第六章 楽園と約束と新たなる力

第六章一節 ”楽園”も楽じゃない

「ここは……どこだ?」


 龍野が目覚めて最初に見た光景は、砂場と、碧い海だった。

 周囲を見渡すと、古い神殿のような建物を見つける。


「あれは……」


 龍野が一歩を踏み出すも、すぐに前のめりになって倒れる。


「うっ!」


 それでも龍野は、手を前に出し、這いずってでも進もうとする。

 その手を優しく抑える、別の手があった。


「もう、龍野君。無茶はしないでちょうだいな」

「ヴァイス……」


 龍野が見上げた先には、見知った少女の顔があった。


「ここには、見るべきものは無いわよ? 今は、だけどね」

「ヴァイス、教えてくれないか?」

「何かしら?」

「ここは一体、どこなんだよ?」


 龍野の質問を聞いたヴァイスは、鼻で僅かに息を吸う。

 そして、はっきりと答えを返した。




「ここは“楽園”よ。未完成の、ね」




「“楽園”……?」


 龍野にとって、その単語はすぐには受け入れられないものだった。

 これが“グアム”だの“ハワイ”だの、現実にある地名ならば、あっさりと受け入れていただろう。

 だが、漠然とした“楽園”という単語は、龍野の思考をマヒさせた。


「龍野君、聞いてるかしら?」

「……」


 仕方ないわね。ヴァイスは一瞬だけ逡巡しゅんじゅんした後、龍野の頬をペチペチと叩いた。


「龍野君、気を失うにはまだ早くてよ?」


 それでも龍野は目を覚まさない。

 ヴァイスは諦めずに十秒ほど叩き続けると、ようやく目を開けた。


「う……ん……」

「貴方が休むべきは、あの神殿よ」

「どう、いう……こと、だ?」

「宿泊施設を備え付けてあるの。ひと休みするには十分なくらいに、ね」


 ヴァイスは龍野に肩を貸し、引きずるようにして無理やり進む。


「龍野君……重いわね」

「うっせ!」

「うふふ。体重を言われて反射的に怒るなんて、女の子みたい」

「そういう、ヴァイスは……どう、なんだよ?」

「平均的なレベルよ。ふふふ」

「重そうな、もの……ぶら下げてる、くせに……」

「あらあら、セクハラかしら? 今の言葉、言ったのが龍野君じゃなかったら、地面に放り投げてるわよ」

「セクハラでいいよ、もう……。それより、あとどれくらいだ?」

「50メートルね。頑張って、龍野君」


 ヴァイスは龍野を――冗談も交え――鼓舞する。

 歩き続けて五分、ようやく神殿に到着した。


「もうすぐよ。もうすぐ、たっぷりと休む時間をあげるわ」

「ああ……。何とか、歩けそうだ」


 龍野はヴァイスから一度離れ、ゆっくりと歩く。


「さっきも言ったように、まだこの“楽園”は未完成なの。そして、この神殿もね。だから、まだ一階だけしか無いのだけれど……ほら、ベッドが見えたでしょ?」

「ああ……」


 龍野は持てる限りの気力を振り絞り、ベッドまで歩む。


「それじゃ、おやすみなさい。龍野君」

「おやすみ、ヴァイス……」


 靴を脱ぎ、横たわった龍野の意識は、一瞬で闇へと変わった。


     *


「うふふ。ゆっくりしててね……」


 龍野君が眠ったのを見届けた私は、一人静かに“楽園”を去る。

 お父様には悪いけれど、優先すべきことがあるの。

 さて、やるべきことをやらないとね。私は“楽園”から直接ヴァレンティア城に戻り、机上の書類整理を始める。

 あったわ、尋問会開催の書類。開催日はちょうど一週間後……。三日前と当日に、龍野君に連絡しないとね。


     *


「あれ、龍野? 百合華ちゃん?」

「鬼王」

「須王だ!」

「誰だよ、その子?」

「ヴァイスシルト・リリア・ヴァレンティア姫殿下だよ」

「ああ、姫様か。そういえば『日本名を得た』、と話されていた記憶があったが……そうか、日本では百合華と呼ばれていらっしゃったのか」

「そうだよ。それよりも、二人ともどこ行っちまったんだ? さっきまではここにいたはずだろ?」

「さあ、見当たらねえな。帰った様子もねえし」

「やれやれ……。まあ彼女も第一王女だし、それなりには忙しいだろうが……うーん……」

「挨拶しようにも、できなかったんだろ。それぐらいはわかってやれ、鬼王」

「須王だ! まあ、そう思うしかないしな……」


 龍範は腑に落ちない様子であったが、渋々その場を後にし、疲れた体を癒そうと決めた。


     *


「うん……」


 龍野が目覚めたとき、既に“楽園”は夜を迎えていた。


「よく眠れたな……。それにしても、ハラ減ったぜ。食べ物はどこだ? まさか自給自足……」

「じゃないわよ、龍野君」

「なっ!? 何だ、ヴァイスか……驚かせるなよ」

「もう、人をお化けみたいに言わないの」


 ヴァイスは頬を膨らませ、ぷりぷりと怒っている。いや、怒ってはいるが……龍野の気を引きたい、のだろうか?


「それよりも、貴方が今食べたいものを念じてみて?」

(俺が今、食べたい物……。焼肉だな)


 すると、焼肉の匂いが龍野の鼻をついた。


(ん、どういうことだ……? しかも、ご丁寧にタレまでかけたような匂いだ……)

「うふふ、龍野君。『焼肉が食べたい』って思ったわね?」

「な、何でわかるんだよヴァイス!?」

「それはね、よ。論より証拠、こっちにいらっしゃい」


 ヴァイスの後に続く龍野。




 そこには……大皿に載せられ、タレをかけられた焼肉が、ドドンとテーブルの上に鎮座していた。




「な、何じゃこりゃああああああ!?」

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