オンリー(ユア)ヒーロー
髙橋螢参郎
第1話
「変身!」
誰も見ていない公衆トイレの裏で、俺は律儀にもそう叫んだ。
ベルトのバックルにカードを横から差し込み、端っこへ指を引っ掛けて時計回りに半回転。内蔵された風車が唸りを上げれば僅か0.05秒にて特殊スーツの装着完了。
そのままトイレの屋根に飛び上がると天高く右手を突き出して、大きな声で名乗りを上げる。
「
最後に上半身を大きく捩り、いつもの決めポーズ。
……これが日曜朝なら今まさに一番盛り上がるシーンの筈だというのに。
流石平日の真昼間の公園、怪人と依頼者のスーツを着たおっさんの他に誰もいやしない。つか、華がねぇ。理想はOL、せめて若妻。
「とうっ!」
だがそんな文句はそっと心にしまっておき、近くに駆け寄って「大丈夫ですか」と依頼者に訊いておく。
すっかり腰を抜かして言葉も抜きにうんうんうんうんとその場で頷くだけだったが、いや、リアクションが随分初々しくていい。これが慣れちまってると「いーからさっさと倒せよ」みたいに言われかねないからな……
……っと!
間一髪、横薙ぎに振り回された怪人のムチ攻撃を屈んで避ける。
左手が尻尾のムチで、右手が恐竜の頭。なるほど、そういうデザインねと考える暇もなく今度は右手の噛みつき攻撃を左腕に貰ってしまう。いくら特殊スーツ越しだろうと布団ばさみに挟まれた程度には痛い。
そこで「痛ぇなバカ野郎!」……などとは無論言えず、「とう」だとか「たあ」と当たり障りのない掛け声と共に腹へミドルキックをかまし、拘束を解く。
『戦闘開始より2分30秒。ジロウ、必殺技の使用を許可します』
程よく苦戦しておくとその内にこうやってオペレーターのケリーから通信が入る。骨伝導と脳波処理を併用した最新技術で音が漏れ出る心配はないから、「へいへい」とこの時ばかりは適当に返事する。
じゃ、まあ。そろそろいきますか。
2分40秒。ベルト右脇のジェネレーターに火を入れる。
2分45秒。踏み抜く勢いで右脚を砂地に叩き付ける。振動で相手が動けなくなったら、それで下拵え完了だ。
2分50秒。大地を蹴って相手の頭上へと大きくきりもみジャンプした後、地熱エネルギーを蓄えすっかり赤熱化した右足で――
「プラズマ・ダイブ!」
――垂直に叩き潰す。
哀れ怪人は真っ二つにひしゃげ、一瞬で風に舞う塵と化した。元々人の悪意から産まれた怪物だ、ぐちゃみその血や肉を残さないエコロジー仕様で環境にも優しいから、俺も容赦なく倒す。
これで3分丁度。忘れずに勝利の決めポーズをした後で、依頼者に振り返る。
「あー、もう安心ですよ……って、居ねぇし」
見れば背後で脅えてた筈のおっさんの姿は消えていた。
何だよ折角助けてやったのに、とはやはり仕事の都合上思うだけで言えないが、まあ慣れてないならそりゃそうだよな、とも思う。俺が逆の立場だったら、多分そうしてるし。
『お疲れ様です、ジロウ』
あいよ、と頭の中で返事すると、それを合図にスーツが霧消する。実は全部向こうが管理しているから、件のベルトやポーズはパフォーマンスの一環だ。一応ロック解除の意味もあるらしいけど、どこまで本当やら。
ともあれ随分と便利に出来てるなと最初こそ感心したものの、今ではもうそういうもんだと、いまいち感慨すらも沸いてこない。
「あ、ケリー。戻すんだったら大学までついでに転送してってよ。ほら、昨日雨ひどかったから。バイク、構内に置いたまんまでさ」
本人は隠していたつもりなのだろうが、高性能なマイクはしっかりと彼女の溜息を拾っていた。
『またですかジロウ。ヒーロー転送システムはタクシーではありませんが』
「いやでも、これから電車乗ったら次の講義間に合わなくなっちまうし。ヒーローが遅刻するとこなんか子供に見せられないだろ?」
そうなのだ。ヒーロー憲章第五条。ヒーローの行動規範は常に少年少女と共にある。これには生真面目なケリーも折れてくれたらしい。
『今回だけですよ。周りに人は居ませんね』
「ああ、大丈夫。悪いね」
ぼう、と俺の体を青白い光が覆い、眩さに閉じた眼を再び開ければそこはいつも通っている城南大学の外れだ。まあ、彼女には悪いけどこれくらいの役得はあってもいいだろ。
『よくありません。もし露見したら責任を負うのは私です』
あ、やべ。繋がったまんまだったか。慌てて奥歯のスイッチを噛み締めてこちらからの通信を切り、俺は講義棟へと急いだ。
山田次郎二十歳。名前の通り平凡な大学生なんだけど……何か、ヒーローやってます。
いや、ヒーローなんていうと俺がまるでどこぞの星の宇宙人かと思われがちだけど、本当、中の人は何処にでもいるただの日本人だ。第一きっかけからして何て事のない、本当些細なもんだった。
