2.売れない作家が炎上作家になるまで


「艦●れの圧力!」


 もしかするとネットのどこかで聞いたことのあるフレーズかもしれませんが、それ言ったの誰だと思いますか? わたしです。


 売れない作家として苦酸っぱいデビューを飾った当時の僕は、打ち切りや出版赤字というプレッシャー、現実と理想のギャップ、中々取れない大学の単位、決まらない就職となんか色んな世間の荒波にものすごい勢いにふりまわされて、毎日苦酸っぱいものを吐きながらなんとか生きてました。

 自分の本の表紙を見ただけで吐いてしまったときは本気で焦りましたけど。


 とはいえ何十回と落選を繰り返し、なんとか掴んだ受賞の2文字。

 いまさら捨てるには、あまりに賭けてきたモノが多すぎます。留年も既にこの時点で2回しています。

※ その分の学費は印税と賞金で親に返済しました。


 当時大学卒業を間近に控えていた僕は、忙しい卒業研究と必須科目の受講、さらに就職活動を並行しつつ作家活動を行っていました。ですが本が出版されないことには印税が出ないので、更にそこへ重ねてバイトまでしていました。

 当時の忙しさとそれを乗り越えたバイタリティは、一体どこから湧いていたんだろうと未だに疑問に思います。


  何度かリテイクを重ねながら校了までに一年。イラスト作業と販売スケジュールの調整にもう一年、合計二年の月日を要しました。

 大学時代に書き終わった作品でしたが、出版される頃には卒業して社会人になってしまっており、後半の校閲作業や打ち合わせは仕事をしながら行うこととなりました。


 書きたい物を譲らず、なおかつ「打ち切られない程度に売れる」ための戦略として、自分が見出したのは「既にある知名度にすがる」ということでした。

 僕がデビューした文庫は、大手出版社の資本に支えられているとはいえ、レーベルとしては新興も新興。じつのところ、僕自身が第1回の受賞者なので、賞自体の知名度もレーベルの実績も当時は未熟。

 なので、既に売れている何らかの名前を頼りにするしか、打ち切りを回避する方法がないと浅知恵ながら考えていました。


 また今だから言えることなのですが、デビュー作の挿絵を担当していただいたお二人の絵師さんは、業界では非常に有名な方々だったのですが、その有名さゆえに本来の名前を明かせないという、非常に複雑な状況で担当をしていただいてました。

 名前を出せないという点については自分も事前に了承していましたし、それだけの知名度を持つ方とデビュー1作目から仕事をさせていただいて、大いに刺激となりました。


 ただ、それだけの実力を持つ方々の力を借りてなお売れなかったという現実が、余計に重く自分には感じられてしまいました。

 なので次に担当していただくイラストレーターの方は、是非とも名前を出して作品の継続に助力をして欲しい、と担当には強くお願いをしていました。

 商業出版の舞台に立つプロとして、恥ずかしくない成績を残したい。作品を完結させて読者に満足してもらいたい。自分をデビューさせてくれたレーベルに、少しでも貢献をしたい。


 様々な思いを込めた作品は、発売後2週間で打ち切り宣告を受けました。


 今からでも、何かできることはあるのではないか。

 例えば挿絵を担当していただいてるイラストレーターさんに、SNS上で作品の宣伝をお願いすることはできないのか。

 この提案については、発売前からお願いしていたものでしたが、発売日にいたるまでのらりくらりとかわされていました。

 ですが作品の生死がかかっている段階において、自分も簡単には引き下がれません。

 問い詰めた結果、担当さんから伝えられたのは「イラストレーターが並行して行っている他社の仕事の都合でそれはできない」という、きわめて政治的な返答でした。田中謙介氏ね。


 自分が味わった反吐を吐くほどの悔しさも、反省も、努力も、情熱も、何もかも。

 この人には伝わっていなかったんだという深い絶望と、裏切られたという感情だけが、そのときの僕にはありました。


 しかも、「業界では非常に有名な方だがその有名さゆえに本来の名前を明かせない」という非常に苦しい状況に、このときもまた陥ることとなっていました。

 その重圧から逃れたいがために、せめて名前だけでも公開できないかとお願いしたのですが、返されたのは「それを言ったら君は業界で二度と仕事はできなくなる」という、脅しに近い台詞。


