第二章三節 ヴァレンティア、再び
本を片手に屋上へ行く龍野。
彼が学校でのんびりできる、唯一の時間だ。
屋上に着くと、ベンチに腰掛けた。ヴァイスも隣に座る。
龍野は栞を挟んだページを開き、ゆっくりと本を読み始めた。
少ししてから、ヴァイスが「何を読んでるの?」と聞いてきた。
龍野が「『ヴェニスの商人』だ」と返すと、「へえ~」と驚かれた。
(驚くことだろうか?)
しばらくすると、授業開始五分前の予鈴が鳴った。急いで栞を挟み、小走りで教室に向かう。
(やれやれ、自分のした事とはいえ、面倒くさいぜ……)
ちなみにヴァイスは、四時間目終了時点では、もういなくなっていた。
多分、龍野が屋上を去るときにそのまま帰ったのだろう。
*
それから二日が経過した。
ヴァイスの言っていた通り、龍野は大した準備をしないで済んだ。彼女の手引きで案内され、羽田空港へ向かう。
相変わらず、飛行機での長時間フライトである。
今回もすぐに眠ってしまった。
目が覚めると――
(どこだ、ここ? 以前来たベルリン・テーゲル空港とは違うが……)
「おはよう、龍野君。ここはヴァレンティア王家私有地の飛行場よ」
(そうか……道理で見たことない所だ)
「ここからさらに車で三十分。もう少し付き合って」
それから龍野達は車で移動し、気づけばヴァレンティア城の敷地にいた。
どうやらまた眠っていたらしく、ヴァイスに優しく揺り起こされた。
「龍野く~ん、起きて、起きて~」
「ふあ~あ……観光か……」
「嫌だった?」
「そういう訳じゃないが……まさかお前から誘ってくるとは思わなかったぜ」
今でもまだ驚いている。正直、龍野にとって観光――しかも海外の一等地――は縁が無いものとばかり思っていたからだ。
「まあゆっくり歩きましょ」
ヴァイスに先導されて歩き始める。
「ここはヴァレンティア城下街。晴れの日も雨の日も、毎日栄えているわ」
歩きながら、穏やかにヴァイスが語る。
ふと、龍野の視界に、一枚のポスターが映った。
「ヴァイス」
「何?」
「あのポスターは?」
龍野がポスターを指さす。
ポスターには、『VVG団員募集!』と大きな文字が躍っていた。
「あれかしら? あれはね、VVG……『ヴァレンティア自警団』の募集案内よ。毎年この時期になると、必ず街中に貼っているわね」
「そのヴァレンティア自警団ってのは、何をするんだ?」
「VVGで良いわよ……まあ代表的な活動は、社会奉仕ね。城下街の清掃活動、募金活動、災害派遣……凄いもので言えば、捜査活動への協力までしていたわ」
「捜査……ってマジかよ……」
「ええ。それで団員の皆様なんだけど、ベージュを基調とした制服を着ているわ。ほら、あっちの方角にいるわよ」
「どこだ……っていたいた。あの団員は何をしているんだ?」
「パトロール活動ね。正直、彼等がいてくれて助かるわ」
「どれだけ助かってるんだ?」
「警備の予算、約15%……数十億単位での、削減」
「そんなにか!?」
「と言っても、発足以来二十年間の累積での結果だけどね」
「それでもすげえな……」
龍野はVVGの活動に舌を巻いた。
「さっ、観光を続けましょ」
ヴァイスが少し強引に龍野を先導した。
少し歩いていると、しゃれた外観の高層ビルを見つけた。
あのビルは何なのか聞いてみると、ヴァイス曰く「城下庁舎」(日本で言う東京都庁)らしい。
(日本の東京都庁よりも建物が高いんじゃないか……?)