ここ城南大学には元々推薦で決まってた。でも直前になって親父の会社が倒産。いや、実際に起きるとギャグにもならないよ、マジで。
んで金が無い金が無い、って嘆いてたら……こうなってたと。
俺の所属先である全日本ヒーロー財団が、都合良くこの地区のヒーローを募集していたのだ。
「本当は非公開求人なんだけど」
とは高校の就職相談課の人、談。ヒーローなんだからそりゃそうだと思うが、にしても、一体どこでこんな仕事を。
んでもまあ、待遇は多分ただのバイトに比べればかなりいい。正直最初に話を聞いた時は改造手術を覚悟したけど、それもせいぜいナノマシンの注射と奥歯の通信スイッチくらいのものだ。元々奥歯は虫歯だったから、一石二鳥と言えなくもなかったし。
勤務時間は必要に応じて3分ずつ。給与は怪人一体に付きいくらの出来高制だから、自由はかなり利く。金額はトップシークレットだけど、まあ、公務員以上に世の中から怒られるくらいには貰ってるとだけ言っておこう。
ちなみにこの3分間というお馴染みの時間。これは某先輩ヒーローの名誉を守る為にも言っとくが、いくらなんでも3分経ったら時間切れで死ぬだとかそこまで貧弱ではないと思う。
少なくとも、俺の3分は違う理由で決められていた。担当する地域の人口÷面積×怪人の出現率(これはランク分けされている)だったか……
とにかく、ヒーローってのはめちゃくちゃ強い。言い換えれば便利だ。その便利さを全ての人間が等しく享受する為の公正公平な時間。それがこの、一人あたり3分間という数字な訳で。
世の中における経済活動は何事もまず効率を優先して考えなければならないと、さっきの講義でも教授が言ってたが。まあ解る気もするし、解らん気もする。
……でもこうして図書館で居残ってみても、結局ほぼ全ての講義でそんな感じのレポートしか書けてないっつーのはやっぱ解ってない証拠だと思うんだけど。ま、大学生なんて皆大体そんなもんだよな。
『ジロウ、出動依頼です』
ぎい、とすっかり気怠くなった体を捻って自習室の椅子を鳴らしたその時だった。このまま粘ってたって今日はもう大した成果は上げられないだろうし、ここは一つ、健康的に体でも動かしますか。
俺は奥歯を噛み締めた。
「了解。剣涜印ゴットバイン、直ちに現場へ急行します、っと。あ、ケリー。ちょっとトイレ行って来ていい?」
『構いませんが急いで下さい。とは言っても、転送の必要もほぼ無さそうですが』
「あれ、マジで? そんな近いの?」
『城南大学、第二サークル棟裏テニスコートです』
「あらあらあらあら。……つっても場所やっぱわかんねーけど」
『ええ、座標入力は既に完了していますので。急いで』
流石、と誰にも聞こえぬ様に呟いて俺はトイレへと駆け出す。
……ほら、ここの大学。広いからさ。
「変身!」
誰も居ないトイレの個室で、俺は和式便器を跨ぎポーズを決めた。誤作動を防ぐ為の一連の動作とは言え、流石にちょっと虚しい。
でもあんなコスプレスーツ着てゴットバイン!
……とか、やっぱ知り合いの前じゃ無理でしょ。地元だし。正体を知られると悪用される恐れがあるから、というのもあるが、顔バレの方が絶対深刻だ。って、俺はいかがわしい店で働いてる女の子か。
まあこのテンプレと言っても差し支えないデザインのスーツには、古き良きヒーロー像とやらを皆に思い出してもらう、ってのもコンセプトにあるらしいので。なら尚更、俺個人というものは必要ないだろう。
装着し終えたスーツを更に光が包む。さあ、お仕事の時間だ。
転送先は件のテニスコートを一望する事の出来るサークル棟の屋上だった。丁度帰りの時間帯だからか、既に人がかなり集まっている。
……何故か圧倒的に男が多いが。うちは共学な筈だぞ。
しかしその理由は騒ぎの中心を見るなりすぐに判った。イカだかタコだか判らないがとにかくその辺をモチーフにしているのであろうやたらぬめぬめした怪人と、そして……
「このっ、いい加減放してよ!」
軟体系お決まりの触手に絡め取られている、テニスサークルと思しきTシャツ姿の女子だった。髪を動き易く纏めている辺りからしても、丁度活動中だったらしい。
それにしても怪人が構内に出たのも初めてだったが、暇な男子学生とて別にそんな事の為にわざわざ集まってきたのではないのだろう。その北斎チックな絵づらには流石の俺もほほうと感心せざるを得なかった。これがまたテニス女子が逃れようともがけばもがく程エロくなるから始末が悪い。ああ哀しきかな男のサガ。
ともあれ視力6.0相当のゴットバイン・アイをいつまでもこんな事に使っててもアホらしいので、「とうっ」と掛け声と共に地上7メートルをひとっ飛び、怪人の目前へと降り立つ。