 僕は重圧から逃れたいがために、全てをネット上で公開して「業界で二度と仕事ができなくなる」道を選んでしまいました。


 何年もかかって掴んだ受賞を、一時の衝動で投げ出してしまったこと。

 騒ぎをいたずらに大きくして、関係者にご迷惑をおかけしてしまったこと。

 未だに深く後悔し、反省をしています。


 ですが、今同じ状況に置かれたとしても、自分はやはり商業の場から身を退くことを選んだことに、変わりはなかったと思います。


 大げさに語っては居ますが、どの出来事も業界のどこかでいつも起きている、有りふれた話に過ぎなかったんだと思います。担当を含め、当時多くの方からも、そのように指摘を受けました。

 どれだけ続けても、反省して努力しても、何度も同じ目に遭い続けるだけだ――そう言われて、続ける意味を見失いました。


 また、一度「売れない」という烙印を押された作家は、実績を重ねるより名前を変えて再デビューした方が早いというのも、実態としてあると思います。


 打ち切りの決まる一週間前、担当にお願いして配本と売上の数字を見せていただいたのですが、とりあえず「赤字ではない」程度には売れていたと思います。

 ただ「赤字ではない」というだけでは打ち切りを脱するには届かず、それこそ初版が全て売り切れて、増刷の必要が出るぐらいがラインだと聞かされていました。


 後日、他レーベルの作家さんに相談をしてみたところ「こんなに配本数少ないの!?」とかなり驚かれました。

 自分の作家としての戦歴は、デビュー1作目が打ち切られたという事実だけ。そこから導き出された実際の配本数は初版に比べてかなり少なく、それも売上の不調に響いたのではないかと聞かされました。


 出版関係者が口癖のように話題に上げる「配本」とか「取次」といった言葉を、それまで雲の上の話のように思っていました。しかし当時の僕は、その雲のまっただ中の、吹き荒れる嵐の中に巻き込まれていた自覚がなかったようです。


 イラストレーターの知名度とか、僕の個人的な反省と努力とか、そんな小さなものに関係なく、出版業界という巨大な輪転機は常に動き続けています。

 その歯車に自分の作品が巻き込まれることが絶えられなくなり、僕は商業作家として作品を発表することから、改めて身を退くことにしました。


 ちなみにこのときに起きた一連の騒動ですっかり精神を病んでしまった僕は、新卒で入った会社を一年で辞職したりしてます。

 ライトノベルは儲からないから兼業は当たり前といいますが、そもそも働きながら作家活動をするというタフネスが、僕には最初からなかったのかもしれません。


 ちなみに書き始めてから出すまでに2年かかった作品の印税は、だいたい50万円ぐらい。24ヶ月で割ると1ヶ月につき2万円の計算。

 校了して発刊を待つ間の1年は校閲やチェック作業しかしてませんでしたが、逆に言えばそれだけ振り込みを待たされたという意味にもなります。

 とにかく「金銭的な損失」という観点から言えば、商業作家を辞めることに対してはあまり後悔はありませんでした。


 ただ心残りだったのは、また作品を未完のまま終わらせてしまったという後悔だけ。

 僕という人間の人生がどうなろうと、人格がクソだと叩かれようと、作品とその読者に何の罪もありません。


 幸いなことに、僕が商業作家でなくなったことで、その作品も商業的事情から打ち切られることはなくなります。


 誰が何と言おうと、この作品を完結させる。

 最後まで作品を責任持って書き切ることで、自分が〝本当になりたかった作家〟に今度こそなる。


 長い前置きになりましたが、ここからが電子書籍という闇の中に突っ込むまでに至った経緯いきさつです。

 そして作品の生存を賭けた孤独な戦いが、ここから始まります。

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