この部屋でキミと

水上下波

第1話

 慣れ親しんだ自宅リビングでくつろぎながら趣味の読書を楽しむ。カーペットに寝転がる私のすぐ隣には、幼馴染の春菜だけがいて、私と同じようにうつぶせになりながら雑誌を読んでいた。

 付けっぱなしにしていたテレビからは海外で起こっているらしい暴動の様子が流れてきていた。曰く、数日前から続く暴動は沈静化の兆しも見えません、だとか。レポーターの必死の叫び声も、その倍もある騒乱にあっけなくかき消されて聞き取りづらい。

 なにやら世界は大変なことになっているらしいけれど、それはどこか遠くの非日常の話。この部屋にあるのは、非のつけようも無いほどの平和な日常で、それ以外には何も足さないし、引いたりもしない。

 手にした文庫本もちょうど佳境に入ろうかというところで、気を散らされるのが嫌だったから、私は何気なくテレビを消した。

 すぐにそれが大きな間違いだったと気付いたけれど、後悔してももう遅い。読書に気をとられるあまり、すぐ近くに平穏を脅かす存在が居たことをすっかり忘れていたらしい。

 テレビを消した途端に、それを待っていたみたいに、それまで大人しくしていた春菜がねーねーねーと声を上げ始めた。そればかりか駄々っ子みたいに足をバタバタさせてきて、鬱陶しいことこの上ない。

 ていうか、蹴られて痛い。


「うざい!」


 蹴ってくる足を容赦なく払いのけると、春菜が首だけで振り向いた。


「ねーねー清花ちゃん、暇なんだけどー」

「我慢しろ」

「えー! むーりぃー!!」


 言葉に合わせて、全身で抗議を表すみたいに一層バタ足が激しくなった。本当に子供みたい。さっき払いのけたはずなのに、ご丁寧に元の位置に戻された春菜の足が、無遠慮に背中をノックしてくる。


「なんなんだよもう、痛いだろ!」

「だーって暇なんだもーん」


 なんの言い訳にもなっていない、子供みたいな言い草。春菜と私は同い年で、だから春菜がとっくの昔に成人しているのは間違いないのに、精神年齢はまるっきり小学生レベルじゃないか。

 仕方なく文庫本に栞を挟むと、それを見ていた春菜が満面の笑みを浮かべた。私に対する攻撃も止んだけれど、今度はお行儀悪く足で拍手……拍足? をしている。さっきは駄々っ子みたいって思ったけれど、今はパタパタと落ち着き無く揺れる犬の尻尾のようだ。


「……漫画でも読んでればいいじゃん」

「何度も読んでてもう読み飽きちゃった。なんだったらセリフまで憶えてるよ?」


 確かにウチに漫画はあまり置いてないし、何度も読み返してるというのも本当だ。けど、セリフを憶えてるってのは嘘じゃないかな。多分、春菜には無理だと思う。もちろん、やぶ蛇になりかねないので言葉にはしない。


「じゃあ雑誌」

「それも同じー。だってこれ三ヶ月前のやつだよ?」

「テレビ」

「再放送かニュースしかやってない」

「ああっもう!」


 聞き分けが無いにも程がある!

 せっかく大声を出したのに春菜は怯むことも無く、それどころか楽しそうに笑っている。この程度の言い争いは私たちの間では日常会話みたいなもんだけど、満面の笑みを見ていたら怒る気も失せてしまう。

 つくづく得な奴だよなぁと思う。そしてそんなとき損を被るのは、大抵私自身なんだからやりきれない。


「そもそもテレビが普通に映るだけでもありがたいと思えよ」

「そりゃそうなんだけどさぁ……。もうずーっと、何にも変わらなくておんなじだし、流石に飽きるでしょ」


 春菜の気持ちは判らなくも無い。私だってもう何度も同じ小説を読み返しているのだから。


「……はあ。あたしの部屋に小説あるからそれでも読んだら?」


 もちろんこんなことで春菜が納得するなんて欠片も思ってなかった。春菜が一度もまともに小説を読みきった経験が無いことを知っている程度には、私たちは長い付き合いなんだから。予想通り春菜は力強く、むしろ若干誇らしげに首を振る。