そしてざわめきと携帯のシャッター音の真っ最中で、俺は侵食!イカ男(仮名)に向けて毅然と言い放った。
「ゴットバイン、推参! こら、そこな怪人! 君とは何だか友達になれそうだがとりあえず止めなさい!」
『ジロウ、変身後の発言はくれぐれも慎んで下さい』
「え、いや。でも仲間になるタイプの怪人もいるかと思って」
『減点2』
そうケリーは容赦なく言い放った。これが何を意味するかというと、『お前ヒーローらしからぬ行いをしたから減給』と言い換えられる。正直、先の3分間という数字よりもこっちの方がずっと切実だった。
「すみませんごめんなさい真面目にやります」
『戦闘開始より1分経過』
……謝罪の甲斐もなく突き放される。しかしもうそんなに時間が経っていたかと、ここはひとまず目の前の仕事に専念する事にした。
怪人が人質を取るパターンはこう言っちゃアレだが、割とよくある。そういう時の対処法というのもヒーロー研修でばっちり学んだ。
まずは相手を指さし、次に拳をわななかせながら叫ぶ。
「おのれ、卑怯だぞ!」
随分とまあお決まりの台詞だが、これが実は重要な意味を持っている。お前は卑怯、俺ヒーローと大義を得る事によって次取れる行動を大幅に広げておく事が肝心だ。後苦戦した時の言い訳にもなるが……
まあ、ヒーローは基本的に苦戦なんてものはしない。あれはあくまでショーというか、お子様に向けての教育的要素だ。
「ケリー、クーゲルシュライバーの使用許可を!」
『了解。クーゲルシュライバーの使用を許可します』
肩アーマーから1枚菊の紋の入ったカードを抜き、ベルトへセットする。バックルから伸びた光芒を両手で掴み取ると、俺はそいつを一気に引き抜いて殺陣で見栄を切ってみせた。おおっ、と申し訳程度のリアクション。でもありがとう。
「な、何それ剣? ちょっと! だから、私まだ捕まってるって!」
だが断る。俺はぎらぎらと電光を放つエネルギー剣、クーゲルシュライバーを大上段に構え、「つぁっ!」と掛け声高くかなりいい加減に振り回した。うん、別に剣道の心得とかないからさ、俺。
誰もが悲鳴と共に目を背けたが、我ながら見事なまでに触手だけを切り捌き、捕まっていた女子を助け出したではないか! 実はこれ、元々悪意の塊である怪人だけを斬れる様になっているのだ。
後れて上がる歓声にちょっとだけ良心も痛むけど、まあそれ込みのお仕事ですので。俺は黙って背中で受けておいた。
さあ、2分30秒。そろそろ仕上げの時間だ。
改めてクーゲルシュライバーを中段に構え直し、すっかり触手を失ったタコだかイカ怪人に狙いを定める。途中美味しいところ頂くぜ、なんて台詞を思い付いたけど、敢えて口にはしない。
手にした光の剣が急激にその輝きを増していく。
「……行くぞ!」
腰の高さに切っ先を定めると、俺は猛然と突進した。刃は稲妻の如く見事タコイカ怪人の正中を捉え、貫いた。
そして残りの力を振り絞り暴れる怪人を刀身ごとゆっくりと持ち上げ、叫ぶ。
「デッド・スター・エンド!」
傷口から無尽蔵に流れ込むエネルギーが体を灼き、怪人は血の一滴も残さずクーゲルシュライバーの燐光と共に霧散した。残念だよ、決して悪い奴じゃなさそうだったのに……
それは場に居る男子諸兄も同じだったらしい。あーあ、と残念そうな声を上げる人もいれば人目も憚らず大声でブーイングしてくる奴さえいる。重ねて言う。気持ちは解らんでもないが、どうせぇっちゅうんじゃ。
むしろお前らこそこの怪人の産みの親なんじゃないか……と余らせた時間でしばし傍観していると、運良く最前列に陣取っていた茶髪の男がデジカメのメモリースティックを掲げ、周囲に向け大声で話し始めた。
「さっき撮った画像、1枚100円で焼き増しするけど、どう?」
俺とて男の子、エロスの徒であるがこれは流石にどうかと思った。しかも本人の目の前で。だが更に自分の目と耳を疑わざるを得なかったのは、思いの外乗ってくる奴の多い事だった。
「頼むわ―!」
「ちょっ、こっちも!」
「パンツは? パンツ!」
当人たちにとっては軽い冗談のつもりなのか知らないが、これには気丈そうに見えた女子も唇を噛んだまま、羞恥の色を隠せない。
直に三分。そろそろ仕事もお終いなんだが。
分厚いマスクの下で溜息を吐くと、俺は写真男の頭上すれすれに鋭い回し蹴りを放ってメモリースティックの上半分だけを斬り飛ばした。特殊スーツさえ纏っていればこの程度、造作もない。
「……え」
男達は何が起こったか理解できなかったのか口をぽかんと開けていたが、時既に遅し。3分を迎え、俺は変身を解かれると同時に人目に付かない図書館脇へと転送されていた。
