第15話 ケェイル船団
ケェイル家当主、ジヴェアが港に到着したのは、港町全体が知らせを把握してから数日後の事だった。
海戦に対応できる最大戦力を編成したジヴェアは、この戦力を『異界の門』周辺に展開する王国軍に対する警告と調査を理由とした派兵であると、元老院へ報告。
但しこの伝令兵が出発したのは、全軍の移動開始の数時間前であり、伝令兵自身は数日の間に全て完了する、としか聞いていないので、彼は自分が知る事と伝令内容と言う職務上の情報しか知らず、嘘を付きに行くわけではないのだが、この辺りはジヴェアの長年の腹探りで得た『貴族的なやり方』の一つだ。
当然、元老院が想定する出航日時と、実際の行動には時差が生じるのだが、その事に元老院が気付く頃には、制止すべき船団は出航済みと言う訳だ。
そうとは知らず、元老院は「王国を刺激するな」と主張する派閥と「既に王国は超えるべきではない一線を越えた」と主張する派閥に分かれて、激しく言い争うばかりであり、法王はこれに対し「一先ずは先走らぬ様に、念を押せ」と伝令兵に命じた。
伝令兵にとって、この命令は法王直々の特命であり、返事をするや否や、彼がジヴェアが居るであろう港町へ急行したのは、元老院の議員達を唖然とさせる勢いであった。
「いや、彼らはもう遠洋に出ている頃合いだろう」
「そ、そんな」
早馬に泡を噴かせる様な大急行で息切れしつつも、疲労感を押し退けた伝令兵は、既に船団が出航した事を知り、膝から崩れ落ちた。
「ど、どうしよう。法王猊下に何とお詫びすれば」
「どう言う事だ、足止めでも任されたのか」
明らかに異常な様子の伝令兵に対し、警備兵が慌てつつも冷静に話を聞き出す事に努めると、伝令兵がポツポツと事情を話し始めた。そうして大凡の話を把握した警備兵は「ああ、そう言う事か」と天を仰いだ。
「お前に落ち度はない筈だ。俗に言う『貴族的なやり方』と言うだけの話だ、失態を犯した訳じゃない」
「しかし、これでは情報に行き違いが出ます」
「それがジヴェア様のお考えである以上、俺達が出しゃばっても、出過ぎた真似にしかならん。寝て忘れろ」
「そうはいかない、それでは猊下にどう報告すれば…」
「なあに、あっちはあっちで、この手のやり口が珍しいと言う事は無い。何より、お前まさか、今から戻るつもりじゃないだろうな」
「そうだが」
「…いや、単に夜道は危険と言うだけだ。…やっぱり寝てしまえ」
「……うん、そうだな。そうしよう」
若い事もあって、彼は仕事に真面目な反面、経験不足故の不測の事態に対する耐性が低い様だ。港町付きの警備兵にとっては、ジヴェアとの長い付き合いから、貴族のやり口に馴染んではいるが、この伝令兵は配属されてから間もない新兵だ。ましてや、報告するべき相手が法王となれば、それだけで気持ちばかりが高ぶってしまう。
説得され、気を直した若い伝令兵は、宛がわれた部屋へ、やや落ちた気を背負いながら向かうと、内装の確認もそこそこに机に向かい、報告書を書き出す。
”私が港町に到着した頃には、既に船団は出航していた様だ。どうやら入れ違いになってしまったらしい。私が出発する際、港町の兵士からある程度の予定は聞いていたが、妙に情報が曖昧だと思ってはいたのだが、今になって思えばその時点で謀が済んでいたかもしれない。”
思い出せる限りの事を文章化する作業は、時々「こんな事を報告したら、どうなるだろう」と言う不安に、筆が乱されそうになるが、それを気合と任務完遂の意気込みで押し殺しながら、報告書を書き続ける。
これを法都の者が読むには、更に時間がかかるだろう。口頭での説明も含めて、法王に失望されるだろうと言う諦観と不安が、どうにも胸の中で渦巻くのを無視しながら、筆を進め続ける。
