差別
今回は差別について考えながら、「平等」を問いたい。
先ず、私は差別を肯定的に考えている。
所謂、レイシストと言っても、差し支えはないだろう。
しかし不当な差別に関しては、当然に肯定する訳にはいかない。
不当な差別を正当化するのは、レイシストとは言えないと私は思っている。
因みに、レイシストとは差別主義者の事。
その主張が身勝手なものならば、主義とはいえないと思うからである。
だから、あくまでも、不当であるかどうかを見極める事が大切で、不当でない差別まで一緒くたにする事はおかしいと思うのです。
それが私のレイシストとしての主張。
そもそも、人と人とに差異がある以上、そこに差別が生じるのは仕方がなかったりもするんじゃなかろうか。
そして差別そのものの否定は、その差異をも否定してしまいかねない。
人は皆、同じでなければならないの!?
そちらの方がおかしいと思うし、私個人的には気持ち悪くも思う。
皆が皆、同じ様になってしまう世界なんて、考えただけで吐きそうになる(苦笑)
それよりも、その差異を活かして、社会の中で活かしていくべきだと思うのです。
差別を一括りにして否定する事はせずに、一つ一つを見極めて、不当な差別だけを改善していくべきではないでしょうか。
また、そうやって、一つ一つを見極める過程を経る事により、人権や差別というものに対する理解を深める事も出来ると思うのです。
だから、一括りにして差別を否定してしまうと、かえって差別を理解する事から遠ざけてしまったりもするのではなかろうか。
それが現代社会の差別問題を大きくしている様にも思います。
過程を省く事によって理解を遠ざけてしまう。
そして、その様な状況を作っているのが「平等」ではないか。
「平等」という考え方が差別を一括りに否定してしまう。
勿論、「平等」は「平等」で良いところもある。
しかし「平等」も「平和」や「自由」と一緒で、求め過ぎるのは危険な様に思うのです。
そして現代社会を見ていると、「平等」を求め過ぎる事で、新たな差別を生んでいる様にも思う。
要するに、差別を否定しながら、誰かを差別してしまっていたりもするんだよね。
本当におかしな事なんだけどさ。
結局、それもこれも、差別という問題の改善に至る過程を省いてしまっているからだと思うんだよね。
だから、私は言いたい。
差別というものは、人間社会の中で常に抱え込んでいるべきだと。
我々は差別とは現在進行形で、常に向き合っていくべきではなかろうか。
決して、差別を一括りにして解決する事が、良い結果に繋がる訳ではないだろう。
要するに、差別を無くしてしまうと、差別を学ぶ機会をも無くしてしまう。
結局は、その事で、次々と新たな差別を生み出してしまうだけ。
差別を無くそうとする事は、同時に別の差別を生み出しもするではなかろうか。
現代社会はその様な傾向が強い様に私は思うのです。
だから、差別は無くそうとするのではなく、社会の中で抱え込んで、一つ一つと向き合っていく。
そして、少しずつ改善をしていく。
その過程を通じて、我々は多くの事を学ぶ事も出来る。
「差別」とは。
「人権」とは。
「平等」とは。
それが様々な事に対する理解を深める事にも繋がるのではなかろうか。
そういう事を少しずつでも、積み重ねていく事が大切で、それが、より広く「平等」を分かち合える世の中にしていく様に思うのです。
現在の差別そのものに対する否定的な考え方は、ある意味、結論への近道をしているのではなかろうか。
そして何事もそうだけど、近道をする事では本当の改善には繋がらなかったりもする。
それが現代社会の差別という問題を、よりややこしいものにしてしまっているのかもしれない。
だから、差別の是非を問うよりも、その差別が不当なものかどうかを一つ一つ、考えていくべきではないか。
そして不当なものを選別して、不当な差別だけを改善していく。
差別を無くすという結果を求める事よりも、差別を改善しようとする過程を大切にするべきではないか。
確かに、それは大変な事かもしれない。
ただ、その様な機会を上手に利用して、より多くの命が「平等」に輝ける社会を築いていく事が出来れば、この世界をより良くする事にも繋がるのではないでしょうか。
私はそんな風に思うのです。
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