番外編
後日談
「もぉー! なんだってふたりして寝坊すんのー!?」
「聖花が目覚まし鳴る前に止めたからだろーが」
いや鳴った瞬間に止めたのか。一瞬だけ音が聞こえた気もするがそのまま寝てしまったのは俺も同じだった。ばたばたとトーストを咥えたまま支度をする。ネクタイを締めている俺の隣で聖花は化粧していた。
「寝癖」
首筋の髪に触れて指摘すると、聖花は鏡を覗き込み「うげー!」と櫛で寝癖と格闘し始めた。
「あと五分が限界」
「あー! やばいやばい! あたしのストッキングどこ!?」
「んー? 新しいの、どっかに置いていかなかったっけ」
なんだかんだと俺の家に泊り込むことが増えて、聖花の私物は増える一方だ。
どうにかこうにか支度を済ませた聖花と駅まで走る。当然電車は通勤通学のラッシュで満員だった。
飲み込まれそうになる聖花の腕を掴んで入り口の隅に場所を確保する。いつも思うけどこのすし詰め状態で女性はどうやって息をしているんだろう。潰れないのか。
「ありがとー」
俺が壁になっていると、聖花は随分と楽そうにしている。女にしては背が高いけど、それでもやっぱり華奢だ。しかも足元はヒールときている。
「そういえばさ、大学のときも、助けてくれたでしょ。ありがとね」
いしし、と笑う聖花に、言葉を飲み込んだ。確かに大学のとき、一度だけ今みたいな状況になったことがある。あのときは向かいあって立ってなかったけれど。
「……なんで俺だってわかったん」
「親指のとこの傷あったから」
言われて自分の手を見る。子どもの頃の傷跡は、もう随分薄くなっていた。
「よくそんなこと覚えてんな」
「郁人だってそうじゃん。ドレス選びのときとかさー」
そうだっけ、と呟く。ウェディングドレスは、うちの姉貴たちも含めて四人でいった。姉貴はやたらとマーメイドラインとかいうドレスをすすめていたけど、俺は別のドレスを指さした。ふわりとして、背中のほうが長い――お姫様みたいなドレスを。
『花嫁さんって、お姫様みたいだね』
テレビか何かで、結婚式のシーンをやっているときに聖花がそう言った。アタシもいつかお姫様になれるかな、なんて、珍しく女の子らしいことを言って。
『なれるだろ、いつか』
いつか、誰かと結婚すれば。
姉貴たちの選んだドレスは、似合ってはいたけれど『お姫様』っぽくはなかった。だからそれは駄目だと半ば強引に選んだ。当の本人がどちらでもよさそうな顔をしていたから。
――しばらくして、駅に着く。
「おまえ今日はどうすんの」
金曜日ともなるとたいてい泊まりにやってくる。今はもうお互い合鍵を持っているけど、来るというなら残業は避けたい。
「あ、今日は真奈美と飲みに行く」
「……遅くなるなら連絡な」
飲み過ぎなければ問題ないが、聖花には前科がある。大丈夫だよ、と聖花は笑っていたが再度念を押しておいた。
*
仕事を定時に終わらせて真奈美と待ち合わせの場所まで急ぐ。郁人からは昼にきた連絡以降何もない。たぶんまだ仕事をしているんだろう。花の金曜日だというのにご苦労なことだ。
真奈美との待ち合わせ場所に行くと、時間厳守の彼女はとっくにあたしを待っていた。
「ごめん待った?」
「それほどでも。早く行くわよ」
これから飲み会やデートだろうって人たちで街はいっぱいだ。
郁人と飲むときのような居酒屋ではなく、ちょっと小洒落たお店に入る。真奈美はいろんな店を知っていて、いつも同じ店ばかりのあたしとは大違いだ。
カウンターに並んで座り、飲み物を注文する。ちらりとスマホを見たけど、郁人からの連絡はまだない。最近のあいつは少し過保護気味なところがあるから、気をつけないとあとで小言を言われる。
「で? うまくやってんの?」
「んー? 別に今までとたいして変わんないよ。恋人だろうがなんだろうが郁人は郁人だし」
関係性をどんな風に呼ぼうがどうだっていいのだ。あたしの隣にいるのが郁人であって、郁人の隣にいるのがあたしであるという事実さえあれば。
「ふぅん……あ」
面白くなさそうに真奈美は相槌を打ったあとで、目を丸くする。その目があたしの首のあたりをじっと見ていた。
「キスマーク」
「へ!?」
とっさに真奈美が見ているあたりを手で隠した。瞬間的に顔が熱くなる。
「……なんだ、やることやってんのね」
「いやー……あの、まぁ……?」
――郁人の奴、次会ったときにしばく。
「隠れそうで隠れなさそうな絶妙なところにつけちゃって……松浦くんってむっつりだったのねぇ」
くすくすと笑いながらカクテルを飲む真奈美の顔が見れなくて、あたしはちびちびとお酒を飲むしかなかった。
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