ソノさんの恋人

黒猫くろすけ

第1話

駅に降り立った瞬間、魚の匂いがした。

 自宅のある町から小田急とJRを乗り継いで三時間弱。ここは魚の町だ。


「いい? アンタ、ばっくれないでちゃんと来るのよ? 私だって遊びに行きたいのを我慢して行くんだからね」

 これはひとつ上の姉貴。大学二年生の遊びたがり屋だ。

「涼ちゃん、あなた、本当に一人で来れるの? 交通費はちょっと多めに渡しておくけど」

 心配性の母親が、八の字眉毛を更に八の字にして俺を伺う。

「おい、そろそろ出発するか。高速が混んでもなんだから。母さん、涼ももう大学生なんだから大丈夫さ。いいか、涼、明日の午後四時までには必ず着く様に。駅に着いたら電話しろ。迎えをやるからな」

 のんきな父さんも男だから、多少は俺を信用してくれてるみたいだ。

「アンタ、新幹線の料金もらったんでしょ? 鈍行使ってその差額分を懐にって考えてるんじゃないでしょうね? まぁいいわ、お父さん、早く出発しましょう」

 へなちょこ弟の心なんざお見通しよ! とばかりに姉貴がニヤッと笑った。

 そうして昨日の昼、俺を除いた家族三人を乗せた車は、ソノさんの住む町を目指して出発したのである。


 ソノさん。昭和一桁産まれの、今年八十七歳になるご婦人である。俺からみると母方の曾祖母に当たる。簡単に言うと、俺の母親のばあちゃんだ。数えで八十八の米寿のお祝いで、みんなが集まるのだ。

 俺は昨日の夜、どうしても外せない用事があって、今日の一人でのショートトリップという訳。姉貴の言う通り、小田急の急行とJRの鈍行を使って、新幹線との差額分はちゃっかり懐に入れたのは言うまでもない。


「ええと、そうだ、電話だ、電話」

 駅前に立ち、携帯で親父を呼び出そうと思っていた処に後ろから声をかけられた。

「あの、もしかして涼君?」

 振り向くと、高校生位の一人の少女が、にこやかな笑顔と共にそこに立っていた。

「はい。そうですが」

「あっ!」

 少女は俺の顔をじっと見ると暫くの間無言でいたが、思い立ったかのように言った。

「あの、私はソノさんの隣に住んでる斉藤ミヤビっていうの。涼君のお母さんからお迎えを頼まれたのよ。ちなみに高一の十六歳。よろしくね」

「はぁ……」

「じゃ、行きましょうか。歩いても十分位だから。あ、私を呼ぶ時はミヤビちゃんでいいわよ。これはソノさんの曾孫さんに対する最大限のおもてなしだから」

「え? あ、はい……」

 戸惑っている俺に向かってミヤビちゃんはもう一度言ったのだ。

「ソノさんの曾孫さんねぇ……ふうん、やっぱりDNAって偉大なのねぇ……」

「ん? それはどういう意味?」

「私、チャリで来てるの。どうする? 後ろに乗っていく?」

 俺の質問には答えず、ミヤビちゃんは側に置いてある自転車を指差してニコッと笑った。


 自転車で五分ほど行くと、ミヤビちゃんは自転車を止めて、ここよと言った。

 その家は大きな生垣のある立派な造りで、頑丈そうな鉄門をあけると、車寄せに見慣れた親父の車が止めてあった。

「おばさ~ん! 息子さん、お迎えに行って来ました! ソノさん、涼君が着きましたよ!」

 ミヤビちゃんは自分の家のようにごく自然に上がり込むと、そう大きな声をあげた。途端に

「こら! ミヤビ! はしたない! 大声は上げない!」

 居間と思われる部屋からピシッとした声が飛んできた。

「あ、ソノさん、お待ちかねの涼君が来た……じゃなくて……ええと、あ、いらしたわよ、か。いらしたわ」

 ミヤビちゃんはそう言い直すと舌をちょっと出した。多分彼女、普段からソノさんに言葉使いを注意されているんだろう。

「ミヤビ、ご苦労様。二人とも入りなさい」

 ふすま越しの声が響く。その声はとても今年米寿を迎える人の声とは思えない程ハリがある。

「はい。失礼します」

 ミヤビちゃんが居間の戸を開け、俺もその後について部屋に入ると、そこには祝いの膳が用意され、ソノさんの米寿を祝う会に出席している人たちが、かしこまって座っていた。

 我が家の家族三人と、母親の母(つまりは俺にとってのばあちゃんだが)、それから母親の妹、その連れ合い、その娘二人、それから近所の方々が八人ほど、そしてソノさん本人の計十七人。これでも内々の会で、大袈裟な事の苦手なソノさんが最小限の人数を提案したのだという。


