第一章七節 姫君の妹、襲来!

「あら、どなた?」


 廊下に出た直後、見知らぬ少女に声をかけられた。

 よく見ると、顔も、着ている服も、かなりヴァイスに似ている。


(違うところは……背丈と胸くらいか。だが、どっちもヴァイスより小さいな。特に胸は格段に小さいな)

「ちょっと、聞こえているのかしら?」


 少女からの問いに、龍野は慌てて答えた。


「あ、ああ……失礼、俺は須王龍野だ。ヴァイスに……おっと、ヴァイスシルト姫殿下に招かれ、この宮殿の一室を借り受けている」

「へえ、貴方が……お姉さまをたらしこんだ、あの須王龍野ですか」

「おいおい……俺は姫殿下をたらしこんだ訳じゃないぞ」

「貴方の話は聞いていません!」

「へ?」

「貴方が何を言おうと、お姉さまが貴方にたらしこまれたという事実は変わりません。これから貴方に制裁を加え、それを以ってお姉さまの目を覚めさせます」

(まずい、何か誤解している。どうやって解くべきか……)

「どうしたの、龍野君!」


 ヴァイスが慌てて部屋の外に出てきた。

 恐らくは、今の騒ぎを聞きつけたのだろう。


「ああ、何か彼女に誤解されているみたいだ。『貴方がお姉さまをたらしこんだ』とか言われてな」

「シュシュ!」

(シュシュ? 彼女の名前か?)


 聞き慣れない――少なくとも“髪飾りの呼称”としての意味のみ知っている――言葉に、龍野は疑問符を浮かべた。

 が、眼前の少女が付けている髪飾りはリボンだ。シュシュではない。


(名前だろうな)


 消去法で最後まで残った候補でもって、龍野はシュシュを“名前”と決めつけた。


「事実ではありませんかお姉さま! そう言えば須王龍野、貴方にはまだ名乗っていませんでしたね。私はシュヴァルツシュ・・ヴェーアト・ローゼ・ヴァレンティア。ヴァイスお姉さまの妹ですわ」

「ヴァイス! お前、妹が居たのか!」

「ええ、そうよ。それにしてもシュシュ、いささか失礼が過ぎませんか? 私の幼馴染に何て言葉を向けるのですか!」

「お姉さまは彼に騙され、彼にとって都合のよい女にされているのに、まだ気が付かないのですか? それを示すために、今から彼に制裁を加える所です。どうか静かに見ていてください」

「その行為は、私が許しません!」

「お姉さまに何と言われようと、私は今から制裁を……!」

(おおう、埒が明かない。こりゃあ堂々巡りだな……。仕方ねえ、妥協案を提示するか)


 龍野はシュシュに向き合った。


「シュヴァルツシュヴェーアト姫殿下」

「何でしょう?」


 普段の龍野からすれば、柄にもない言葉遣いだ。だがシュシュの気を引くことは出来た。


「制裁は一週間お待ちください。代わりにその一週間の間、貴女の気の済むように、私を好きなように仰ってください。ですが、もしそれで貴女の気が済んだのなら、制裁は思い留まって頂きたいのです」