龍野は改めて、ヴァレンティア――正確には“ベルリン”だが――の発展具合に、舌を巻いていた。
そのあとも街中を歩き回り、観光がてら大まかな地形を把握した。
そして二人は、ヴァレンティア城に入った。
「おい、だいぶ前にも来ただろ、ここ?」
疑問に思った龍野は訊ねる。
「そうね」
ヴァイスは淡々と答える。
「ならなんで俺を案内する?」
鈍いと思われるかもしれないが、敢えて龍野は訊ねた。
「私の口からは言えないわ。代わりに」
ヴァイスが胸を指す。
それを見た龍野は「念話で話せ」というメッセージに気が付いた。
意識を集中させて念話を使用する。
「繋げたぜ。さて、改めて質問だが……」
「再び私達の城を案内する理由、よね?」
「ああ」
「それは簡単。この城自体が『水』の本拠地だからよ」
「まあ、何となく予想はしてたんだがな」
「うふふ、流石ね。説明の続きよ、現在の時点で貴方の所属する『土』と私の所属する『水』は、同盟関係にある。つまり、この二属性間での攻撃行動が一切出来ず、代わりに互いをサポートする……そういう関係にあるわけ」
ヴァイスが一旦話を切り、一呼吸置いてから続ける。
「だから、互いの本拠地の情報をある程度公開することは、お互いに都合が良くなるのよ」
「質問だ」
「何?」
「同盟関係……ってのが解除されることは、無いのか?」
「あるわよ」
「それって……重要な部分である本拠地をバラすのは、まずいんじゃないのか?」
「実に合理的な質問ね。そう、確かにまずいわ。けどね、龍野君」
「何だ?」
「馬鹿正直に、全部バラさなくてもいいのよ。例えば、同盟の解消を懸念して、絶対にバラしたくない場所を隠し通す、とかね」
なるほど、そういう手もあるにはあったか。龍野が感心していると、ヴァイスが「でもね」と付け足してきた。
「私は龍野君を信じてる……なんてことは言わないわ。言わないけど……それでも、私だけは龍野君の味方でいるから。そうでなければ、ここを公開することはしないわ」
(おおう、随分と大胆なセリフが……)
「着いたわ。ここが本拠地の入口よ」
話している内に、だいぶ歩いていた。
そう言って入るように促したのは、他の扉と代り映えしない扉だった。
しかしよく見ると、セキュリティレベルが“8”だ。以前龍野も見たが、この城の中でのセキュリティは最高レベルである。
龍野が思索に耽っていると、ヴァイスからカードキーを手渡された。カードリーダーに通して解錠する。
八連の扉は、あっさりと道を開けた。
「ついて来て」
少しして、曲がった廊下に出る。
「ここは『
ヴァイスがドアを開け、龍野は彼女に続く。
『龍野君』
『何だ……何だこれ!?』
『俺は確かに、声が出るよう普通に喋ったのに……』
『気付いたみたいね。そうよ、ここはさっき言った通り、水の音以外は一切音が存在しない部屋。ただ、代わりに……漫画の吹き出しよろしく、喋った言葉が文字として出るわ』
(静謐って、そういうことか……)
龍野は納得と同時に、驚愕した。
『ところで龍野君、外からこの城を見て、やけに大きな煙突状の物を見なかった?』
『ああ、見たな。それがどうした?』
『あれはね、ここの真上に通じてるの。普段は先端と途中にある扉で内部構造をわからなくしてるけど』
『なるほどね……けど、バレないのか?』
『意外とバレないものよ。さあ、次行きましょ』
二人は『静謐の間』を出て、さらに歩く。
「着いたわ。私達『水』の作戦室よ」
ヴァイスがドアを開けて入り、龍野も後に続く。
「うーん……今日は誰もいないわね……。仕方ないわ、帰りましょ」
「もし誰かいたら、どうするつもりだったんだ?」
「貴方の紹介よ。同盟属性のメンバーだし、後々連携することになるかもしれないから」
「そうか、それは残念だ」
二人は来た道を引き返す。城で一時間の休憩を取った後は、そのまま正門前に停めていた車に乗った。
*
「それじゃまた学校でね、龍野君」
ヴァイスと別れの挨拶を済ませると、既に羽田空港に到着していた龍範の車に乗る。
(ああ、これつい最近見たことある……。デジャヴってやつか……?)
自宅に着いてすぐにベッドに飛び込んだ。
そのとき龍野は、何となくだが寒気を覚えた。
*
月曜日。
いつものように朝食を食べ、支度を整えて、ジョギングで通学する。今日からまた一週間が始まる――
龍野がそう思っていると、校門前が何やらざわめいていた。
「どうしたんだ?」
群衆の一人に訊ねる。
「変な女が現れて、『須王龍野を呼べ』って……」
「おおう、マジか。一体俺に何の用だ?」
考えていると、唐突に学校から声が響いた。
「須王龍野に通告する。直ちに屋上に一人で来い。来なかった場合、もしくは二人以上で来た場合は、人質として確保している生徒九名を殺す」
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