を襲った。


(『』って、何なんだ?)


『なあ、ヴァイス。質問を繰り返すようで悪いんだが……』

『いいわよ、いくらでも聞いて頂戴。この問答が終われば、しばらくは……そうね、一週間は会えなくなるのだから』

(!?)


 突然の告白に、龍野は目を丸くする。


(一週間は会えなくなる? どういう意味だ!?

 だが今の優先順位は別の質問が一番上だ。まずそっちを先に片づける!)


 ヴァイスの言葉を飲み込めない龍野であるが、まずは目の前の話を解決する事を決めた。


『そのレインボーブリッジの時も、俺の記憶は曖昧で……その、覚えてない、んだが……』

『ではこちらから聞かせて頂戴。あの時、体は重かったかしら?』

『ああ。ワケもわからねえまま、重い体を引きずった記憶なら、ある』

『では、「炎」と「空」の二人組と戦った記憶は、あるかしら?』

『あるぜ。気付いたら、あいつらはいなくなってたさ……』

『これでわかったわね。龍野君、貴方は魔力を解放する時点での記憶が抜け落ちるようになっているわ』

『どういう、ことだよ……?』


 龍野の疑念はますます膨れ上がった。

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