 俺はホンの小さな頃、母親に連れられてここに来た事があるという話だったが、そんな記憶はほとんど無く、ソノさんに会うのもほぼ初めて、という印象だった。

 上座に座っているソノさんは、声と同じく、今年で八十七歳とは思えないくらいに若く見えた。髪は白いが肌はピンクで、目は活力に溢れている。長年、地元では大きなスーパーの経営に携わってきたと母親から聞いてはいたが、なるほど、只者じゃない雰囲気が一杯だ。

 実はうちの母親と親父はばあちゃんから結婚を反対され、それでも無理やり結婚したという経緯があったらしい。それ故、ここの家とは縁遠くなっていたらしいのだが、今回のソノさんの米寿のお祝いを機に、久し振りに……という訳でもあったのだ。だから親父も母親も、それにいつもは異常に元気のいい姉貴も、借りてきた猫みたいにかしこまって座っているのだろう。あ、でも、ばあちゃんとは、俺達孫が生まれたことでわだかまりが無くなったのか、年に一度位はばあちゃんが我が家をこっそり尋ねて来る事はあったのだ。


「ほれ、そこの空いてる席に座りなさい。ミヤビもね」

 俺達は言われた通りに、ソノさんのすぐ側の席に座ることになった。

 ああ、鈍行は結構疲れたな……そうだ、とりあえず、ソノさんにちゃんとした挨拶をした方がいいのかなと思いながらテーブルに置かれているお絞りを使って手を拭いていると、痛いほどの視線を感じた。

 え? と思い、顔を上げると、久し振りに会うばあちゃん、それからソノさんと同年輩の、彼女と昔なじみと思われる近所の方、それからソノさん本人が、俺をじっと見つめていた。


「おお……これは……かおるこさん(これが俺のばあちゃんだ)が言っていた通りじゃな。なあ、ソノさん?」

「ええ……確かに……」

 そう言って彼らは目頭を押さえている。

「え? どういうこと?」

 不思議がっている俺に、隣のミヤビちゃんがほら、あれ、と指をさした。


 そこには古びた一枚のモノクロ写真が引き伸ばされて額に入れられ、飾られていた。

 それは二人で撮った記念写真だろう。二人ともまだ若い。今の俺くらいだろうか。女性は着物の下にもんぺを穿いてうつむき加減に、それでも嬉しそうに笑っている。隣の男性は国民服を着て帽子をかぶり、ニカッとわらっている。二人の間には微妙な距離が空けられていて、初々しさが垣間見られる。

「涼、あれが私のお父さん、隣に写っているのがお母さん、そこにいるソノさんよ」

 ばあちゃんが、俺を懐かしげな目で見つめる。そのばあちゃんの口から予想外の言葉が零れた。

「お父さん……」

「え? いやいや、ばあちゃん、何言ってんの? 俺は涼だって!」

「そんなの分ってますよ。でもほら、あの写真よく御覧なさいよ。涼そっくりじゃない」

「はぃ?」

 そう言われてもう一度写真をじっくりと見た。お! 確かに俺に似てるかも。体つきもそうだが、ニカッと笑った歯の感じとか……

「涼は今十八でしょ? 同い年ね。あれがお父さんの唯一の写真なの」

「唯一って……」

「戦争があったからね……今からもう七十年以上も前になるけれど……」

「ほら、かおるこ、後は少し私に話しをさせておくれ」

 ソノさんはテーブルの上のコップ酒をぐいっと煽ると、目を潤ませながらそう言った。


                 ***

 昭和三年生まれの私は、生まれた時から戦争をごく身近なものとして感じてきた。今の若い人には考えられないでしょうね。それでも人々は日々の生活を当たり前のように続けていたし、喜びも楽しみも極普通にあったのよ。戦争は海の向こうでのお話だったから。でも、次第に日本は追い詰められていったのよね。


 昭和十九年、私は十六だったわ。そう、今のミヤビと同じ頃かな。学校を出て、家のお手伝いをしていた時ね。縁談話が急に持ち上がったの。相手は隣村の亮三さん。二つ上の、まだ高等商業に籍を置く学生さんだった。戦地に赴く前に是非、というお話だったの。実は私、密かに亮三さんに憧れていたのね。当時亮三さんは、ここらの女の子、皆の憧れでもあったのよ。隣村から都会の高等商業に行ってしまうと知った時は、みんなで泣いたもの。