そして恐る恐る奥歯を噛む。
「……あれって、やっぱ減点?」
……俺、カッコ悪っ。またケリーの溜息が聞こえた気がする。
『個人的には加点すら考えましたが。おそらく、財団本部から追って何らかの通知が来る事になるでしょう』
「ヒーロー憲章第五条、みだりに他人の財産へ損失を与えてはいけない、か。そういや、そんなのあったな」
守ってるヒーローなんか見た事なかったけど。
先日の度重なる減点で、財団から家宛てに封書で通知が来た。
―― 一時資格停止処分、要再研修。
どうやら私用転送の件もしっかりバレていたらしい。まあ、失職を免れただけまだマシだったか。そこはケリーが少なからず掛け合ってくれたんだろう。
別に俺としては自身の信念に基づいてやった事だからどうなろうが構わないんだけど、問題は俺より先に通知を読みやがった親の方だ。
親父の会社がなくなって以来、一家の生計は全部ヒーローの報酬頼みだった。
大学の学費はおろか以前と然程変わらぬ生活を送れる事になって、その辺の感覚が完全に麻痺しちまってたらしい。気付けば受験生の妹の取り寄せていたパンフレットは県外の私大ばかり。
流石に怒ったね、俺も。親父は元社長のプライドが邪魔して新しく勤め先を探そうともしないし、母親もそう。かつての栄華だか何か知らないが、人付き合いで相変わらず見栄を張ってる。
ふざけろよどいつもこいつも。大体、俺ってヒーローだろ? 何でヒーローが正義以前にこんなちまちました家庭事情に心を砕かなくちゃなんねーんだよ。
もっと大切な事、あるだろうが……
……って。誰かに愚痴れりゃまだいいんだけどさ。
図書館の脇のベンチに凭れかかって、俺は独り長い溜息を吐いた。魂までおまけに持ってかれそうな勢いだったけどそれは何とか押し留める。
啖呵を切って大学まで逃げて来たはいいものの、これと言ってどうする、というビジョンもない。独り暮らしの友達でもいれば転がり込む事も考えられたけど、第一その友達自体いないのだ。
酒に酔って戦う訳にもいかないから飲み会行っても飲めない。
いつ3分間抜けるか判らないからサークルにも入れない。
ヒーローは常に孤独。自分にそう言い聞かせるが、今の俺はヒーローでもなんでもない事を考えるといまいち言い訳にもなっていなかった。
「……ねぇ」
「うお!」
そんな俺に話しかけて来る奴がまだいたなんて。しかも女。不覚にも声が思いっきり裏返えるが、よく見れば見覚えのある顔だった。昨日のテニスサークルの女子じゃないか。
だがそこで「あ、昨日の……」などと迂闊に声をかけてしまうと、一転身構えられてしまった。そりゃそうだ。俺がゴットバインだとバラしてない以上、彼女の事を知る男と言えばあの時の野次馬な訳で。
「あ、違う違う! 俺は写真なんか撮ってねぇよ!」
「……その慌て様で信用しろって?」
「いや。名誉にかけてもマジでしてない。むしろゴットバインが放った最後のあのキック、感動した」
いやまあ、やったの俺なんだけど。しかしそれ故の熱意というか、共感は通じてくれたらしい。警戒を解くと同時にすぐさま質問が飛ぶ。
「……私、あまりヒーローとか詳しくないんだけど。ゴットバインっていうの? あの、昨日の人」
「そ。剣涜印ゴットバイン。この地区を守るヒーローだよ」
「ふーん。よく知ってるね。ヒーローオタクなの? 君」
……ま、知名度的にはそんなもんですわ。ヒーローって。
「そうじゃないけど。まあ、ちょっとした因縁があるというか……」
「なら、住んでるところとか知らない?」
そう言って彼女はずい、とこちらに迫ってきた。中の人ならいざ知らずヒーローの住所、ときたか。よっぽど何も知らないか、むしろそっちの方がまともなのか。俺も一瞬悩んだけど、首を振った。
「や。ヒーローってのはだね、普段は遠い星に住んでてピンチになった時だけ助けに来てくれるとか、普通そんなんじゃない?」
「あれ、そういうの信じてるの? やっぱりオタク?」
「……オタクかどうかはおいといてさ、例え日本のこの辺に住んでても、ヒーローってのはそもそも自分の正体を明かしたりしないと思うぜ」
「ふーん。何で?」
「何でって、そりゃあ……」
……恥ずかしいからです、なんて言ったら世の中の子供は傷付くだろうか。
「……ヒーローにだって日常生活はあるだろ。もし正体がバレたら、悪の組織から身近な人を狙われるかも知れない」
「……で、とにかく、お礼が言いたいんだけど」
あー、あんま人の話聞かないタイプだな、この子。
昨日とは一転パーマのかかった髪の毛を肩まで下げていると、私服も合わさってやっぱり今時の女子だ。キャミソールにダメージデニムをレイヤードのデコデコのラメラメ……って知らんわそんなん!
