第二章二節 ありふれた日々

「で、今更なんだが」


 須王家の一室。

 そこでは、龍野がヴァイスに質問を投げていた。


「何かしら、龍野君?」

「ヴァイス、お前どこから来た?」

「ヴァレンティア城からよ」

「嘘だろ!?」


 龍野は全力で叫んだ。

 まさか瞬間移動はしないだろう、とは思いつつも、衝撃が大きかったのだ。


「冗談よ。実は私、公務の都合で日本に来ていたの。じきに宿泊先である、近くのホテルまで戻るわ」

「そうかよ……。なあ、今日だけ、泊まってくか?」

「その言葉、甘えさせて貰うわ。一応近隣住民の皆様に口止めはしてきたけれど、二日も近くを外出していたら騒ぎになるから」

「あいよ、今日だけな。

 お袋ー、客だぜー」

「お邪魔します。

 小学生の頃は、お世話になりました」


 すると、のんびりした様子で紗耶香が出て来た。


「はーい……って、え!?」


 いつもの調子でいられたのも一瞬だ。

 龍野の隣にいるヴァイスを見て、一気に表情が、驚愕の色に染まる。


「龍野、どうしてこのお方が……ヴァイスシルト・リリア・ヴァレンティア殿下が、うちに!?」

「ああ……まだお袋には話してなかったか。ヴァレンティア王国王女、ヴァイスシルト・リリア・ヴァレンティア改め……」

「善峰百合華です」

(おいおい……流れぶった切りかよ……)

「まあ、百合華ちゃん……。

 貴方があのヴァレンティア王国の、王女様だったの!? 龍範さーん!」


 大慌てで走って行った紗耶香。


「知ってるよ。さっき会ってきたんだぜ」


 龍範のぼやく声が聞こえる。


「すまんな、今は晩飯の準備中だ。しばらく俺の部屋でゆっくりするか?」


 忙しくなった沙耶香を見て、龍野が訊ねる。


「そうさせて貰うわ」


 ヴァイスはゆったりとした動作で、龍野の部屋に向かった。


「兄ちゃん、どしたの?

 ……って、嘘だろ!? なんでヴァレンティアの姫様がここに!?」


 すると、龍斗がリビングに来た。

 案の定、ヴァイスの姿を見て、驚愕している。


「ああ、ヴァイスシルト・リリア・ヴァレンティア姫殿下こと、幼馴染の善峰だ」

「今はヴァレンティア王国の王女だけどね」

「ええ!? 善峰姉ちゃん、王女だったの!?」

「そうよ。まあ、今はちょっとワケありで、お邪魔させて貰ってるけど」

「わーい! 善峰姉ちゃんが家に泊まるってさー!」


 龍野達が話していると、さらに龍太と皐月までもがやってきた。


「善峰姉ちゃん!?」

「うふふ、お邪魔してます」


 龍野の弟達と妹が、ヴァイスの姿を見てはしゃいでいる。

 無理もない。

 憧れの“王女様”が、まさか須王家に来られる……などとは、夢にも思っていなかったからだ。


(お前等……仮にも十歳(龍太)と十二歳(皐月)、それに十三歳(龍斗)だろ、少し落ち着け)


 ただ、既に免疫のあった龍野は、かなり落ち着いていたが。


「ご飯、できたわよー」


 すると、丁度良いタイミングで紗耶香が声をかけてきた。


「ほら、お前等行くぞー」

「「はーい」」


 ヴァイスも一緒に連れて、龍野達はダイニングまで向かった。


     *


「ご馳走様でした!」


 夕食を終え、龍野達はソファに座る。


「代り映えのしないニュースばかりだ……」


 つまんねえ、と龍野はぼやいた。


「ねえ、龍野君」


 ボーッとしていると、、ヴァイスが呼びかけた。


「何だ?」

「私はこのあとお風呂を借りるけど、皐月ちゃんと一緒でもいい?」


 同じ“女の子”として、旧交を温めたくなったのだろう。

 龍野は素直に、オーケーを出した。


「ああ。皐月、善峰が呼んでるぞー」

「はーい」


 皐月本人も、素直に行く。

 王女様からの誘いを断るつもりは無いし、何より皐月も、ヴァイスとは昔馴染みであるからだ。


(しかしまあ、暇なものだな……)