「えっ、無理無理! ぜーったい読み終わらないし! だってもう今日で終わりなんだよ?」

「……良く分かってるじゃん」


 返答が遅れたのは春菜の言葉にドキッとさせられたから。すぐに気を取り直したから、多分春菜は気が付いてない、はず。


「分かってるなら、私の読書も邪魔しないで欲しいんだけど」


 非難の意味をこめてにらみつけてみたけれどやっぱり効果は無かった。それどころか目が合った途端に、春菜は緊張感のかけらも無く、にへらっと笑う。というか「えへへへー」という声が唇の端から漏れている。

 それだけでそれ以上何も言えなくなってしまうのだから仕方がない。


「えへへじゃねえよ……ったく」


 実際にはもう結末まで読んだことがある本だったから、たとえ読みきれなかったとしても構わないんだけど。それでも途中読みのままで終わってしまうのは、やっぱりなんだか座りが悪い気がする。


 ……ああ、そっか。

 そこまで考えて、私はようやくそんなことを考えている自分に気が付いた。そして、ずっと前から知っていたことなのに、今更ながらそれをはっきりと意識した。それとも、いつの間にか無意識に考えないようにしていたんだろうか。

 けれど改めて言葉にしたことで、それは頭の片隅にちゃんと居場所を作って住み着いていたんだということを、私は知ってしまった。


 それは今この地球に住む全人類が知っていること。


 明日、この世界は終わる。

 

 

-------------------

 

 

 終末宣言が発表されたのはどれくらい前のことだったか。随分昔のことのようにも感じるし、つい最近だった気もする。

 もちろん、ある日唐突に「世界が終わります!」なんて言われても、初めは誰も信じてなんかいなかった。誰もがそれを笑い飛ばして、日常を続けようとしていた。

 けれど終末宣言は発し続けられて、事実として世界には変なことが起こり続けている。だから皆も、そのうち終末を信じるようになって、何時の間にかそれは誰にとっても常識になった。


 世界の終わりは、世界から法律を壊した。先が無いから法律なんか守っていてもしょうがないってことなんだろう。仕事を辞めて田舎に逃げ出す人も大勢いたから、警察や自衛隊はもう殆ど機能して無いし。

 だから結果として内輪もめみたいな小競り合いは増えたけれど、その代わりずっと続いてた戦争は無くなった。詳しくは知らないけれど、戦争なんかしててもしょうがないってことらしい。これを平和と呼ぶべきかどうかは分からないけれど、私はそれで良いんじゃないかなぁって思う。


 他にも”しょうがない”なことはたくさんあったけど、いつの間にかそれすらも当たり前に慣れてしまった。

 初めのころは暴動みたいなことが頻発していたけれど、今ではそれも随分落ち着いた。多分、ようやく諦めがついたってことなのかな。今は諦めの悪い人たちがたまに暴れてるくらい。

 日本では不思議と今までどおりの生活を続ける人も多いらしくて、だから今でも電気や水道が使えるのは、そんな人たちのおかげ。本当にありがたい。それでもやっぱりまだまだ色々、不安定なことは多いから。だから出来るだけ外には出ない方が良いんじゃないかな。


 そんなようなことを、これ以上ないくらい噛み砕いて春菜に説明してみたけれど、予想通り、さっぱり理解されなかったらしい。春菜は変わらず頬を膨らませている。


「やっぱさー、どっかでかけない?」

「やだ。私の話聞いてた?」

「だってこんなにいい天気なんだよ?」

「もうずっと、いい天気じゃない日なんて無いけどね」


 ここ一ヶ月くらい雨を見た記憶が無い。最近では曇りの日ですら珍しいくらい。これも終末に伴う異常気象ってことらしい。詳しくは知らないけれど、誰かがそう言っていたからそうなんだろう。


「でも出かけるのは却下ね」

「ええー」

「危ないでしょ。もうこの辺は残ってる人自体少ないけど、だからこそなにかあってからじゃ遅いんだよ」

「ううー……ケチー!」


 ケチとかそういう問題でもなかろうに。どう説得すれば諦めてくれるのかなとちょっと考えて、気がついた。私もうっかりしていたらしい。


「時計見てみな。もう夜の時間なんだから、今更出かけるも何もないでしょ」


 壁に掛かっている時計に目線をやった途端、春菜が叫び声を上げた。


「うわっ、ホントだ! なんかずっと明るいから時間感覚狂うね」


 その言葉につられるように、私は窓の外を見た。カーテンのひかれていない窓からは真昼と変わらない陽光がさしこんできている。終末はこの世界から雨を無くしただけじゃなく、夜すらも奪ってしまった。これも詳しい原理は分からないけど、まあ、そういうもんだ。これじゃあ天体観測なんてとてもじゃないけど出来やしない。したことなんて一度もないけれど、こんなことになるんだったら、一度くらいはやっておいてもよかったかもしれない。