最早、彼にはそれ以外に、不安を無視する方法は存在しなかった。
同日、深夜。―――まだ日付こそ変わっていないが、月が高々と海を照らす中、徐々に月光に影が目立ち始めた頃、嫌な風が強まって来た。
「嵐の予感がする。船長に声を掛けろ」
「分かった」
視界が悪くなり、見張りとしての仕事に支障が出る前に、この嵐の海域を回避できる様であれば、そうすべきだ。一時的に入り込んだとしても、すぐに脱出できるのならば、それも次善策として用意すべきだ。
何であれ船長に判断を仰ぐべきだ。その判断を下した見張り台の船乗りの指示で、甲板に居た船員が一人、船内に入る。
「船長、嵐の様です。海路を変更しますか」
「進路に変更は不要だ。道は見えている。それよりも揺れるぞ。荷物の固定を再確認しておけ」
「っは」
「……この時期に嵐とは、な」
「ええ、ですが予想外の出来事は珍しい事ではありません。珍しい事である程、船乗りにとっては平常運転です」
「頼もしいな」
船長の力強い目にジヴェアが頷く。と、その瞬間、船がグワリと激しい横揺れに襲われた。
「うお、これが嵐の揺れか」
「いえ、これは…っ、砲撃、至近弾!」
「何だと!?」
船長の叫びにジヴェアがハッと顔を顰めた瞬間、更に揺れる。今度は確かに爆音が聞こえた。更に遠くで爆音――否、これが砲撃音なのだ。そう理解した瞬間、次々に砲弾が着弾し、周囲に水柱が立ち上る。
「敵襲、敵襲。王国軍です。王国海軍が『異界の門』の方角から接近、船首砲にて我が船団に対し攻撃中。反撃の許可を下さい」
「ジヴェア様、宜しいですな」
「撃たれて座して死ぬ屈辱は認めん。撃ち返してやれ」
「っは」
ケェイル船団が甲板の砲雷長の反撃の宣言により、慌ただしく動きを変える。ランプの窓の開閉で信号を送り、甲板に横並びにされた大砲を、次々に砲撃して来る王国軍へ向けると、準備が整った船から順に砲撃を開始。両軍の砲弾が荒れた海で飛び交う。
「連中、本当に異世界を…。何という蛮勇、向こうに何があるか分からんのだぞ」
船長室から移動して、周りが見渡せる指揮室へ移動した船長が、苦々しく吐き捨てる間に、何十発も砲弾がやって来ては撃ち返される。
指揮室はマストを除けば、船で最も高い位置にある部屋で、小さな窓と少なめの証明が特徴の、視界を確保して戦況を把握する為の部屋である。伝声管も配備され、他国に先んじた装備をケェイル家の海上戦力とその立ち位置から交渉の成果として入手したこの設備は、他国――何なら自国の警備船団にすら与えられていない物だ。
それを試験の名目で優先的に配備して貰い、一部は『貴族的購入方法』で確保した事で実現した『指揮室』は、その成果を発揮できるかを問われる事になる。
「うっ、これは――先に貰ったか」
「甲板に被弾。部分的に砲撃力が低下します。負傷者、船内への収容を開始」
激しい揺れ。爆音。それらは1番船の被弾を物語る。
「下部甲板の砲撃隊は無事です。砲撃続行します」
「う、うむ」
声を送るだけでなく、各所からの報告も届く伝声管の性能は、報告要員が船内を走り回る必要をなくし、各所の省人化と移動中の被弾や事故に起因する負傷を回避し、船、引いては船団全体の戦闘力を底上げする重要な設備である。
「王国軍の正確な距離は」
「精々、3キロ前後と。…申し訳ありません。この荒天ですので」
「それだ。敵は『荒天』であるにも関わらず、正確に砲撃して来る。我が船団は敵の射点を推測して撃ち返しているだけだ。これでは弾の無駄だ。接近せよ」
言われた部下は煮え切らない表情だったが、返事だけは「っは」と返した。
そうして、ある程度の接近を試みようとするも、王国軍の砲撃は異様な激しさを見せており、回避目的の蛇行航行もあって、接近するのは容易ではなかった。