……が、とにかくスポーツをやっているだけあってかスタイルは相当いい。時折髪を払う仕草なんて今すぐファッション誌の読者モデルになってもおかしくないと、ひいき目抜きに俺はそう思った。
「その気持ちだけで十分だと思うよ。ヒーローってそんなもんだから」
何より当事者である俺が言うんだから間違いない。だがへらへらとそんな言葉を返すと、彼女は急に真剣な顔をした。
「全然良くない。それは向こうの都合でしょ? 私は言っておかなきゃ気持ち悪いの。そういうの。第一人に助けてもらったら、お礼をするのが当然なんだから……」
俺は見た目に反して随分としっかりした彼女の主張に、失礼ながらも呆気に取られてしまった。前半部分はちょっと気にかかったが。
「……って、おばあちゃんが言ってた」
「う、うん。そうか、そうだよな。おばあちゃん、いい事言った。うん」
「でしょ? だからヒーローに詳しいなら、ちょっと協力して欲しいの。勿論君にもお礼はする。それに、ヒーローの正体って知りたいとか思うでしょ? それだけ好きなら」
ずい、と息のかかるほど目の前に迫られて、俺は思わず頷いてしまった。
「……ま、まあちょっとは」
「じゃあ決まり。私、ドイツ学科の日下部岬っていうんだけど。君は?」
「…や、山田。次郎です……」
女の子には必殺の角度というのがあると聞いた事がある。上目遣いにそう尋ねられたのと、迫る時不意に前かがみになって覗いた胸元にやられてしまったんだと思う。 君の探しているという、そのヒーローは。
……んで、探しても当然見つかる筈はない。
結局二人で一日中、その辺を聞き込みなんかしながらぶらぶら散策して終わった。その日の講義はもちろん全部サボり。
でも彼女には悪いが、俺には結果を知っていても単なる徒労とも思えなかった。
大学入ってこの方、女の子とこんな風に並んで歩いたりした事なんてなかった。いつ呼び出されるか判ったもんじゃないから、これまで彼女は作らずに……いや、果たして自発的に作れたかどうかはさておいて。とにかく、何だか嬉しかった。
「結局、有力な手掛かりは何一つ掴めなかったわね」
喫茶店の窓際の席でミルクと砂糖を既に大量に入れた熱いカフェオレを口にしながら、まだ渋い顔で日下部さんは言った。
「そうだね」と俺も奢ってもらったコーヒーを啜って答える。別にいいって言ったんだけど、彼女のおばあちゃん譲りのポリシーが許してくれなかった。
「あ、山田君。講義大丈夫だった?」
「凄い今更だな……ま、いいんじゃないすか。こういう日があっても。というか、それを言ったら日下部さんこそ大丈夫だったの?」
「私は今日、午後は普通に休講だったから。そうでなくても休んで探すつもりだったけど」
「いや、何もそこまでしなくても。そりゃ申し訳なく思うよ、きっと」
率直な感想を代弁すると、日下部さんはくすくすと笑い出した。
「さっきもそうだったけど、まるで君自身がゴットバインみたいな言い方するよね。そんなに好きなの?」
「……え、あ、いや。でも実際問題向こうは仕事なんだからさ。当然の事をしたまでだ、って言うんじゃないかな。ヒーローってそういうもんだし」
「それでもやっぱりお礼は言いたいし、直接言われたら嬉しくない?」
そこまで聞いて、俺はヒーローにあろう事か微かな下心を抱いてしまった。
「ほ、惚れたりとかしちゃってたりして? カッコいい、とか。男気があるとか」
だがそんな期待とは裏腹に日下部さんは「全然」と言い切る。
「何か変。今時TVでもないのにヒーローって」
「そ、そうかな……まあ、そうかもなあ」
「それにクーゲルシュライバーって何、あの名前」
「え、そう? 俺は普通にカッコいいと思ってたけど……」
「……一回独和辞書でも引いてみたら?」
……やはりヒーローものだけあって、少しセンスが子供っぽかったのだろうか。その割には洒落た名前だな、と思ってたんだけど。違うのか。
「もう少しくらい人気出てもいいかなと思ったんだけどな……」
「それは知らないけど。私の個人的な感想だし。でも」
「でも?」
「でも、きっと寂しいとは思う。今日話聞いてたら、そう思ったの」
勿論俺を気遣った訳でもなく、窓の外を見つめたままの日下部さんの横顔はただぽつりと告げた。
「ゴットバインが?」
「うん。だって誰も彼の事を人間だと思ってないみたい」
そりゃ、そうだと言いかけて俺は止めた。
確かに今日、山田次郎として隣で付近住民の話を聞いている限りゴットバインの扱いはひどいものだった。
番組と違って主役はおろか脇役ですらない。そういうもの、つまりはただのオブジェクトに過ぎないのだ。
怪人は確かに目に見える脅威で、実際に被害も出ているからヒーローがいる。けれどいざ日常に組み込まれてしまえば結局のところ交通事故と何ら変わり映えもしなかった。新聞に載りこそすれども一面を飾る事は決してない。そして世の人々は解り易いプラスには敏感だが、もし何もしていなかった場合のマイナスを考えるのは苦手な様に思う。
でも、ずっとそういうもんだと思い込んでこれまでやってきた。ましてや代価をもらっている以上こいつは完全なビジネスだ。そんな甘えた事は言ってられない。
俺は、ヒーローなんだから……
「どうして、そこで泣くの?」
日下部さんに言われて初めて、俺は両頬を伝う涙に気付いた。
「……いや、これは、その。何か、感動したんだと思う」
「そう。そこまで思ってくれてる人がいるのを知ったら、ヒーローも少しは報われるんじゃないかしら」
それは違うんだけど、俺は悟られない様無理にでも笑っておいた。
喫茶店を出ると、丁度夕日が沈みかけているところだった。