 ヴァイスのためとは言わずとも、事態解決にプライドは無用。龍野としてはそんな思いで言ったことだったのだが、果たして――


「いいでしょう。ではたった今から、その権利を行使させて頂きます。そうですね……では今から貴方を――」


 シュシュは一拍置き、そして続ける。


「『兄卑あにひ』と呼ばせて頂きます」


「シュシュ! その龍野君を侮辱するような呼び名を今すぐ――」


 龍野はヴァイスが身を乗り出すのを手で制した。そして、小声で告げる。


「これはゲームだよ。彼女の気が済むか、のな。ヴァイスは一切口出しするな。このことは俺が片を付ける」


 ヴァイスは不服そうに睨むも、ぐっと我慢し、代わりに下唇を噛む。


「日本では男性を兄貴と呼ぶ人がいるのでしょう? それにあやかったんですよ。兄に、卑しいの。わかるでしょう?」

「ええ、わかりました。これから一週間、貴女の気が済むことをお祈りします」


 最後の一言は皮肉だ。だがシュシュは気付いた素振りも見せず、そのままゆっくりと歩いて行った。

 ヴァイスが龍野に詰め寄ってくる。


「どうして、あんな不名誉な約束をさせたのよ? 私は言ったはずよ、何かあったら私が取り成すからって」

「シュシュに実力を見せつけるためだ。まあ、悪い様にはさせねえよ」

「すぐには納得出来ないわね……。けれど、いいわ。ひとまずはそれで納得するわよ。でも、もし貴方の見立てが外れてどうしようもなくなってしまったら、私は無理矢理にでも介入するわ」

「俺が諦めるまで、それは絶対に拒否するね。これを無視したら、死ぬまでお前への恨みは引きずってやる」


 そう、これは当事者だけで何とかなる問題だ。

 ヴァイスは頬を膨らませながら、散歩に出る龍野を見送った。


     *


 散歩の後、龍野は自室のベッドから、むくりと起きた。自主練しようと思ったので、地下に向かって部屋を開ける。

 地下広場と訓練用標的の使用に関しては、ヴァイスから何時でも使っていいという許可が下りている。且つ広場入口の鍵も借りているため、一切問題無い。

 広場で上級型標的を一機召喚し、副次能力アビリティの練習をする。魔力による加速と魔力噴射バースト物質強化イモータリティ、それに重量調節グラビティ

 純粋な速度と物質の高強度化、そして一撃の重さ。予想通り、一撃で粉砕する。


「よし! でもまだだな。動きが直線的過ぎる、もっと読ませにくいものにしねぇと……」


 もう一機を召喚する。今度は行動させ、自らの弱点を洗い出す。


「おりゃあっ!」


 緩急を付けて接近のタイミングを読ませにくくする。そして間合いを計り終えると急接近を仕掛け、懐に飛び込み一撃を食らわせる。先程と同じ様に、一撃で粉砕した。やはり力は使いようである。


 ふと、人の気配を感じた。誰かと思って振り返ると――意外にも、シュシュであった。


「わざわざこんな所まで……敵情視察か?」


 牽制も兼ね、挑発的な言葉を投げる。


「正解ね。その通りよ、兄卑」


 牽制はどうやら不発らしい。


「兄卑のことだもの、もし私の気が済まなかったら、とか考えているのでしょう?」

「大外れだ。もしじゃなくて、アンタの気が済まないと考えてるよ」

「へえ。大方、そうなった時に備えて鍛えている、って所かしら?」

「またまた大外れだ。鍛えるのはその通りだが、『俺が生き延びるために』鍛えてるんだよ」

「ふーん……。まあせいぜい頑張りなさい。私は兄卑を打ち倒して、お姉さまの間違いを正すから」


 そしてシュシュは去っていった。


     *


 地獄の様な一週間が経った。毎日魔力を行使し続けていれば、ぶっ倒れる寸前の状態になるのは見えていた。

 だが、生憎倒れてはいられない。彼女――シュシュ――の機嫌を伺わなければならないからだ。いや、機嫌を取る訳では無い。彼女の気が済んだか、それを確認しに行くのだ。結果は予想出来てはいるが。

 龍野はヴァイスに連れられ、シュシュの部屋の前に到着した。ヴァイスが手持ちのカードキーで、八連のドアを開ける。


「シュシュ、外にいらっしゃい」

「何でしょう、お姉さま」

「何でしょうとは随分な挨拶だなぁ、オイ? 今日は約束の一週間後じゃねえか」

「それもそうでしたわね」

「前置きはここまでだ。返答を率直に寄越せ」


「返答? 決まっているじゃありませんか」


 シュシュは龍野をキッと睨むと、ハッキリと告げた。

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