育子と静子

 育子さんは、義兄嫁だった。


 同じ家に嫁いだもの同士、気が合ったということもあって仲良く過ごしていた。年も近く、まるで本当の姉妹のようだと夫からはよく言われたものだ。

 松浦家に嫁いで十年――育子さんは病の床にある。


「静子ちゃん、これをもらってくれないかしら」


 すっかり痩せ細ったその手に握られていたのは、うつくしい懐中時計であった。

「これは……育子さんの大事なものでしょう」

 親しくなってから、少女のような顔で「内緒ね」と教えてもらった清四郎さんと時計の話。やわらかく、けれどかなしげに笑う青年との日々のこと。

「大事なものだから、静子ちゃんにもらってほしいの。私はもう長くないから」

「そんなこと……!」

 あのね、と育子さんは微笑む。

「静子ちゃんは、きっと私のもうひとりの『セイ』だったのよ」

 そのしあわせそうな微笑みに、言葉を飲み込んだ。

「もうすぐ、清四郎さんに会えるのね」

 決して不幸な結婚生活ではなかった、と育子さんは言う。夫に愛されてしあわせだった。夫を愛することもできた。


 ただただ心残りだった。

 やわらかく微笑みながら、どこか孤独であった青年に、ただ一言、貴方はかけがえのない人なのだと。

 それだけを、伝えなければならぬのだ、と。

 そう言って、微笑みを浮かべて、その数日後、彼女は静かに逝った。


 ――私の手に、うつくしい懐中時計を遺して。

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イクトセイ 青柳朔 @hajime-ao

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