第二章六節 女伯爵と二人の騎士
「ふう……ここまで来れば一安心ね。さて、龍野君」
「何だ?」
「これを機に、一度ヴァレンティアまで逃げるわよ。私の乗る専用機に同乗なさい、従者の皆様に話を通しておくから」
「わかった」
二人は夜になると、一度ヴァイスが公務の都合で泊まっていたホテルに向かった。そしてその日のうちに、ヴァレンティア王家専用機でヴァレンティアまで向かった。
*
ヴァレンティアに到着してから、専用車でヴァレンティア城まで向かう龍野達。
やがて、車が守衛所前のゲートに止まった。
「
従者達がいるからか、改まった口調で話すヴァイス。
「しかし、姫様……」
「今は歩きたい気分なのです」
「わかりました……」
従者は渋々二人を降ろすと、車両用ゲートを通って城内に戻った。
二人きりで歩行者用ゲートに向かう。
「龍野君。騎士章と銅判はあるかしら?」
騎士章はバッジ状の、騎士身分であることを証明するものだ(正確には略式の勲章扱い。“
同じく渡された銅判も、実印を兼ねた身分証明用の道具である。
「当然だ。どっちも言いつけ通り、肌身離さず持ち歩いてるぜ」
龍野は二つとも懐から取り出し、守衛にはっきり見せる。すると怒りの声が返ってきた。
「騎士の貴方が姫様よりも先にお入りになるとは!」
「私が許したのです。どうか落ち着いて」
それをヴァイスが制する。
守衛は渋々といった表情で怒りを抑えると、二人の通行を許可した。
*
「律儀な守衛だな」
「ええ。けどごめんなさい、嫌な思いをさせてしまって」
「いや、最優先されるべきは王、それにその一族だからな。彼の怒りはもっともだ」
龍野は先程のいざこざを気にしていない様子を、ヴァイスに話した。
「姫様! お待ちしておりました」
すると橙の服に身を包んだ女性が、二人の前に現れる。
ヴァイスと同等の背丈に、凛々しい面構え。腰にはサーベルを佩いている。
「そちらの騎士は?」
「私が頼み込んで取り立てさせて頂いた者です。須王卿、この方は閣下と」
「初めまして閣下、須王龍野と申します」
龍野が挨拶する。
ヴァイスが翻訳して、フィーベルスに伝えた。
「そうか……お前がヴァイス様に。私はフィーベルス・シュムックケルプヒェン・フレイアだ。ヴァイス様のお父上である現国王陛下から、伯爵の爵位を賜っている。以後お見知りおきを」
名乗り返すフィーベルス。
その言葉をヴァイスが翻訳し、龍野に伝える。
翻訳された言葉を聞いた龍野は、うやうやしく跪いた。
「して、フィーベルス伯爵……一体何用でしょうか?」
ヴァイスが訊ねる。
「実は私の配下の騎士二人が、須王卿の叙任式をどこかで知ったようで……姫様に直訴しようとしまして」
「まあ、それは……」
「当然私は厳しく言い含めようとしたのですが、どちらも頑として考えを改めようとはしませんでした。勿論厳しく処分はするのですが、直訴は免れないでしょう……」
「わかりました。フィーベルス伯爵、処分はまだ控えてください」
「え? しかし……」
「もう一度言います。処分はまだ控えてください」ヴァイスは揺らがず、淡々とフィーベルスに告げる。
「まず
「わ……わかりました」
「二人を私の部屋へ案内してください。部屋の前で待っています。須王卿もご一緒に」
「はい」
龍野とフィーベルスが同時に返事をする。
そしてヴァイスは龍野を連れて部屋の前まで行き、フィーベルスは待たせていた騎士二人の所まで戻って行った。
*
「ごめんね、龍野君。私達、ヴァレンティアの面倒ごとに巻き込ませて」
「まったくだぜ。さっさと切り抜けたいな」
龍野は嘆息する。
すると、複数の足音が響いた。
「そろそろじゃねえか?」
「ええ、そうね」
二人が振り返ると、フィーベルスが二人の騎士を連れて歩いてきた。
「こちらだ。姫殿下へ挨拶を」
フィーベルスが促す。
「ギルバート=レオンに御座います、姫殿下」
騎士の一人が、ヴァイスに挨拶する。
「アイザック=アルスに御座います、姫殿下」
続けて、もう一人も同様に挨拶する。
やはりヴァイスが翻訳し、龍野に伝えた。
「初めましてお二方、私は須王龍野と申します。以後お見知り置きを(こんな感じで、いいんだよな?)」
それをヴァイスが、ヴァレンティア王国の公用語であるドイツ語に翻訳する。