「暴れてる人たちも、それで生活のリズムが崩れて、そのせいで精神がおかしくなったからってのも原因の一つらしいよ」

「ふぅん」


 興味が無いのか、それともあまり理解できてないせいなのか。きっとどちらもなのだろう。とにかく春菜の返事はそっけない。

 しばらく無言の時を流れるままにしていたら、やがて唐突に春菜がパンっと手を叩いた。


「そうだ! ならご飯にしよう」

「時間みたらお腹減ったのか」

「えへへー。まあねー」

「……お前はほんとどうしようもねえなぁ。まあいいや、作るならあたしの分もよろしく」


 実のところ私も微妙にお腹が空いていた。気がつくまでは忘れていられたのに、一度意識してしまうとやたら気になる。人体の不思議。


「はいはーい」


 元気に返事をして春菜がキッチンへと引っ込んでいったのを見送って、傍らに置いていた文庫本に手を伸ばしかける。これでしばらくはゆっくり読書ができると思ったのだけれど、またすぐに春菜の叫び声が邪魔をした。


「ねー! 水が出ないんだけどー」

「ふぅん」

「ふぅんじゃないよ、ご飯どうしよう」


 春菜がキッチンから顔だけを出して助けを求めてくる。ついに水道が止まったか。今まで普通に使えていたことがもう奇跡みたいなもんだけど、せめて電気だけはこのまま最期まで保って欲しい。私はため息をついて立ち上がると春菜の元へと向かった。


