4-5
***
(どうしよう……)
街灯がつき始めた静かな街なかを、ルイはとぼとぼと歩いていた。思わず下宿先を飛び出してきてしまったが、行くあてなどどこにもない。
だからといって、カールのいる宿に戻る気にもなれなかった。
(どうしちゃったんだよ、カール……)
昨日までは確かにいつも通りだったのだ。
いつものように大学に行って、ハンナのご飯を食べて、寝るまでくだらない話をして。
鼻の奥がつんとして、ルイはそれを誤魔化すためにがしがしと頭をかいた。
(ニコロ・パガニーニ……。やっぱり、関係あるんだろうか)
カールの異変に対して思い当たることがあるとしたら、それくらいだ。
(でもあれ以来、今まで変なことも起こらなかったし……)
そううつむきながら歩いていると、不意に現れた何かにぶつかりそうになり、ルイはすんでのところでそれを避けた。
「っと、すみません!」
詫びながら顔を上げる。目の前には鋭い目をした2人の警官が立っていた。
見回りかなにかだろうか。邪魔になってしまったことをもう一度詫びて、立ち去ろうとするルイ。しかし、彼らの目的はルイの予想とはまったくちがうところにあった。
「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンだな?」
「え? あ、そう、ですけど……」
動こうとしない警官に戸惑いながらルイが答える。冷徹な目だ。心臓をじわりと掴まれたような気分になる。
すると警官はおもむろに胸元から拳銃を取り出し、それを彼のみぞおちに突きつけた。
おもちゃのように小さい銃だが、突きつけられた銃口の冷たさがまごうことなき本物であることを証明していた。
「我々と共に来い。従わない場合は、直ちにこの場で発砲する」
ルイの18年の人生で、明確な殺意を向けられたことなど一度としてない。
だが拳銃を突きつけている彼らが本気であることは、嫌でも伝わってきた。
「え……どうして」
「来い!!!!」
警官の太い腕が目の前に迫り、ルイは反射的にそれから逃れる。
警官の引き金にかけた指に力がこもった。逃げようにも、盾になる場所などどこにもない。
―――撃たれるっ……!
意味をなさないとわかりながらも顔をかばい、ぎゅっと目を瞑る。銃声が、痛みを伴うほどに肌を震わせた。
(……あれ?)
そっと薄目を開ける。撃たれたはずなのに、どこにも痛みを感じなかった。自分の体を見下ろしても、流血している箇所はどこにもない。
はっと前を見ると、警官たちが踵を返し急いでどこかへ走っていくのが見えた。
「た、助かった……?」
膝の力が抜け、ルイはその場にへなへなと座り込んだ。
―――じゃあ、あの音は……
警官が去っていった方向に目を向ける。その先で、誰かが地面に倒れこむのが見えた。怪我をしているらしく、倒れ込んだ先の地面が点々と赤く染まる。
「なんだよ! なんなんだよちくしょう!」
激しく毒づきながらよろよろと立ちあがったのは、リヒャルト・ワーグナーであった。その後方では、さらに別の警官が一人、ワーグナーを追っている。ルイに銃口を向けた警官が、今度はワーグナーにそれを向けた。
ぱっと辺りを見回し、ルイはとっさにレストランの店先に積んであった長い丸太を抱えた。
無我夢中で警官に近づき思いっきり振りかぶった丸太は、銃を持った警官の側頭部に命中した。
そして勢いに乗った丸太はルイの手をするりと抜け、あろうことかもう一人の警官の股間に吸い込まれる。
(うわあっ、そこまでするつもりじゃなかったんだけど……!)
なんとなく申し訳ない気持ちになりながらルイは悶え苦しむ警官たちの間をすり抜け、急いでワーグナーに駆け寄った。
「ワーグナー君! 大丈夫!? 血がっ……!」
「あ、あんたは……」
助け起こそうとしたルイの髪の毛を、銃弾が掠めた。遠くから警官が銃を構えているのが見えた。胸底が冷えるような恐怖に息を呑む。とにかく早くここから逃げなければならない。
「こっちだ! 路地に入ろう!」
肩を貸そうとワーグナーの手をとる。が、彼はそれをそっけなく振り払った。
「平気だ、触るな」
ワーグナーの態度にルイは一瞬戸惑ったが、今は気にしている余裕などない。
再び響いた銃声に怯えながら、二人は路地へと逃げ込んだ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます