第14話 揺れる心



 ドン!


 「ぁああああああああああああああああっ、糞ったれのスファーシャスがぁああああああああああああああっ、言いたい事何でもかんでも言いやがって、マッジで許さねぇぞ、糞ぁあああああああっ!!」


 ドンドン、ドン!


 「うりゃあ!」


 ばふん、ざらざら…


 屋敷の地下にある鍛錬場でサンドバッグを殴り続け、遂に鉄拳がサンドバッグに突き刺さり、砂が零れた事で「ぜえ、ぜえ」と男は息を切らしてラッシュを終了する。


 その顔には未だに激しい怒りが煮え滾っており、比喩抜きで彼の周囲の景色が歪んでいるのは、上昇した体温だけが理由では無かろう。


 怒り任せとは言え、歴戦の戦士が練り上げた魔力だ。激情のまま振るう拳の威力が如何程となるかは、家臣が恐れ理解する所である。



 「ご頭首様。水分補給のお時間です」

 「うむ、ご苦労」


 獣の皮で作った防水性の高い布を主体とした袋――水筒の一種をメイドから受け取り、ごっきゅんごっきゅんと喉を鳴らせば、己の渇きを自覚するには充分な程、水が行き渡る感覚が全身に広がっていく。


 「スファーシャス、日頃の対立は今に始まった事ではないが、俺の子育て論に土足で足を踏み入れやがった。愛も苦労も知らぬ下種に小言を挟まれる謂れがあるか」

 「ええ、全くです。母親を失ったレイア様の当時の焦燥ぶりと来たら、もう」


 レイアが結婚を嫌がる理由は、病気で母を亡くした途端、父親である自分に女が大量に言い寄って来た事に関係する。その内、6割が未婚女性ともなれば、年を食った身からすると返って悪印象になってしまう。未亡人も居たが、財産を奪う気でいる様子を隠し切れない女ばかりであり、そうして断り続けていると、次第に標的を幼いレイアへ変更した貴族達は、あれやあこれやと真偽不明の噂で親子の仲違いを狙った工作を仕掛けて来た為、法王に事の次第を報告し、レイアが警備船団に入団した辺りで漸く、状況が落ち着いて来た。


 警備船団は法都に近い複数の港町に拠点を持つ為、任務の性質とその規模から、単純に軍事力が高い。無論、それらの部隊は広域に展開している為、全軍が軍事蜂起する場合、事前に戦力を一か所に集める必要があるだろうが、逆を言えばそうしてしまえば、他者が取れる対策は、事前に警備船団の動向に注意し、準備に入り次第、調査名目で拠点に立ち入る様な、そんな強硬策しかない。


 当然、レイアにはそんな動機は無いし、当時のレイアにはそれだけの権力も無かったので、貴族達の手出しが出来なくなる以上の変化こそなかったが、それでもレイアが貴族の男と結婚する事を認めるかどうかは別問題であり、極めて可能性の低い話であると考えている。


 唯、リヴェル侯爵の息子であるハリントンと言う男は、その辺りの事情に詳しくないのか、レイアに対し、良く言えば積極的に、悪く言えば強引に接近しようとし、結果として、レイアとその部下の顰蹙を買っている。


 特に現在のレイアは、入団当初の頃よりも随分出世しているので、其の分部下も多く、それだけにレイアが一度悪印象を抱けば、それはハリントンが考える以上に組織内に伝播する。


 「で、例の馬鹿息子の動向は」

 「っは、依然レイア様を捜索中との事です。『異界の門』を潜った事までは把握している様ですが、其処で追跡の手が止まった様で」


 「流石にあの男も異世界に進出するのは、気が引けたか。或いは単に面倒な手続きに阻まれたか、もっと身内の連中に――。…何であれ、レイアの失踪には王国にも多くの責任がある。それを追求せずして、この案件を片付ける事は不可能だ」


 「その事なのですが。正確には手続きの話なのですが。…巫女からの返答が期限を過ぎても、届かないそうです。我が通知にも、他の帰属や他国も、同じ様でして」


 「ふむ、問い合わせが殺到して手が回らぬ、と言う話ではないのか」

 「い、いえ。返答自体、音沙汰がなく。王国軍が『異界の門』周辺に展開している事が原因とされていますが、やはり巫女や長老が拘束されているのでは、との憶測が元老院では飛び交う状況でして」