聞いた途端に、騎士二人が会釈した。
「では私は外で待機しております。何かあったらお呼びください」
フィーベルスがヴァイスに言って、部屋の入口の脇に立つ。
「では行きましょうか、レオン卿、アルス卿、それに須王卿」
「はい」
三人の騎士が同時に返答した。
道中、ヴァイスが龍野に念話で伝えた。
「必要があったら、こっそり翻訳するわ」
龍野もまた、念話で返した。
「助かるぜ」
ややあって、ヴァイスの執務室に到着した。
ヴァイスはカードキーをリーダーに通し、まず三人の騎士を部屋に入らせてから、自分も入った。
*
「では、本題に入ります」
ヴァイスが机に座ってから、二人に向き直る。
「レオン卿並びにアルス卿、貴方達が私に直訴したいことがあると聞きましたが……」
「ええ」
二人が左膝を立てた姿勢のまま、返事をする。
「ではレオン卿から伺います。直訴の内容は?」
「はい。私が直訴したいのは、何故姫様が須王卿の騎士叙任式を行ったか、についてでございます」
「アルス卿は?」
「私もレオン卿と同じでございます」
「わかりました」
二人の言い分を聞き、ヴァイスはゆったりと、しかし威厳をもって答えた。
「須王卿を騎士に据えなければ、私は遠からず死ぬからです。当然ながら、現国王であるお父様の許しも頂いております」
「理由になっておりません、姫殿下!」
アイザックが声を荒らげる。
「何を言うか、レオン卿!」
龍野が制止の声を上げる。それをヴァイスが翻訳する。
「貴公には聞いていない!」
そうギルバートが反駁する。
ヴァイスが即座に、念話で、「今の言葉は一蹴された」という事実を伝えた。
龍野の目が、はっきりわかるくらい三角になった。
「いくら国王陛下からの許しを頂いているとはいえ、この様なことを……。第一王女というかくも重要であるお立場であることを弁えて頂きたい!」
「貴方達に詳しい理由を話す道理はありません。もし道理があったとしても、言えば納得して下さる……そのようになるとは思っておりません」
「結局は、話されるご意思は無い、と?」
「ええ」
当然だ。
ギルバートとアイザック、二人は騎士ではあるが、魔術師ではない。
龍野やヴァイス達から、魔術師に関する話など、出来なかった。
「では須王卿の実力をお聞かせ願いたい」
ギルバートが訊ねる。
「彼は騎士足りえる実力を持ち合わせています」
「残念ながら、言葉だけで信じることは出来ません」
ギルバートはヴァイスの返答に納得せず、さらに詰め寄る。
その様子を見たヴァイスは、ハッキリと告げた。
「それでは、私とシュシュが直接相対して負けたとしても?」
「!?」
ヴァイスのその一言で、二人は大きく動揺した。
「模擬戦とはいえ、確かに彼は私とシュシュを打ち負かしました。私達は鍛錬をたゆまず続けたと、貴方達に認められているにも関わらず、です。私の父たる現国王にかけてそう断言します」
動揺収まらぬ二人である。
が、ギルバートは意地でもって、さらに反駁した。
「っ……。しかし我々は須王卿の実力を知りません! 姫殿下を疑うわけでは断じてありませんが、我々に須王卿の実力を見せて頂きたい!」
「仕方ありませんね……。このようなことが起きた以上、決闘を以って解決する他にありません。宜しいですか、須王卿?」
ここまでをドイツ語で言った後、念話で日本語に翻訳するヴァイス。
それを聞いた龍野は、「仰せのままに」と返事した。一瞬のち、ヴァイスがドイツ語に翻訳して話す。
「では今週土曜日の午前十時に、騎士宿舎の公開決闘場にて須王卿との決闘を行います。順序はどうしましょうか?」
「私が先に」
ギルバートが進み出る。
「構いませんな、アルス卿?」
「元よりそのつもりだ、レオン卿。そもそも須王卿と相対するのを望むのが貴公である以上、私が出しゃばるつもりはない。姫様、私は須王卿との決闘を望んでおりません」
「では須王卿との決闘はレオン卿のみが行う。よろしいですね?」
「その通りでございます、姫殿下」
ギルバートが承諾する。
「そのようにお願い致します」
アイザックも同様に承諾する。
「では本日はこれで。二人もよろしいですね?」
「はい、姫殿下」
二人が返事する。
「では私達は、これで失礼致します」
二人が出て行ったのを見届けた龍野とヴァイス。