 その亮三さんとの縁談話。嬉しくて飛び上がっちゃいそうだった。一も二もなくお受けしたわ。


 戦時下という事もあって、式はごく内々で。その時、何枚か写真を撮ったけれど、後の空襲で殆んどが焼けちゃって。焼夷弾ってものが沢山落とされたのよ。無差別攻撃ね。本当は戦闘員以外は攻撃してはいけない決まりが戦争にもあるのにね。こんなこと、今の人は知らないでしょう? 

 でね、残っているのが、式を終えてほっとして、初めて二人きりで撮ったその写真一枚きり。私がずっと懐に入れていたお守りみたいなものね。


 でもね、二人の生活はそんなに長くは続かなかったの。式を終えてから一週間後に亮三さんは出征したわ。必ず無事に帰るからって言ってくれたけれど……始めは手紙もきたのよ。でも、何所にいるのかは極秘で……結局、戦争が終わっても亮三さんは帰ることは無かった。遺骨すらも戻らなかったの。だから、本当に亮三さんが亡くなったなんて、今でも信じてない部分もあるのよ。おかしいでしょ?

 その終戦の年、僅か一週間の結婚生活で授かった、かおるこを生んだわ。だからかおるこには父親の記憶は無いの。そこにある写真が唯一の記憶だわね。

 結局、空襲で家も焼け、親兄弟も亡くなって。お腹の大きかった私だけ、別の防空壕にいて生き残ったのね。

 周りからは、かおるこを養子に出して、新しい人生を歩みなさいって勧められたわ。まだ、十七歳だったからね。でもね、それは出来なかった。なんだかんだ理由をつけて断ったけれど、今考えてみれば、亮三さんが忘れられなかったのかな。


 戦後はただがむしゃらに働いたわ。かおるこを背負って行商に行ったものよ。浜で魚を買い付けてね、町で売り歩くの。売れない時は、山の方の村へも行ったわ。毎日行くとね、かおるこの為にもって、結構お客もついたのよ。

 それから魚屋を町で開いたわ。昭和三十年代、日本は好景気に沸いた。その魚屋をスーパーにしたのは我ながら先見の明があったのね。昭和四十年台のスーパー。今考えると懐かしいな。

 かおるこにも早めに婿をとって、そう、彼女が十九の時かな。で、子供が二人出来た。涼の母親の綾とその妹の富美ね。綾は昭和四十年生まれだから……今年で五十か。富美も四十八? 早いもんだわね。かおるこも旦那には早く先立たれたけれど、お店があったから何とかやってこれたのよね。

 綾と富美、ちゃんと大学も出して結婚させて、まあ、綾の時は結婚でもめたけれど、その後、それぞれ二人の子宝に恵まれた。かおるこもよくがんばったもんだわ。今でもスーパーの現役社長だから、まだまだ頑張ってもらわなくっちゃね。うん、まだ七十になったばかりだもの。

 その子供たちがここにいる私のひ孫って事になるのか。男の子は一人だけ。それが涼。私の家系はそもそも女系家族だからね。男の子が生まれるのはただでさえ珍しいことなのよ……

 ああ、私も今年で米寿を迎えるのか。考えてみれば随分年をとっちゃったな。写真の中の亮三さんは少しも年をとらないのにね。ふふっ、少し飲みすぎたかね? ちょっと横になろうかな……

 すまないが少しだけ自分の部屋で休むとするよ。みんなは楽しく宴会を続けておくれ。まだ時間は早いからね……


                  ***

「ソノさんって、たった一週間の結婚生活だったのね。それも今の私の年で結婚だなんて……」

 ソノさんが自分の部屋に下がった後も、俺達は宴を続けた。ミヤビちゃんが俺の耳元でそんなコトをぽつりと言った。

「曾おじいちゃんの亮三さんもさぞかし心残りだったろうな。まだ幼い嫁さんを残して亡くなるなんて」

 俺は心の底からそう思った。自分がその立場だったら……死んでも死に切れないぞ! きっと化けてでもソノさんの前に出てやろうとするな……

「うん……」

 元気のいいミヤビちゃんも、しゅんとしてうつむき加減だ。


「ねえ、涼ちゃん、もっと良く顔を見せてよ。ばあちゃん、お父さんをあの写真でしか知らないからさ。ね、いいでしょ?」

 お酒に酔ったばあちゃんが、顔を少し赤らめて俺にそう言った。そう言われてみれば、ばあちゃんもお父さんを知らずに育ったのだ。大変な事や悔しいことも沢山あっただろうな。俺はちょっとした事を思いついた。それをミヤビちゃんに耳打ちすると、ミヤビちゃんは面白そう! と乗り気になった。で、俺は早速ばあちゃんに提案したのだ。