 龍野は皐月がリビングを出たのを見届ける。

 そしてチャンネルを弟達の見たい番組に合わせると、勉強と鍛錬の為、部屋へ向かった。


     *


 所変わって、須王家の風呂。

 風呂ではヴァイスと皐月の二人が、それぞれ体を洗ったあと、ゆっくりと湯船に浸かっていた。


「ねえ、お姉ちゃん」


 皐月が訊ねる。

 彼女にとって、ヴァイスは“お姫様”であり、“昔馴染み”なのだ。


「何? 皐月ちゃん」

「お姉ちゃんは、好きな人がいるの?」

「いるわよ。そう言う皐月ちゃんは?」

「うーん……いない、かなぁ」

「そう? とっても可愛いのに」

「えへへぇ、照れちゃうな。ところで、お姉ちゃんの好きな人って誰? 龍野お兄ちゃん?」


 “龍野”の名前が出た瞬間、ヴァイスの顔が一気に赤く染まった。


「ち……違うわよ! 確かに龍野君は私の幼馴染だけど……(うぅ、鋭い……)」

「ふーん。じゃあ、誰?」

「そ、それは……」

「まぁ、聞かないでおくけど」

「ほっ……。そ、それじゃ、あまり長くいるとのぼせちゃうし、上がろっか?」


 これ以上はマズい。

 ヴァイスにとっても、皐月は昔馴染みではあったが……どうにも、やりづらいものがあった。具体的には、意中の相手をズバリ当てられるところ、など。


「うん!」


 そして二人は、ゆっくりと湯船から上がった。


     *


「さて……暇だな」


 龍野は宿題と予習をざっと済ませ、腕立てをしていた。


「九十八、九十九……、百! よし終わったぁ!」


 自己鍛錬の一つである腕立ては、龍野にとって毎日欠かせないものになっている。と、ノックの音が響いた。


「善峰か? 入っていいぞ」


 ドアが開くと――龍野の予想通り、ヴァイスだった。


「龍野君……今、暇かしら?」

「ああ、ちょうど今、暇になったところだ」

「お母さんから敷布団と掛け布団を借りてきたんだけど、場所が無くて……」

「ああ、俺の部屋の床を使え。つーか、用事はこれだけじゃねえんだろ?」

「うん。ちょっと話がしたくて……」

「どういう話だ?」

「貴方は、私のことをどう思っているの?」

「あ? そりゃお前……『大事な幼馴染』に決まってんだろ」

「へえ……」

「急にどうしたんだよヴァイス。何か不安なことでもあったのか?」

「いえ、そうじゃないけど……」

「ったく……ああ疲れた。先に寝るわ、お休みー」

「お休みなさい」


 龍野が寝付くと、ヴァイスが静かに口を開いた。


「龍野君……貴方は、私を『異性』として見てくれないのかしら?」


 そしてヴァイスは部屋の電気を消し、眠りに就いた。


     *


「おはよー、ヴァイス」

「おはよう、龍野君」


 翌朝を迎え、龍野は起きた。


(気のせいか、体がいつもより重いな……。

 けど、あいつらを起こさねえとな……)


 違和感は認識しつつも、龍野は義務感で、強引に体を起こす。


「朝飯食いに行くか……。おいお前ら、起きろおおおっ!」


 そして龍斗達の部屋の前に行くと、大声を張り上げて皐月達を起こす。

 少しして、まだ眠そうな体を引き摺りつつ、三人が部屋から出てきた。


「おはよ、兄ちゃん……」


 龍斗が眠そうな声で、朝の挨拶をした。


「ああ、おはよう」


 挨拶を返しつつ、龍野達は全員で朝食に向かう。

 ダイニングに着いた頃には、既に朝食の匂いがしていた。

 龍野達兄妹にとって、眠気が消える匂いだ。


「お前ら、手洗いは済ませたか?」


 龍野は皐月達に訊ねる。


「「うん!」」

「だったら飯だ、全員座れ。せーのでいくぞ。せーの」

「「いただきます!」」


 直前でヴァイスも混ざり、全員で朝食の挨拶を済ませた。


     *


「「ごちそうさまでした!」」


 全員で挨拶をしたあと、龍野は通学の準備をする。


「この全員でする挨拶も久々ね」

「だろうな。それよりヴァイス、今日は留守番を頼む」

「わかったわ。でも、発信機の反応が異常だったら……」

「わかってるよ。その時はその時だ」


 準備を整えつつ、ヴァイスと打ち合わせをする。


「オーケー、歯も磨いた。さっさと着替えるか」


 着替えを取りに部屋まで行くと、ヴァイスが「はい」と制服を差し出してきた。


「気が利くな」

「うふふ」


 会話を交わしつつ、龍野は着替えを済ませた。

 教科書、ノート等が全てバッグに入っていることを確認すると、ダッシュで家を出た。


「よし、行ってくるぜ!」


 順調に走り出す龍野。

 が、ちょっとした違和感を覚える。


(ん、荷物、ちょっと軽いな……?)

