第18話 僕は人間に就職します

「人間とは良いところばかりではない。動物のように欲求に正直でありながら、心を持っているおかげで散々な目に合うこともあるだろう。人道を外れてしまう人々も居る。君もそうならないとは限らない。実地研修で、人間の悪い処を見てきたと思うが、君はどう思ったね」

「残酷な事をすると思いました。人を貶めないと生きられないのだろうかと」

「ああ、そうだ。そんな人たちも居る。決して楽しい事ばかりではない。君もあの子のように家族で悩むかもしれない。犯罪に巻き込まれるかもしれない。罪を償う立場になるかもしれない。……それでも。それでも、だ。君は、人間に就職したいかね」

荘厳な就職門が、今か今かと待ちわびるかのように佇む。太い支柱に巻き付いた蔦が、不思議な動きをする。就職先、人間。門の上の看板が、そんな文字に変わる。

僕はそれを見ながら、頷いた。コブタ先生は、真剣な顔して、どうしてか眉間を押さえていた。それだけで、今の僕には彼の気持ちが分かる。この心を持って、先生の思いやりを受け取れた。

僕を心配してくれている。ただ一心に、僕のこの先を案じてくれている。

「もちろんです」

ただ一言、それだけだ。それで先生は、全てを察して抑えた眉間を晒した。すると不思議なくらいに涙の滝が出来上がって、一体何度泣けば気が済むんだろうと笑った。

ありがとう、先生。

昨日心の試験に合格して、それから先生は付きっ切りで僕の就職先について指導してくれた。すぐに就職できるよう手配もしてくれたし、これから僕がどうすればいいのかも教えてくれた。

その優しさが身に染みて、僕はどうしていいか分からない。ただただ、感謝の気持ちを伝えるばかりになってしまうけれど、それでも先生は嬉しそうだった。

就職門の手前にある地上鏡に目をやる。僕が操作すると、様々なものが映る。

蛙に就職したい友人は、今はオタマジャクシとして水面を漂っていた。きっと天上世界での生活の事は忘れて、ただ生きることに必死になっているだろう。その鳴き声を憧れていたなんて、覚えていないだろう。だけど、とても楽しそうだ。

犬に就職したくて、だけど人間の心を成長させてしまった彼は、僕より先に就職門を通った。そして既に人間の赤ちゃんとして生まれていた。優しそうなお母さんに包まれて、お餅のようなほっぺを惜しみなくさらけ出す。時折漏れる笑い声が、可愛らしい。

リカちゃんは、いつも通り学校に行っていた。友達のユウちゃんと楽しそうにおしゃべりして、お弁当を分け合っている。たまに気づいているかのように空を見上げるものだから、リカちゃんは一番得体が知れなかった。だけど、そんなところも魅力的だと思う。

メイちゃんも今日は学校に行っていた。授業で必死に手を挙げて、積極的に発言する。今度行われる授業参観でお母さんにいいところを見せるんだと友達に話していて、それがとても微笑ましかった。

メイちゃんのお母さんは必死に働き口を探していた。倒れてからすぐに仕事を辞めて、また働くには相当な時間をかけるかもしれない。だけど、お母さんはめげない。たまに携帯を開いてメイちゃんの写真を愛おしそうに見つめるそれは、母性に満ちていた。

他にも色んな子たちの地上での生活を見る。動物、植物、人間。

僕は先生に向き直った。そして、人間に就職したい事を、まるで面接の時のように畏まって語った。

「人間の良いところは、心があることです。心があるおかげで、誰かを愛し、喜び、学ぶことが出来る。家族を大切にして、絆を感じて、友人を作ります。食べ物の美味しさに感動して、作ることに興味を持って、やがて生活を営んでいく。誰かのために動ける、幸せを分け合える、不幸の中で立ち向かえる勇気が持てる。僕は、こんなことが出来る生き物を他に知りません。だから」

コブタ先生は、涙を拭うことなく、僕の言葉の続きを待つ。真摯に、僕の言葉を受け止めるべく、真剣なまなざしで。

だから僕も、真剣に、そしてこの隠しきれない嬉しさを乗せて、こう言うのだ。

「僕は人間に就職します」


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僕は人間に就職します 美黒 @mikuro0128

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