 「それこそ、まさか。…いいや、まさか、なのか?」


 唯でさえ判明している情報だけでも、特級の条約違反なのに、それ以上の罪を重ねるとなると、頭首――ジヴェアとしては娘を心配する父としても、王国の狼藉に悩む貴族としても、この事態は頭痛の種であった。



 「――それで直接現場に赴く、と」

 「うむ。無論、色々危険を懸念しているのは分かるがな、それでも父としても貴族としても、状況の理解に努めん事には、話が進まん。船の支度をせい」

 「で、あれば。ええ、すぐにでも」


 ケェイル領は法国の中でも南西に位置する半島の南側を、主な範囲としており、国防上の観点から、複数の港町を支配しているが、どれも海軍要塞と化しており、大型瀬延泊を手配しようと思えば、難しい事ではない。


 一応、国軍の軍艦を借りるには、正当な理由とそれに基づく手続きが求められこそすれど、ケェイル家が直接所有する大型船舶も存在し、ジヴェアはこれを出航させようと考えている様だ。


 家臣達は一瞬、困り顔で顔を見合わせたが、すぐに気を引き締め「はい」と短く答え、行動を開始した。


 まず港町に書状を送る必要がある。連絡係に指示を出し、指示を受けた連絡係が職務室に急行し、仲間に事情を話して必要な書籍を整えると、出来上がった書状を纏めた物を、早馬に跨ったリヴェル家の紋章を胸に象った鎧の騎士が「はぁっ」と高らかに馬を走らせる。


 そうして道のりの半ば程まで馬を走らせた辺りで、騎士がごそごそとポーチを様繰り、そうして取り出した魔法具を高らかに掲げると、流し込んだ魔力に反応して、幾重にも魔法陣が展開され、ギュオオオンと駆動音が徐々に、そして急速に高まり始める。


 そうして数分間待った後に、港町へ向けると断続的に光の塊が、一定の規則性を持って連続射出される。


 塊が港町の監視塔に設置された魔法具に吸い込まれると、監視兵がこれを解析して電文――魔文とも言うべき文章が浮かび上がり、その内容に監視兵が驚く。


 「ジヴェア様からの出港準備命令!?」


 分析した一人が悲鳴の様に叫び、それを聞いた隣の同僚が「何だって」と椅子から飛び上がった事で、監視兵が二人も驚愕する様な事態に興味を示した、他の兵士が説明を求めると、その騒ぎは即座に監視塔全体を揺るがした。



 それからは物音激しい騒がしさもそこそこに、ジヴェアの要求通りの大型船舶と、それを中心とした船団が緊急編成され、港町周辺の船舶に伝える航路を変更する作業に追われた。


 既に出航済みの船舶の動きを変える事は出来ないが、今から予定の航路を変更した船とぶつかる事態は回避する必要がある。その為、出航済みの船は航路を変更しない事を前提に、出航予定の船長達が集う港に併設された坂場兼会議場に職員が向かう。


 「皆さん、お知らせでーす」


 「オン、何だ」

 「どうしたんだ、急に」


 振り向いた客は疎ら。そもそもの人数が少ない。舌打ちしそうになるも、食堂を兼ねているだけの空間なので、目当ての船長以外の船に関係ない人物も多い。文句を言う前に、職員が声を張り上げる。


 「航路変更要請が発令されました。居場所の分かる船長の皆さんのご招集の程、ご協力お願いします」


 此処以外でも食事できる店は多い。その全てを回る事が如何に大変であろうと、町中を走り回りたくはないとは言えない職員達が、上司の命令に従っている事は彼ら船員にとっても承知する所だ。



 「船乗りは居ますか」

 「おうおう、どうした。…知らせたい事でも?」


 同時間帯、別の場所でも同じ様に、別の職員が酒場に飛び込んだ。


 昼頃の半ばとなればメニューの都合上、閑散としては居るが、食事はとれる。宿に近い事もあって、時間帯の割に客入りが多い事もあって、入店直後は「此処なら船乗りも多そうだ」と考えた職員は、ほぼ予想通りの光景に、内心「良し」と喜んだ。


 「…あー、居ないな」


 唯、店主はザっと店内に視線を走らせて、残念そうに答えた。一度入港すれば次の船出までの間、多くの船は時間を置くし、接客をしていればある程度、顔を覚えもするのだが、この時期はこの港町を母港にする船は出払ってばかりで、職員にとっては運の悪い日であった。