「龍野君待って、お弁当、お弁当!」


 ヴァイスが大急ぎで走って来る。


「そうか、弁当か! 済まんヴァイス!」


 龍野は得心した様子でヴァイスに向き直った。

 ヴァイスから弁当の入ったミニバッグを受け取ると、龍野は再びジョギングを続けた。

 龍野の通学は、一日たりとも欠かさずジョギングである。


 十分程度続けている内に、学校に到着した。

 昇降口で内履きに履き替え、小走りで教室まで向かう。


 1-Eの教室に到着してからは、さっさと教科書類を机の中にブチ込む。

 それも時間割り通りにだ。

 全て終わったあと、持ってきた水筒の中の麦茶を一口飲む。


 ここからは一人静かに鍛錬の時間だ。

 足早に屋上へ向かい、日課の腕立てと腹筋、それに背筋をこなす。


     *


 数十分後、それらを全て終えた龍野は教室に戻る。すると、ちらほらクラスメイトが見えた。


「おはよう!」


 龍野は生徒達に大声で呼びかける。


「おはよう……」


 まばらな挨拶が返ってきた。

 ドン引きした様子である。


(まあ、無視よりは良いか……)


 が、龍野は気にも留めなかった。


 しばらくして、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響く。

 席に着き、担任の号令と同時にホームルームが始まった。

 龍野にとっては相変わらず、業務連絡を聞くだけの退屈な時間だ。

 ホームルーム終了のチャイムが鳴り響くと、ひとまず安堵する。


 午前の授業が終わって、昼休みを迎えた。

 さっさと教科書等の片付けを済ますと、食堂へダッシュで向かった。


(俺のクラスからはちょっと遠いが、このペースなら恐らく…………。大丈夫、間に合ったみたいだ)


 素早くカレーパンを手に取り、購買のおばちゃんの前に並ぶ。


「これください」

「はいよ。百三十円ね」


 値段を聞いてから、予め用意していた小銭を手渡す。

 近くの適当な席に座り、持って来ていた手提げバッグを乗せる。

 バッグの中身は沙耶香お手製の弁当だ。


「いただきます」


 手を合わせて呟くと、弁当を開けた。


『龍野君♪』


 すると、ヴァイスの声が聞こえた。声のした方向を見ると、そこには――茶髪緑眼の少女がいた。


『お前、誰?』


 意識よりも先に、素で呟いていた。


『ヴァイス……善峰よ。って、ああ、そういえば……。ふふっ、龍野君には『お忍び』の姿を見せるのは初めてだったわね。ちょっと待ってて』


 そう言って、少女は変身を解く。

 一瞬の後、見慣れたヴァイスの姿が見えた。


「ちょっと待て、なんでわざわざ変身してんだ?」

『私の素性がばれたらまずいでしょ?』

「ああ、バレないように変身してたのか。ところでお前、どうして誰にも気づかれずにここまで来たんだ?」

『透明化しているからよ。貴方にしか見えない様にしてるからね。それにこの頃は物騒だもの、身の安全には気を遣うわよ』


 しれっと、龍野にとって信じられないことを口にするヴァイス。


『あと、そろそろ念話で話しなさい。いい加減変人扱いされるわよ』


 言われてから周囲の視線に気付いた龍野は、慌てて念話を発動させた。


『龍野君は食べてて。食べながら、ゆっくり話しましょ』

「その前に、ヴァイスは座らないのか?」


 念話でヴァイスに質問する。


『今座ったら、怪奇現象扱いされるから。「椅子が勝手に動いた」ってね』

(そうだった。俺には見えているから忘れていたが、今ヴァイスは透明人間なんだった)

「ちょっとアレな気もするが……そう言うなら、だ。それじゃ改めて、いただきます」


 龍野は素早く弁当の中身を掻き込み始めた。


『龍野君、今度の土曜日は空いてるかしら?』


 唐突にヴァイスが訊ねてきた。


「ああ、空いてるが……」

『龍野君さえ良ければ、ヴァレンティア城下の街を案内するわ』

「それじゃ頼む。ああ、また親父の許可を取らなくちゃな……」


 龍野はつい、ぼやいてしまった。

 許可を取ること自体はそんなに厳しくないとはいえ、土日にどこかへ出かけるときは龍範に連絡することになっている。


『それなら心配しないで。ここに来るまでに、許可は取ってあるから。それに、準備も全て整えているから、面倒なことはしなくて済むわ』

「わかった」


 そして龍野は弁当の中身を平らげた。

 カレーパンの封を開け、パンを袋から少しだけ出してかぶりつく。


     *


 昼食を完食して、カレーパンの袋をゴミ箱に投げ入れようとした――そのとき。

 袋が空中で静止した。


「!?」


 驚愕する龍野。よく見ると、何故か張られていた紫色の糸に引っかかっていたようだ。

 龍野は袋を少し引っ張って、ゴミ箱の底に落とした。そのときに糸で指を切ったらしく、少し顔をしかめた。

 しかしヴァイスは、糸の存在に気付いていなかったようだ。龍野の切り傷にも、だ。


     *


「須王……いや、鬼の息子が糸に触ったか……。どんな奴か、見せて貰いたいな!」


 学校近くの図書館の屋上で、不敵に笑う女性がいた。掌には、紫色の魔法陣を浮かべている。


「だが翌日と翌々日は集まりが悪い……三日後に仕掛けるとしよう……な、お前は!?」

「うふふ。ちょっとごめんね、お姉ちゃん」


 気を失いつつある女性が最後に見たのは、妖しく光るナイフと本を手にした謎の少女だった。

 少女は女性が倒れるのを確認すると、人知れず姿を消した。

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