「ねえ、ばあちゃん、後でソノさんと一緒に話があるんだ。ちょっとした余興だと思って受けてくれるかな?」

「え? 余興? それは楽しみね。ソノさんももう少ししたら戻ってくるでしょうから」

「じゃ、ばあちゃんも呼ばれるまでソノさんの部屋で待機ね。いい?」

「はい!」

 ばあちゃんの顔がぱっと輝いた。ばあちゃんは後姿もウキウキで、部屋からいそいそと出て行った。


「それから、すみません、ちょっとお願いがあるんですが。あの、ご近所の方、実はですね……」

 俺はソノさんを昔から知ってるご近所の方たちにあるお願いをした。

「え? そりゃいいけど。よし! 多分大丈夫だ。捨ててないはずだよ。待ってな。今、蔵の中を探してみるから」

「すみませんが、よろしくお願いします」

「まかせとけ!」

 ミヤビちゃんを先頭に、近所の方がそれぞれ自宅に戻って行った。後に残されたみんなに、俺は俺の考えた余興を一通り説明した。

 今日初めて会う母親の妹、富美おばさんもその旦那さんも、いとこに当たる二人の小中学生も、それぞれ賛成してくれた。

「涼、アンタ、何考えてるのよ。ちょっと変な事はしないでよ。せっかくお母さんもお父さんも久し振りにこの家と縁が繋がったっていうのに」

 姉貴が俺の耳を引っ張った。母親と父親は困り顔で俺を見つめてる。

「いいから、大丈夫。総ては俺が責任を取るから。みんなはただ俺に合わせてくれればいいから。ね?」

「もう、しょうがないわね。よし、乗りかかった船だ。沈まばもろともだ! やったろうじゃないの! じゃ、私は音響と照明を担当するわ。ね、あなた達も手伝ってね」

 今日始めて会った従姉妹に姉貴が早速仕切りを入れる。素直そうな従姉妹達は

「はーい!」

と諸手を上げての了解振りである。流石は我一族だ。ノリの良さは血のなせる業なのかも。

 そうして総ての準備が整ったのは、小一時間後だった。


                 ***

 宴会の後片付けをした居間は照明が落とされ、音楽が小さな音で流されている。曲は戦前、戦中に流行った歌謡曲が、ノートパソコンで用意されている。

 ふすまがすっと開いた。ソノさん、ばあちゃんが暗い居間に入ってくる。俺達の余興の始まりだ。


「ソノさん、それからかおるこ。そこに座ってくれ」

 俺に淡い光が当てられた。国民服に帽子のいでたち。ゲートルもちゃんと巻いている。掛っているあの写真と同じ格好だ。

「!」「!」

 俺を見た二人が息を飲んだのが分る。崩れ落ちるようにして、用意してあった座布団に座る二人だ。

「亮三さん?」

「ああ、そうだよ」

「お、おとうさん……」

 ばあちゃんにポッと淡い照明が当たる。

「うん。まずは、かおるこ、お前からだ。お前はお父さんを知らずに育ったな。ゴメンよ。俺が居なくてお前には随分寂しい思いをさせたな。友達にはお父さんがいるのに、私にはなぜ居ないのって、何度も何度も考えただろう? でもお前はお母さん思いの優しい子だから、それを口にしなかったな。偉かったぞ。でもな、父さんには分ってたよ。お前の祈りは総て届いていたからな。結婚が早かったのも、俺が居なかった事に関係があったんだろう。その連れ合いが亡くなった時も辛かったな。でも我慢強いお前は泣き言も言わずに、母さんを手伝って店を今の様な立派なものにしたな。いまだ現役社長か。凄いよ、かおるこ。お前は父さんの誇りだ。いつもお前の事を見守っているぞ。これからも身体に気をつけて、頑張りなさい……」