「冷蔵庫にミネラルウォーターあるじゃん。それ使いなよ」

「えー? 何そのもったいない使い方」

「余したって意味ないでしょ。今日で最期なんだから使い切っちゃえばいいのよ」


 私がそう言うと、春菜は分かりやすくポンと手を叩いた。


「ああ、そっか! なんかついつい忘れちゃうね」

「お前は特別記憶力が悪いから」

「えー? そうかなぁ……」


 すぐに否定しない辺り、自分でも自覚してるのだろうか。


「頭も悪いし、要領も悪い」


 けど愛想だけは良い。こんな世界のなかで、その明るさに救われることもあるということは言わないでおいた。


「酷いこと言うなぁもう……」


 春菜は不満げに眉根を寄せている。でも見た目ほどには気にしてないはずで、そう思っていたらやっぱりすぐに笑顔に戻った。


「あっ、じゃあさ、お風呂もミネラルウォーターにしよっか?」

「何の意味があるのよそれ」

「何となくお肌に良さそうな気がしない? ミネラル成分がーみたいなさ」


 春菜はそこで一度言葉を切る。小さな照れ笑いを浮かべたのは、私の呆れ顔に気付いたからだろう。言い訳するみたいに、


「それにさ、今までやったこと無いから一度くらいはやってみたいんだよね。ほら、もうこれで最期なんだから」


 と言いながら小首を傾げて、上目遣いで私を見る。その視線は、清花ちゃんもそうでしょ? と言っているみたいだった。


「まあ、気持ちは分からなくもないけどさ。でもお風呂にするには流石に足りないから無理。ていうかペットボトル何本分いるんだよって話」

「あはは、だよねー」


 今度はあっさりと諦めてくれた。まさか本気なはずは無いと思っていたけれど、相手が春菜じゃその可能性もあったから。冗談だったと分かってちょっとホッとした。


「昨日のお風呂、お湯捨ててなくて良かったね。追い炊きすれば入れるし」

「えっ! 残り湯なの!?」

「水出ないんだからそれしかないじゃん。しょうがないでしょ」

「せっかく最期の日なのにぃ」


 春菜は大袈裟に肩を落とした。きっとこれはさっきの続き。春菜だって、しょうがないってことは判ってるんだ。私は本日何度めかになるため息をついた。


「かわりに入浴剤入れてあげるから。お気に入りのやつ」

「うぅー……しょうがないなあ。それで我慢してあげるよ」

「……あのさあ、言っとくけどその入浴剤すげー高いやつなんだからな。いつか使おうと思ってとっておいた、最後の一個なんだから。もっとありがたがれよ」

「はいはーい。ありがとうございますー」


 春菜が能天気な声を上げるのを見ながら、苦笑した。

 私たちは競い合うみたいに、最期だとかしょうがないだとか、そんな言葉を口にしあう。何度も、何度も。

 それはきっと確認作業みたいなもので、もうすぐ来る終わりの時を受け入れる準備をしていたのだろう。

 けれどそれは言葉にすればするほどに、まるで現実感がなくなっていくのだということにも、多分私たちはとっくに気づいていた。

 

 

--------------------------------

 

 

 本棚以外には家具らしい家具もなく、ガランと広いばかりの私の部屋。私はずっとこの部屋で生まれ育ち、そしてそれももうすぐ終わろうとしている。今は春菜と二人、並べて敷かれた布団に寝転がっていた。

 時間はとっくに真夜中だったけれど、部屋の外は相変わらず明るい。その瞬間まで、この世界にはあとどれくらいの時間が残されているのだろうか。

 カーテンを引くと、申し訳程度の闇が部屋を包んだ。それは昔、私たちがまだ普通に学校に通っていた頃、午後の授業中に突然の通り雨が降り出した時や、居眠りをしていて目が覚めたら放課後になっていたときのような、そんな薄暗がりに似ていた。だからなのかな。私はなんだか、懐かしさと不安をごちゃ混ぜにしたみたいな、そんな気持ちにさせられた。


「ねえ」


 遠慮がちな春菜の呼び声は、暗闇に吸い込まれるように部屋の隅に消える。


「清花ちゃん、寝ちゃった?」

「……起きてる」

「だと思った。なんか、寝れないよね」

「…………まあね」


春菜に背を向けるように、私は寝返りをうった。目を瞑ったままでいると、その分周囲の物音がやけに耳につくということを、私は知った。このまま耳をすませていたら、春菜が呼吸する音や、血液の流れる音まで聞こえてしまいそうで、私は目を開けた。


「……ホントにさ、今日で全部終わりになると思う?」

「さあ? ちょっと前まではテレビでも色々やってたけど、最近はさっぱりやらなくなったね」

「巨大隕石が降ってくるんだっけ?」


 言いながら、春菜は思い出し笑いで吹き出した。そのおかげで、空気もずいぶん軽くなる。


「どうだかね。異常気象でスーパー氷河期が来るんだって言ってた時期もあったし、逆に地球温暖化が加速するんだって言ってる人もいたっけ。どっかであったらしい核戦争のせいだって言ってた人もいたような気がするし」

「一番笑ったのはあれだよね。地球のですね、中心核が爆発するんですよ! ってやつ」


 つい何週間か前までしきりにテレビで熱弁をふるっていた科学者の口調を真似して言うと、自分で堪えきれなくなったのか、春菜は堪えきれなくなったのか大きな声で笑いだす。

 誰からも相手にされず、そのうちすっかりテレビに出なくなってしまった白髪の彼は、今頃何をしているのだろう。


 開けっ放しの窓から風が吹いてきて、ふわりとカーテンを揺らした。カーテンの隙間から見える外の景色は、夏の日の晴天そのものだった。こんな日にも、地球は変わらず回っている。

 ようやく笑いが収まると、春菜が控えめに、「結局さ」とポツリと言う。


「どれもハッキリしてないってことだよね。実際にはちゃんと決まってるんだろうけど、私たちには知らされない。ただ事実として、今日で世界が終わるってことだけが決まってるだけで」

「……案外何もかもが全部嘘で、明日もまた今日までと同じように目が覚めたりして?」

「ふふっ。そうだったら良いね」


 慈しむように微笑む春菜に、だけど同じように笑い返すことができなかったのはどうしてだろう。背中を向けながら、私は精一杯の皮肉を口にする。


「そしたらまた仕事探さなきゃじゃん。ていうかまず国とか政府とか、そんなのももうなくなっちゃったんだから逆に大変だろうけど」

「……でも、ホントにそうだったら良いのにね」


 それはまるで叶わない夢でも語るような口調で、もちろん二人とも初めからそんなこと信じてなんかいなかった。今夜眠りにつけば、私たちはそのままもう二度と目覚めることは無いのだろう。