空をふと見上げて感動したのもいつ以来だろうか。一回たった3分間の仕事と割り切っていたつもりだったのが、こんな何でもない日常の風景に気付けない程忙殺されていたのかと思うと、若干空恐ろしくなる。
「綺麗ね。夕日が綺麗なら明日は晴れる、っておばあちゃんが言ってた」
何でもない、ってのは失言だったか。傍らの彼女に俺は黙って頷いた。
「また明日から、頑張らないとな」
「今日は頑張ってなかったの?」
「……まあ、講義サボったしね。それに本当なら今日も仕事だったんだ」
「アルバイト?」
「そんなとこ。でもそっちは凄い久し振りの休みだったから」
「そっちは?」
意地悪く訊いてくる日下部さんに、我慢出来ずお互い笑ってしまう。
「講義も言うほどサボってはない……と思う! それに、今日のはいいんだって。ちゃんとした目的があったんだから」
「そう言って貰えると私も助かるかな。ねえ、またゴットバインを探す時、協力してくれる? 今度はちゃんと休みの日にするから」
もちろん、と喉から出かかったところで俺は止めてしまった。これ以上彼女の時間を無駄に割かせる訳にもいかないだろう。
……いや、結果的には本懐を果たしているのが随分ともどかしいが、俺が正体を明かさない限り彼女が報われる事はないのだ。
「……あのさ」
「何?」
「嫌なこと言うけど。もしずっと見つからなかったら、どうするの?」
「もしずっと見つからなかったら……ずっと探し続けるけど?」
それでもその答えに頼もしさすら感じてしまうのは、俺の甘えだろうか。
まあ、あまり深い事を考えても始まらないのかも知れない。飽きっぽい今時の女の子がどこまで続くか判ったもんじゃないし、それに、ヒーローにだって少しくらい役得があってもいいよな。うん。
「じゃあね、山田君。また探しに行く時はメールするから」
「ああ。またその時は付き合うよ」
そう言って手を振ろうとしたその時だった。
日下部さんの後ろにバンが横付けされたと思った次の瞬間、開いたドアから全身黒尽くめの男が数人出て来て、彼女を押し込めようと乱暴に手を引っ張り出したではないか。
「ちょっと何するの! 嫌、離して!」
あまりの事態に目の前で何が起こっているのか自分でもよく解らなかったが、そんな寝ぼけた頭も降りてきた男の一人からいい蹴りを貰って一気に吹っ飛んだ。爪先が見事に鳩尾へと突き刺さり、えずきが止まらない。
その場に蹲る俺に男が頭上から声を投げる。
「おい、お前。この事を今すぐゴットバインに伝えろ。来なきゃ女がどうなるかは、男なら解るよな?」
捨て台詞を残し走り去る車に心の中でクソ、ボケと精一杯の悪態をついてみせるが、しばらく言葉には出来そうにない。
そんなバンダナで顔隠したって、髪の色と声で判る。あいつだ。メモリースティックの。
だが残念ながらお前らの探してるゴットバインは謹慎中だ。とも言えず、どうせ全部見てたんだろと、俺は車を睨みつけながら奥歯を噛み締めた。
「ケリー、聞こえるか」
一種の賭けだったが、こっちがこうでも彼女にオフは無かったらしい。すぐにまたいつもの落ち着き払った声が返ってくる。
『聞こえています、ジロウ』
「全部聞いてただろ?」
『……聞いていました』
「奴らの車の位置を特定して、転送してくれ。先回りして止める」
『それはスーツを装着して、という意味ですか』
「? そうだけど?」
今度こそハッキリと聞こえてきた溜息に続いて、彼女は強い口調でハッキリと告げた。
『……ジロウ。あなたが今何よりも先にすべき事は、警察に連絡する事です』
「バカな! あいつらの狙いはゴットバインだ、俺が出て行けば済む話だろ! それに警察へ連絡なんかしたら、逆上して何をしでかすか……」
『ヒーロー憲章第三条。ヒーローの力は如何なる理由があれども人間に対し振るわれてはならない。越権行為です』
「いや、ただヒーローの力は車を止めるだけで……」
『それでも破壊すれば第五条違反です。そうなれば、今度こそ私の権限だけでは資格剥奪を免れない』
「い、1㎜も壊さずに止める! 止めてみせるから!」
『あなたはベニスの商人ですか。……どうやら、もう不毛なやりとりを続ける必要すらも無さそうですが』
「……どういう事だ?」
ケリーは『物陰に』とだけ答える。急ぎ近くの建物の陰へ隠れると、俺の体は例の如く淡い光に包まれ始めた。
目を開けると、あのバンは少し先の大きな交差点の中心で見事に横転していた。
まるで何かを恐れる様にして相当無理矢理にハンドルを切ったらしい。路上には激しいブレーキの爪痕が生々しく残されていた。
そしてその何かは今も車の周辺をうろついていて、それを目当てに野次馬が人の壁を作っている。
……怪人だ。先日のタコイカ怪人を一回り大きくして爪先や色々な所を尖らせた、いかにもな強化態。テンプレ過ぎるが実際にある話だから困る。
本来なら怪人を構成する人の悪意というのは、一度具現化された時点で発散される。後は形になった怪人を俺達ヒーローが掃除して終わる筈だけど、雑草と同じで稀に根っこが残ってしまう場合がある。
……そして残った根っこから生えた新しい草は、二度と抜かれない為により強靭に、攻撃的になる……!
幸いにも距離が開いている為かまだ人々の群れに興味は示していない様だが、その分車に付いて離れない。産みの親に強い執着心があると怪人はそれを受け継ぐと講習会で聞いた事がある。
となると……
どうやら、バカボケ共もそれに気付いてしまったらしい。不意にパワーウィンドウが開いたかと思うと、中から日下部さんの悲鳴が聞こえてきた。
……奴ら、彼女を囮にする為に蹴り出すつもりだ……!