 目の前のばあちゃんが、本当に小さな我子に見えた。思わずその頭を撫でていると、小さなわが子が立ち上がり抱きついてくる。

「おとうちゃ~ん! おとうちゃん……」

 その泣き声は子供の声そのものだった。

「はは、泣くなよ、かおるこ。強いお前が泣いたりしたらおかしいぞ」

「うん……」


「じゃ、次はソノさん」

「は、はい」

 ソノさんはピンクの頬を更に紅潮させている。切り替わった、淡い光のせいだけではないはずだ。

「あなたには本当にすまないと思っている。僅か一週間だけの結婚生活。その為にあなたにはうんと迷惑をかけた……」

「そんなこと……私は例え一週間でもあなたと連れ添えて良かったと思ってます……」

 目の前のソノさんが十六歳の少女に見えた。

「ありがとう。私の事をずっと思っていてくれて。再婚もせずに、かおるこを立派に育ててくれた。親戚連中もみんな戦争で亡くなって。あなた一人に重荷をかけた。本当は俺もあなたと一緒に苦労をしたかった。同じ様にあなたと一緒に年をとりたかった。それが出来なかった俺を許してくれ……」

「亮三さん……」

 俺は目の前の少女を抱きしめた。少女の身体は柔らかく、甘い香りがした。


「さて、俺は行かなくては。ソノさん、あなたはゆっくりと、本当にゆっくりとでいいから、後でおいで。あと二十年はまだここで頑張らなくちゃ。いいかい? 身体には気をつけてな。俺はあなたをずっと思ってるから。いつでも天から見守ってるから。それじゃ、かおるこ、お母さんを頼むぞ。お前も元気で。お前のこともずっと見守ってるからな。二人とも元気で!」


 言葉の終わりと共に照明がすべて消えて、真っ暗になった。俺はそっと居間を出た。居間の外では、俺の計画に賛同して協力してくれた人達が、笑顔と拍手で俺を迎えてくれた。


                 ***

 その晩、俺達家族は父親の車でソノさんの家を後にしなければならなかった。泊っていってと言われたのだが、親父の仕事の関係もあり、それぞれに外せない事情もあっての事だった。

 ソノさん、ばあちゃんをはじめ、富美おばさん家族、ミヤビちゃん、近所の方々も俺達を見送ってくれた。

「涼君、また来てよね。今度は私がこの町を案内するからね。きっとよ!」

 ミヤビちゃんが手をヒラヒラと振ってくれてる。ソノさんにばあちゃんは、ただ無言で頭を下げてくれた。万感の思いを感じるお辞儀だった、と感じるのは俺の感傷に過ぎないのかもしれないけれど。


「それにしてもあんたの演技は真に迫っていたわね。アンタ、いつもそうやって女の子をだまくらかしてるんじゃないでしょうね?」

 動き始めた車の中で、姉貴がそんなコトを言った。

「え? そう? そんなに良かった? でもさ、おかしいんだよね。何も考えなくても、言葉が溢れてくるっていうか……ハハ、もしかしたら曾じいちゃんが乗移ってたのかもね……」

「あ!」

「何だよ、姉貴、変な声出しちゃって」

「ちょっとこれ見てよ。この写真……」

 それは姉貴がスマホで撮った、いくつかのスナップだった。

 俺の体が光に包まれてる。ソノさんとばあちゃんも同様だ。

「これは……シャメの失敗……かな?」

「ばか! そんなはず無いわ。これまでこんな失敗したコト無いもの。きっと……」

「そうね。ソノさんの恋人がきっと……見守ってくれていたのよ」

 母さんが似合わない事を言った。

「ソノさんの恋人……そうね、曾おじいちゃんはソノさんにとってはいつまでも恋人なのよね。分るわ……」

「ふぅん……そんなものなのかもね。勉強になります……」

 そう呟いた俺は、何気なく後ろを振り返った。と、そこには……

 ばあちゃんとソノさんの間に、俺そっくりの……曾じいちゃんの姿が光に包まれて……俺に向かって敬礼をしているように俺には感じられたのだ。

「うん。きっとそうなんだね……」

 俺も思わず敬礼を返した。


 みんな、元気で。色んな事があるのが人生なんだろうね。それでも元気で。それだから元気で!

 バイバイ、みんな。バイバイ曾じいちゃん。

 俺も頑張ろう! 俺はあったかい気持ちでこの町を後にする。また来るからね。魚の町!

 今度来た時にはミヤビちゃんともっと仲良くなれたらいいなと、まだ生臭い人間の男である俺は、そんな風にも考えるのである。

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ソノさんの恋人 黒猫くろすけ @kuro207

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