 「…それで、先んじて魔文を飛ばした筈だが、船の手配は問題なさそうか」

 「いやぁ、手続き自体は順調――なんですが、ね」

 「どうした、問題か」

 「ええ、如何せん急に船団を編成すると言われても、普段の利用状況との兼ね合いもありまして。いやまあ、流石に御屋形様がご到着なさる頃には、大体片付く筈なんですがねぇ。正直、断言は無理ですな」

 「ま、それでも良い。無責任な保証よりはマシだ」


 結局、騎士が町に到着した時点では、まだ港は大忙しであった。


 「騎士様、お部屋の用意が出来ました。…その、お屋敷よりは幾分か荒が目立つでしょうが、野宿よりは快適かと」

 「ははは、そう固くなるな。内陸の聞かん坊共よりは弁えているとも。…食事の方は食堂を使った方が良いかね」

 「い、いえ。…お耳に入れたい話もあるので、御持ち致します」

 「うむ、承知した」


 普段接しない騎士に対してだからだろうか、港の職員は幾分か緊張の色合いが見て取れた。


 「どうせまだ騎士階級でしかないのだから、身分の差なんてあってない様な物だ」

 「それは…」


 騎士階級はその言葉の通り、事実として平民が成り上がりの許される唯一の貴族階級であり、それ以降の貴族階級への昇格は、最低でも数世代の間、法国に仕えなければ認められず、余程の武功が無ければ短縮は出来ない。


 また、法国は自ら開戦を望む国柄ではないので、そもそもの機会も少ない。


 騎士階級と一言に言っても、其処には土地と状況、派閥争いなどによる複雑な要素によって絡み合った、変則的な階級構造となっているのが常であり、その肩書は騎士としての実力と発言力の推測には、何の役にも立たない事さえ珍しくはない。




 「ふむ、『粗が目立つ』、か。新茶を粗茶と言って頭を下げるが如く、と言うと酷かもしれんが」


 部屋に入り、簡単な説明を聞き終えた騎士は、少し寂しそうに呟いた。


 貴族階級とは名ばかりの騎士の称号を得た所で、住める家は高が知れている。その実態を皆が知る訳ではないにせよ、『主』と言う存在ありきの概念にして制度である騎士制度は、その経済性の乏しさに対して、社会的地位の高さが、如何にも彼の中で気分の優れない感情を呼び起こす。


 いや、正確には『騎士だから偉い』訳ではない。何分、自分はケェイル家の家臣としてこそ、名を連ねてはいるが、騎士団を率いている訳でもなければ、自分自身、何処かの騎士団に属する訳でもない。


 ケェイル家の令嬢レイアが警備船団を率いている事と比較する事は、本来は烏滸がましいのだろう。貴族として名の知れたケェイル家の令嬢であれば、何かしらの組織を率いても可笑しくはないし、法国の中でも重要度の高い警備船団の長に選ばれるのはケェイル家の代々の法国への奉仕と、レイア自身の努力の結果なのは知っている。


 しかし、そのレイアの輝かしい経歴を見れば見る程、自分が惨めに思える。


 実際の所、客観的に考えれば「惨めである」と断じる程、自分が社会的に地位が低い訳ではない事は理解しているし、騎士である事は誇ってもいる。



 …唯、レイアに非は無いのだが、先程の職員の委縮ぶりを思い出すと、世間からの扱いと、自分の中で求める水準の噛み合わなさが、どうしようもなく悲しく感じるのだ。


 「はあ」


 水飲み入れに被せられたコップを手に取り、水入れの中に水が入っている事を確認する。…満タンだ。それに異臭や悪臭もない。やや段取りに躓いていた様に見えたのは、慌てて水を用意したからだろうか。


 水入れの取っ手を掴み、ゆっくりと持ち上げる。品質に異常なし。罅割れ、水漏れも見えたらない。水入れの底も異常なし。コップに水を入れて、コップを揺らすも水面が夕日に反射して、優雅に輝くばかりで特に異常はない。


 「…」


 ああ、と内心で頷き、窓の奥の太陽に背を向け、もう一度コップを揺らす。…やはり問題はない。繰り返し悪臭がないか確認しつつ、水を飲む。…普通だ。いや、冷えている分、普通以上だ。驚いた。汲みたての水と言う事もあるのだろうが、妙な苦みも不味い水特有の舌を撫でる様な感覚もない。


 ごくり、と飲み込むと全身に水が染み渡るのが分かる。


 「あ」


 其処で彼は、漸く戦場でもないのに、水の品質を気にしている自分に気が付いたのであった。

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