4-6

路地を抜けると、商店街の通りに出る。

ちょうど魚屋の主人が店じまいをしているのが見えた。


「おじさん!! 助けてっ!! 追われてるんだ!」


気心が知れているはずの魚屋。

朝、大学へ向かう時には毎日のように挨拶を交わし、機嫌のいい日には帰り道に新鮮な魚を使った料理を振舞ってくれることもあった。

口調は乱暴だが、人情味に溢れた気のいい主人だった。

彼ならばきっと助けてくれる。

確信に近い希望を抱きながら、ルイは必死で魚屋を呼んだ。

しかし彼ら二人を見たとたん、主人の顔はさっと憤怒の色に染まる。

そして客の呼び込みで鍛えられたであろう大きな声で、吠えた。


「いやがったぞ!! 捕まえろ!!」


凄まじい音をたて、周囲の家々の窓やドアが一斉に開く。

人々の怒りの眼差しが、二人を貫いた。


「お、おじさ……」


ルイが呆然と立ち尽くしている間に、周囲の人々はじりじりとに彼らに迫っていく。

ワーグナーが乱暴にルイの肩を揺さぶった。


「おいっ! 逃げるぞ! 死にたいのかよ!!」


何度叫んでもルイの反応はない。

それどころか、地面にへたり込む始末であった。


(くそっ、このままじゃ……!)


迫りくる怒り狂った群衆をワーグナーは睨みつけた。

手にはそれぞれ武器になるものが握られ、自分たちをなぶる準備を整えている。

逃げようにもすでに周りは取り囲まれており、そう簡単にはいきそうもなかった。


(こいつを置いていったとしても無理……いや、おとりにすれば隙が生まれるか)


周囲を見回しながら冷えた頭で考えるワーグナー。どうしたら自分が生き残れるか。そのことのみを考えていた。

憎悪に似た感情がワーグナーの心を塗りつぶしていく。


―――今まで散々国に利用されてきたんだ……言いなりになったまま死んでたまるか……!!


群衆の一人が迫り、手に握られたこん棒を振りかぶる。いつでも突き飛ばせるように、ワーグナーはルイの肩に手をかけた。

次の瞬間。


突如強い風が吹き抜け、砂埃が周りに分厚い幕を張った。

その粉塵から二人を守るかのように、白い大きな翼が彼らを包み込む。

上品なコロンの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。


「怪我はないかな? お二人さん」


含んだような、低いアルトの声が心地よく響く。

その声の主を見、放心状態だったルイは驚きで口をあんぐりと開けた。


「め、メンデルスゾーン先生!?」


穏やかに微笑みながらルイを優しく助け起こしたその人物は、リューリスの一人であるフェリックス・メンデルスゾーン。

その背中にある純白の両翼が、薄暗くなった空間に浮き出るように輝いていた。


「久しぶりに国に帰ってきたら、ちょーっと手荒い出迎えを受けてねぇ。

様子を見ようと空から伺っていたら、君たちを見つけたのさ。

と、ワーグナー君! 怪我をしているじゃないか! 

こっちへおいで、楽にしてあげよう」


驚きを隠せぬワーグナーは、首を振って後ずさった。

さすがに、今の状況には冷静さを保っていられないようだった。

メンデルスゾーンは再び微笑み、ワーグナーの腕を優しく引き寄せた。

そして背中から生えた翼から一枚の羽根を抜き、そっと血が流れ続けている肩にあてがう。

羽は溶けいるように傷口に吸い込まれ、ほのかに輝きながら傷ついた血管をつなぎ合わせていく。

輝きが消えるころには、傷跡こそ残るものの流血は完全に止まっていた。


「あとでまたきちんと治療してあげるよ。どうだい、もう痛みはなくなったろう?」


恐る恐る肩口に触れるワーグナー。彼の言う通り、嘘のように痛みがなくなっていた。


「そ、その羽……なんで……」


礼を言うのも忘れ、掠れた声でワーグナーが問いかける。それに対して嫌な顔をすることもなく、メンデルスゾーンは満足げに顎を撫でた。


「ふむ。いい質問だ。だが、それに答えるのは後でもいいかい?」


ちらりと周囲を見るメンデルスゾーン。

澄んだグリーンの瞳が、きらりと光った。


「紳士淑女の皆さんが、お目覚めのようだからね」


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