「これでは撃たれ放題ッ。反撃出来ないんですか」
「横づけする暇もない、どうにもこれでは」
船体側面に集中配置された大砲は、側面にこそ絶大な火力を発揮するが、遠洋特有の高波とそもそもの距離もあって、更には距離も目測が精々となると、砲撃精度を維持出来る筈もなく、仮に正面に砲撃できたとしても、有効打を与えられるとは思えない。
「て、敵が見えた。…デカい、巨大な大砲だ」
島に近づいて、漸く見え始めたのは、山の様に巨大な砲座と、塔の様に高く聳え立つ柱、その頂点付近から延びる縄で支えられた長く、そして巨大な砲身である。双眼鏡で確認すれば、足元の人間の何と小さな事であろうか。
「な、何なんだ。この巨大さは」
どうやって運んだのか、どうやって動かしているのか、どうやって装填しているのか、何もかもが未知数の、組み立て方の想像もつかない巨大な大砲が、嵐のベールを脱ぎ去り、その巨躯を露とする。
「デカすぎる、あれが俺達を!?」
「いや、あのデカさでは撃つのも一苦労だ。今迄の弾は常識の範疇だった、あれではなかろう」
「しかし、妙に激しい砲撃も納得だな。下手に近づかれると、射角…この場合は俯角が足りなくなると踏んで、近づけさせまいとしたのだろう。…見ろ、船は多いが武装はない。今迄の砲撃は砲座付近に集中していたらしい」
崖の上に陣取っている事もあり、その高さに対する砲撃は難易度が高くはあるが、当てられない場所ではない。何より反撃しない事には死んでしまうと言う危機感から改められて発せられた反撃の命令は、尚も続く激しい砲撃による水飛沫を跳ね除けながら、漸く真面な戦いの様相を呈し始めた。
「矢が来るぞ、敵の弓兵に注意!」
「仰角が取れる甲板の大砲を狙い撃つつもりか。弓兵ならこっちにも居るぞ」
砲弾の応戦に混じり、矢も飛び交い始めると、いよいよ王国軍は必死になり始めたらしく、攻撃が一層激しくなる…のだが。
「変だな、魔法が一発も飛んで来ないぞ」
はて、と首を傾げつつ魔杖を懐から取り出したジヴェアが呪文を唱える。
「アクティブ・ウィンド!…む、これは!?」
風属性の魔力を魔杖に注がんとした途端に、その魔力を誰かに抜き取られる感覚を察して、その行き先を探れば、島の上空で巨大な雲が奇妙な気配を纏いながら、ぐるぐると回転していた。
「この嵐、よもや人為的な物であったか」
「このデカさで!?」
即座に有り得ないと叫んで否定したくなった船員だが、魔法の知識がなくとも、上空の気味の悪い渦巻きが、どうしようもない圧迫感を放っている以上、これを普通と言える度胸は無かった。
「ジヴェア様、上陸できそうにない以上、あれをどうにかしないと…」
「うむ、手ぶらで帰っては王国軍が何をしでかすか――いや、既にしでかしている最中か、最悪既に手遅れかも知れん。撤退を選ぶにしても、もっと情報が欲しい所だが、少なくとも熟考の時間はあるまいよ」
そんな話をしている間にも、嵐は悪化し、船の揺れが酷くなり続ける。
「ジヴェア様、この海域に留まるのは危険です。撤退しましょう」
「…苦渋だが、決断の時。港に戻り次第、早馬をよこせよ。…撤退だ!」
こうして、王国軍の撃破を断念したケェイル船団は、王国軍に大した被害も与えられぬまま、3隻の船を失うばかりの、屈辱の撤退を選ばざるを得なくなった。
しかし、この報告が法王へ伝わる事で、皇国は重い腰を上げる他なくなり、権威ある大国の行動が、他国を驚かせる事となるのであった。
もし小さくなれたら @ryuuzennsoujyuurou
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