「でもやっぱりきっと、世界は終わるんだよね」


 だからこれはどれだけ突き詰めてもただのロスタイムみたいなもの。どれだけ明日を願ったところで終わりは誰の元にも平等に訪れる。


「まあ……、そうだろうね。もう時間的には真夜中なのに、外はいつまでたっても明るいし。十二月なのに春みたいにずっと暖かいし」

「少なくとも普通じゃない事が起こってるのは事実なんだよね。これが隕石のせいなのか核戦争のせいなのかは知らないけど」

「怖い?」


 私の問いに、春菜は少し考え込む。しばらく待っていると、やがて小さく首を振った。


「……うーん、あんまり。でもどうせなら地球爆発の方が良いかな」

「なんで?」

「苦しんでる暇もなく終わりそうでしょ? それくらいむちゃくちゃで理不尽なら、なにもかも諦めつくし」

「あー、確かに苦しいのは嫌だな」


 それが最後の望みだとでもいうような声で春菜が小さく「だよね」と呟いた。


「……なんかさ、よく分かんないんだ。世界の終わりだなんて、もっと取り乱すんじゃないかなって思ってたけど、不思議なくらい落ち着いてるんだよね」

「テレビとかでずっと言われ続けてたから慣れたのかもな。覚悟する時間だけはいくらでもあったから」

「でもやっぱり現実感は無いなぁ。自分の人生の終わりって、もっと劇的なものだと思ってた」


 それはついこの間まで誰もが無条件に信じていたこと。そして誰もが、そんな思いにはなんの根拠も無かったのだと気づかされたこと。

 どうしようもなく理不尽に、唐突に、あっけなく、全ては終わる。

 だからそれを誤魔化したくて、私は言葉を紡ぐ。


「全世界同時に終焉します! なんて、十分劇的じゃん」


 それがただの気休めに過ぎないことは、自分自身にも判っていた。けれどそうでも思わなければ、今まで自分が生きた理由さえ判らなくなりそうだったから。


「うーん。それもそっかな」

「……考えてみれば、殆どの人は覚悟も準備も無いままで突然死んじゃうわけだ。事故だったり、急な病気だったり。そう考えれば、終わり方を選べる分だけ、私たちは恵まれてるのかもしれない」

「確かにそうかも。こないだの暴動に巻き込まれて亡くなった人とか可哀想だったもんね」


 決して悲観的ではなく、それどころかそれは、輝かしい思い出でも語るかのような口調だった。そんなことを言われたら、呆れるしかない。


「……言っとくけど、お前も他人事じゃ無かったんだからな。私が助けに入らなかったら今頃死んでたかもしれないんだぞ」

「あはは、その節は大変お世話になりました」

「……まあ無事だったから、良いけど」

「なんだかすごい昔のことみたいだけど、あれからまだ二週間も経ってないんだね」


 街を歩いていたところを襲われかけて、なんとか逃げ帰ってきたのはほんの数日前のこと。私たちはそれ以来一度も外に出ていない。


「長いんだか短いんだかわかんないな」

「ずっと部屋で過ごしてたから、段々分かんなくなっちゃうよね」

「まあね」


 小さく呟いたその声色は、呆れているようでもあり懐かしんでいるようでもあって、そんなことに自分でも驚いた。


「あのとき清花ちゃんに助けてもらって、それからはずっと二人きり。この部屋に一緒にいて、だけどそれも今日で終わる。……これが私たちの終わり方、なんだね」

「不満ですか」


 冗談めかしてそう問うと、春菜は微かに笑った。それから首を横に振ったのだということが、布ずれの音で分かった。


「そうじゃないけど、何となくね。世界の終わりが分かってからは、全部やりきって後悔の無いようにってずっと思ってたはずだったんだけどさ。いざこれで終わりです! ってなると、やっぱり何かやり残してる気がするんだよね」