ヴァイスが要点を簡潔に伝えた。すると龍野が立ち上がり、ヴァイスに訊ねる。
「やれやれ……。こうなるだろうと思ったよ」
「本当にごめんなさい、龍野君……」
「で? あの跳ねっ返りをボコボコにしろと?」
「ええ、そうなのだけれど……。彼等は二人とも、騎士団の中では五本の指に入る実力なの。それに……」
「魔術の行使不可、か」
「話が早いわね。そうよ、彼等は魔術を使えない一般人。もし彼等相手に使ったら……」
「お前に助けられた以上、迷惑はかけられないからな」
「幸い決闘は木刀で行われるから、致死性は低いけど……」
「ってか障壁はどうすんだよ? 全自動だろ?」
「そうなの、それが問題なのよ……。万能ではあるんだけど、自分で調節出来ないのが困るの……」
「距離は?」
「へ?」
「決闘開始のタイミングで、俺と奴等の距離はどのくらいだって聞いてんだよ」
「五メートルだけど……どうしたの?」
「わかった。それくらいなら何とか出来る。あと木製のナックルダスターは準備出来るか?」
「ええ、出来るけど……どうして?」
「使い慣れた武器が良いんだよ。出来るなら頼むぞ」
「わかったわ」
「ところで、だ……ヴァイス」
「ひょっとして、学校かしら?」
「話が早いな。そうだ、出来れば今すぐ帰りたい。やむを得ず逃げたとはいえ……」
「明日まで待ちなさい。現地に協力者がいるんだけど、確認を取るから」
「協力者!?」
「現地の人々に対価と通信機を手渡して、『何か異常が発生したとき』と『その異常が収束したとき』の両方のタイミングで連絡をするよう伝えたわ。異常が発生したときは龍野君の連絡が先だったけど……。保険をかけておいて良かったみたいね」
「すげえな……お前」
「これくらいは基本中の基本よ。情報戦を制した者は、戦いの大半を制したをも同然だもの」
ヴァイスは淡々と言った。
「それよりも、貴方の部屋に案内するわ」
「俺の部屋? あそこは俺が特訓を受ける間だけの貸し部屋じゃなかったのか?」
「同盟を結んでいるって言ったでしょ。あの部屋は龍野君、貴方専用の部屋にしているんだから。ちなみに他にも『土』の人用の部屋を開けてあるけど」
「あいよ、改めて案内してくれ」
「言われなくても」
ヴァイスは龍野を連れて歩き出した。
*
三分ほど経過して、龍野の部屋の前に着いた。
「荷物は全て、こちらで纏めたわ。そうだ龍野君、これ」
ヴァイスが何かのカードを差し出した。カードには“8”と書かれている。
「龍野君の部屋のカードキーよ。それが無ければ部屋には入れないわ。肌身離さず持っていて」
「ああ……わかった」
龍野はヴァイスを見送り、借りたカードキーでそのまま部屋に入った。そしてベッドに飛び込むと、疲れに任せて眠り込んだ。
*
一方ヴァイスは、龍野が部屋に入るのを僅かな音で聞き届けたあと、一人愚痴をこぼしていた。
「あの二人は……どうして、龍野君にああも不平を告げるのでしょうか? 私にとっては、彼はかけがえのない存在ですのに……」
そこにフィーベルスが通りかかった。
「ヴァイス様、どうかされましたか?」
「フィーベルス伯爵……いえ、何でもありません。ただ、少し気が立ってしまって……」
「では、少しお休みを……」
「いえ。まだ少しですが、お父様からの課題が残っています。それが済むまでは休んでなどいられません」
「わかりました……」
「では失礼します」
ヴァイスはゆっくりと歩き出した。その様子を見たフィーベルスが、ぽつりと呟いた。
「ヴァイス様……あの騎士に、どうしてそれほどの覚えをお与えになるのですか……? 私には、全くもって理解しかねます…………」
*
龍野が目覚めたときには、既に夜の十時を迎えていた。
「ふあ~あ、あれから十二時間か……。よっぽど俺は疲れていたみたいだな……」
龍野の隣には、夕食が置かれていた。トレーの下にメモが添えられている。
「『起きたら食べてちょうだい。ヴァイスより』……。まあいいか、丁度腹も減ってたことだし」
すぐに食事を始めた龍野。あっという間に平らげてしまった。
「さて、少し休んだらヴァイスのとこに行くか……」
「ん。起きたのね、龍野君」
ヴァイスが、部屋にいた。
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