「ちょっと止めて! 気付かれたら貴方達も危ないじゃない!」
実際彼女の言う通りだ。日下部さんが車の中に居ると少しでも判った瞬間、奴はどうあっても襲い掛かろうとするだろう。
例えば……車ごと触手で持ち上げてアスファルトに叩き付け、ドアを破壊し彼女を狙う。結果車が爆発炎上して誰が死のうと、それは怪人には関係ない。執着はあっても、それを上手く達成しようとする知能までは持ち合わせていないのだ。
車中の諍いに気付き、産まれたての怪人が一歩一歩たどたどしくも近付いていく。警察はまだかと叫ぶおっさんの声が聞こえるが、俺達が人間相手の事に関与出来ない様に警察も怪人相手は完全に諦めている。せいぜい周辺の交通整理と野次馬の退去が関の山だろう。
「……ケリー、今この地区を受け持っているヒーローは」
『隣の地区のレーゼインです』
「何で来てねぇんだよ」
『管轄地区にこちらより0,03秒早く怪人が出現しました。よって到着は約3分後になります』
「……それまでしばしお待ち下さい、ってか」
ケリーはそれっきり黙った。怪人相手に生身の人間が勝てる筈がない。対戦車ロケット砲でもあれば別だろうが、少なくとも警官の持ってる38口径の拳銃程度では厚い甲殻に弾かれるのがオチだろう。
……だからって。
だからって銃口をだらりと下げたまま、背中を向けてハイ終わりでいいのかよ!
『ジロウ、くれぐれも変な気だけは起こさない様にお願いします』
ああそうだ、俺の考えが読めるんだよな、こいつは。
だけど俺にはもう、お前らの言う事は一切解んねぇよ。
「あのさ」
『はい』
俺は大きく息を吸った。
「思ってたんだけど、ずっと奥歯に何か引っ掛かってたんだよな」
ありったけの力を込めて俺は歯を噛み締めた。口の中にアルミホイルを噛んだ時の嫌な電流が走る。ああ、そんな違和感とも高い給料とも、これでもうさよならだよ。
じゃあな。みんなのヒーロー、ゴットバイン。
野次馬をかき分け、警察の張った非常線を飛び越えて、俺は衆人環視の真っ只中怪人相手に声の出る限り喚き散らしてやった。
「俺が相手だ、このエロ野郎!」
人間の言葉が解るなんてレポートはなかったが、そんなものはどうせここにいる奴らのほとんどに対しても同じ事だ。
だが俺がヒーローだったのを本能的に察したのか、振り向いた怪人はとりあえず目標を変えてこちらへと向かって来てくれた。ありがたい。ありがたいけど、どうすんだこれよぉ!
途端に歯がガチガチ鳴る。震えが全然止まらない。場数は随分踏んで来たつもりだったけど、それは結局、見てるだけのあいつらと然程変わらなかったのを凄く実感した。今の俺にはスーツも武器も、カッコいい乗り物もない。バイクだなんて見栄張ったけど、あれだってただの原付だ。
それでもせめて武器になりそうなものをと探しても、胸ポケットに引っ掛けてあったボールペンくらいしか見つからなかった。ペンは剣よりも強し、ってか。本当バカだな、そんな事を最初に言い出した奴は……
……俺ほどじゃないけどな!
芯をカチッと出して逆手に握ると、俺は一人一殺の覚悟で身構えた。
迫りくる触手にだけ注意を払い、何とか接近して急所を一突きにすれば勝機はあるかもしれない。その何とかをどうするのか全然判らないし怪人の急所なんて気にした事もなかったけど、やるしかない。
それに俺が死んだってこの場を3分持たせればそれで勝ちだ。日下部さんは助かる。そこさえ確かなら後はどうなっても……
「……っとぉ!? しまった!」
緊張の最中不意に気が遠くなった瞬間、俺は伸びて来た触手に足を取られ受け身も取れないままアスファルトの上にすっ転んだ。
うわ、ヤベぇわ。こんだけで全身超痛い。そのまま引き摺られただけでジーンズ越しに擦り傷が出来て、そこから段々と熱い血が滲んでいく。
くっそ、大見得切っておきながらだっせぇ。だっせぇけど、それ以上に痛ぇ。ヒーローじゃない俺なんてせいぜいこんなもんかよ。もう少しくらいやれると思ったんだけどなあ……。
車のスモークガラス越しでは中の様子も判らなかったが、日下部さんもきっとがっかりしてるに違いない。
だって、ゴットバインはもう。
左腕にまで巻きついた触手に力が入り、いよいよ体が持ち上がる。サークル棟の屋上から何気なしにジャンプしていた頃からすれば思いも寄らなかったが、この高さでもう本当に怖い。たった2m程度だろうがこの自由の無い浮遊感に晒されては嫌でも死を連想させられる。
何分経った? ……せいぜい一分か。ダメだ。尺稼ぎにすらなってねぇ。
ごめん日下部さん。君が気にかけてくれたヒーローも、所詮この程度だったんだよ。結局、小さなしがらみ一つにも勝てなかったのさ。
そう心の中で呟いた時だった。
「……ふざ……な! あんだけ大見……切……いてすぐ……泣き言……てめー男のく……タ……付いてんのか! ……ヒーロー……第一……、……ローはど……な時……も……」
耳の奥から、ノイズ混じりに聞こえて来る罵詈雑言に気付いてしまったのだ。
落ち着き払った声が今日に限ってひどい剣幕で喚き立てるのがいやに新鮮だけど、まあそんな気はしてた。妙に事務的だったのも素の自分を取り繕う為だったか。
でも最後の最後で安心した。流石はゴットバインのパートナーだよ。
俺の体を烈しい光が覆い隠す。自分自身も眩む中で辛うじて目を見開くと、右腕には既に見慣れた装甲が纏われていた。特殊ラバーの手袋をぎゅっと固く握り締め、感触を今一度確かめる。
次に肩アーマーから抜いたカードをベルトへ差し込む。
……手応えあり。完璧だ。
バックルから伸びたクーゲルシュライバーの柄に手をかけると、すぐさま厄介な触手を切り払う。二本の足で大地を踏みしめる頃には、すっかりお馴染みの姿だ。
そして俺はもう聞こえる筈もないケリーの言葉を、そっくりそのまま叫んだ。
「ヒーロー憲章第一条! ヒーローは、どんな時でも決して諦めてはいけない! 剣涜印ゴットバイン、推参!」
決めポーズも忘れない。多分、ずっと永遠に。
さあ、残り1分。こうなったら、誰にも譲れる訳ないだろうが!