「まあ、それはしょうがないでしょ。例え百歳まで生きてたとしても、きっと私は死にたくないって思うよ。生きてるんだから、どうしたって悔いは残るんじゃないかな。多分」

「そりゃーそうなんだけどさー……」


 春菜の声には隠しようの無い不満が滲んでいる。理解することと、納得することとはまた別の話なのだろう。


「じゃあ外に出て暴れてくるか。未だに諦めきれずにテロみたいなことしてる人もいるしさ。最期なんだからやりたいようにすればいいよ」

「うーん、そうだなぁ……。いいや、やっぱりやめとく」


 春菜がどこか投げやりに、そう言い放つ。その反応はちょっとだけ意外だった。春菜なら喜んで飛び出していきかねないと思っていたから。

 隣を振り返ってみても、春菜はぼんやりと天井を見つめているだけだった。


「良いの?」

「終わり方を自分で決めれるっていうなら、私はこうやって清花ちゃんと寝転がってぐだぐだしてる方が良いかな。そっちの方が私たちっぽいって思うし」


 そこまで一息に言い切ると、唐突に春菜が顔をこちらに向けた。その表情は憑き物がとれたような笑顔。不意に真正面から目が合って、私は思わず顔を逸らすと、かろうじて「そっか」とだけ呟いた。


「清花ちゃんは私につき合わせちゃってるけどねー。清花ちゃんもやりたいことあったら、やっちゃった方が良いよ?」


 余計なお世話だよ。とは言わないでおいた。春菜はもう全てを受け入れてしまっているのだと分かったから。だから私も受け入れようと、そう思った。それは諦めることに似ているけれど、やっぱりちょっと違う。


「なら私もこのままで良いかな。今更どっか行くのもめんどくさいし。それに、こうやってボーっとしてるのも穏やかで、それなりに幸せだったから」

「……ありがと」

「…………」


 春菜の言葉を、私はあえて無視した。目を瞑って、息を殺す。


「寝ちゃった?」


 すぐ隣から春菜が身体を起こす気配がして、私はほんの少し身を硬くした。春菜がくすりと笑う声が聞こえた。


「それとも、照れてるの?」


 いつの間にそんなに近づいてきていたのか、その声はすぐ耳元から。このまま寝たふりを続けるつもりだったのに、思わず身じろぎしてしまう。それに気付いたのだろう。春菜が堪えきれなくなったように吹き出した。


「やっぱり起きてた」

「うっさいなあ! もう寝るよ」


 春菜の頭を軽く叩いて黙らせてから、かけ布団を頭から被りなおす。


「はいはーい」


 春菜はまだ笑いが収まっていないようだったけれど、大人しく従ってくれた。

 

 

----------------------------

 

 

 二人ともが黙り込んでしまうと、部屋には呼吸の音だけが満ちた。外からはまだ人が活動する音がまばらに聞こえていたけれど、それもどこか遠い。

 数分か数十分か、それとも一時間くらいは経ったのだろうか。時間の感覚が曖昧でよく分からない。それまで大人しくしていた春菜が、再び口を開いた。


「ね、清花ちゃん」


 その声には確信がこもっていた。私がまだ寝ていないことが分かっていたのだろう。

 私はしばらく黙っていたけれど、結局は思い直して目を開けた。黙っていた時間は、無視しようか迷っていた時間。けれど、それでも律儀に言葉を返したのは、もしかしたら私も終わり方を決めかねていたからなのかもしれない。


「……なに? もういい加減寝たいんだけど」

「手、繋いでても、良い?」

「…………どうぞ」


 私が応えると、私の返事が判っていたみたいに、ほとんど間をおかずに春菜の左手が布団の中に入ってきた。それからすぐに手のひらを探し当てて、キュッと握ってくる。

 そんな単純なことで少し安心してしまった自分に、自分でもちょっと笑えてくる。右手に感じる春菜の感触を確かめるように、私はその手を軽く握り返す。


「ふふ。ありがと」

「……はいはい。もういい加減寝ような」

 

 返事の代わりに、春菜は握った手に力をこめた。それは言葉じゃないから、言葉以上に気持ちを伝えることができるのだと思った。

 もう終わりで、良いんだよね?

 だから私はふっと息を吐いて、最期の別れを言葉にする。


「……おやすみ」

「おやすみ。今までありがと。また明日、ね」


 そういうと春菜は今度こそ目を閉じて、それからもう二度と開くことは無かった。

 春菜の願い通りに、また明日があるのかどうかは分からないけれど。


 それでも、明日もまた今までどおり。隣に春菜が居てくれることを夢見て、私も瞳を閉じる。



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