災厄の始まりと金星人の少女と その一
雲ひとつない満月の晩だった。
ここは四国、ミカン県。
もちろん他はナルト、カツオにウドン県。
若者にとって、それ以外に何もない。
そんな地方都市の夜は早い。
金曜日の塾が終わる午後十一時ともなれば、ほとんどの店がシャッターをおろし、中心部の人通りも消えてしまう。
足元を照らすのは、十メートルおきの街灯と、客の少ないコンビニくらいだ。
参考書の重みが肩に食いこみ、牟田口信行はバッグを左にかけなおした。
ひたいの汗を手の甲でぬぐう。
気温はそれほどでもなかったが、雨が近いのか、とにかく蒸していた。
バッグの口を開けて探ったが、ペットボトルは軽い音をたてるだけ。飲みほしていたのをわすれていた。
角の先にあるコンビニへ小走りで向かう。
カラのペットボトルを店先のゴミ箱に投げいれ、明るい店内へ入った。
天井からながれおちる冷気が首筋を涼ませる。
ひと息ついて、まずは窓際の漫画雑誌をチェック。
しかし目ぼしい連載は立ち読みをすませている。
新刊が入荷している曜日でもない。異星人が引っ越してきた隣家に忍び込んだ主人公は、廊下を埋めつくしていた写真に滑って転んだ後、どうなっただろうか。
好きな連載の単行本が棚に並んでいたが、冷たいドリンクといっしょに買うと、水滴で表紙が濡れてしまう。店員に別の袋へ入れるか、そもそも袋をいらないと申告するのもおっくうだ。
習慣でチェックしただけなので、そもそも買いたい気持ちはあまりない。大回りしてドリンク類がならぶ店奥へと向かう。
冷蔵庫内のペットボトルには目もくれず、紙パックの棚へ手をのばす。
牛乳300ミリリットルと同じ大きさの紙パックに、カフェオレやイチゴミルクがなみなみと入っている。
うまく選べばペットボトルより安いし冷えている。フタを閉めることはできないが、帰るまでに飲めばいい。
グレープフルーツ100%ジュースが残っていたので、それをつかんだ。酸っぱ苦い味が脳裏に浮かんで、自然とツバがわいてくる。
水滴にぬれた紙パックをつかんだまま、誰もいないカウンターへ向かう。
ふだんは同じような塾帰りの中高生が何人かいるが、これなら待たずにすむ。
ちゃんと買い物はするのだし、ちょっと立ち読みしても良かったかな、と牟田口は思った。
しかしカウンターには文字通り誰もいなかった。客はもちろん、店員も。
今ごろ牟田口は気がついた。
店内に人の気配が存在していない。
季節はずれのおでんが煮える音と、から揚げや肉まんを温めているケースから羽虫のような音が聞こえるだけ。
何かあったのかと心配になりつつも、牟田口はジュースを棚に戻し、店をあとにした。
自動ドアが開閉し、気の抜けたチャイムが鳴った瞬間、牟田口は嫌な臭いを感じた。
ふりかえった無人のコンビニは清潔で明るく、平和そのものの光景に見える。
しかし牟田口は、古くなった釘のような、錆びた臭いを確かに感じた。
体育で顔面にバスケットボールを受けた時のような、血の臭い。
気にするようなことじゃないと苦笑いし、牟田口は前を向いた。
しかしなぜかコンビニに入る前より蒸し暑く感じた。
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