出力最大、輝きを増し続けるクーゲルシュライバーを正中に構え、襲い来る残りの触手を全て残らず叩っ斬り、一足飛びの勢いをつけて怪人の腹へと突き立てる。
「うおおおおおおおぉっ!」
怪人をそのまま一息に持ち上げ、力の限り振り回しながら観客どもを見る。呑気に写メを撮ってる奴。ずっと腕を組んだままの奴。
俺の戦いは、ショーじゃない!
そのままクーゲルシュライバーごと、俺は怪人をジャイアントスイングの要領で天高く放り投げた。異形の影が黄昏時に長く伸び、群衆の一部を覆った。
「危ねぇぞ、どけっ!」
荒々しく叫ぶと同時にアスファルトを蹴って天高く怪人の真上へ。伸ばした右脚を槍に見立て、怪人のどてっ腹を穿つ。
「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ!」
地面と俺との板挟みになった怪人はひしゃげたアルミ缶みたいになって、スクランブル交差点を10m程転がりながら消滅していった。あわや歩行者地獄となるところだったが、そこは上手く避けてくれたらしい。複雑な心境だったが、どっちにしろ俺の仕事はここで終わりだ。
四つ辻のビルの屋上から人影が颯爽と降りてくる。
「レーゼイン、見参! ……って、あれ?」
「遅ぇよ。バーカ」
俺は場違いの間抜けを、人差し指の空気銃で撃ち抜いてやった。
……まあ、どっちかっつーと間抜けは俺なんだけど。
剣涜印ゴットバインは任期を終えて母星へ帰った事にされ、俺は晴れてヒーローからコンビニのアルバイトになった。家族からは当然大ブーイングだし、体の動きがあの時のイメージに付いていかなくて最近凄く体が怠く感じるのだ。今も図書館脇のベンチに凭れかかってうだうだしているが、こんな副作用があるとは盲点だった。
ナノマシンもすっかり寿命を終えて、もう奥歯を噛んでも何も聞こえて来やしない。そう言えばケリーはどうしてるだろうか。もしOLとかになってたりしたら、と想像すると何だか笑えてくる。
笑ってる場合でもないんだけど、それでも思ってたより悲観的になる必要はなかった。家族も何だかんだ言って先立つものがなくなってまた動き始めたし、ようやく人並みの大学生活が送れる様になった。女っ気は相変わらずないものの毎日それなりに楽しい。後バイクの免許を取りに行く時間も出来た。これで晴れて原付ライダーは卒業だ。
ただ……。
俺は何も言わずに隣へ座ってきた日下部さんの横顔を見た。
「さ、ゴットバインを探しに行こっか」
彼女を裏切った事だけが、どうしても刺さったままの棘みたいに残る。
これでゴットバインが居なくなってから三回目になる。結局何も言えないままずるずると街中を歩いて、コーヒーを奢って貰って、収穫がある筈もなくただ家に帰るだけだ。俺はともかくとして、彼女には悪い気がした。サークルに勉強と決して暇でもないだろうに。
「今日は北区辺りを探そうと思うんだけど、どうかな。あ、すごくいい感じのカフェがあるって友達に聞いたから、そこもついでに寄って」
目撃情報もあの日を最後に当然途絶えている。HPで公式発表もあったというのに、彼女は諦めようとしない。
「……あのさ、日下部さん」
だらけ切った上体を起こし、意を決して俺は口を開いた。
「何?」
「ゴットバインはさ、もう、その……っふぇ、ふぁふぃふんお!」
最後まで言い切る前に日下部さんは俺の鼻を摘まんで来た。身を捩って抵抗するが、これが結構力を込めていてなかなか外れない。
「ふょっ、ふぁめて! 痛い痛い痛い!」
「ヒーロー憲章第七千五百三十二条! ヒーローは人の好意をつべこべ言わず素直に受け取る! ……解った?」
「えっ……」
勿論そんな条項はない。大体数からして出鱈目もいいところだ。
彼女はぱっと指を離すと、ふてくされた様に視線を向こうへと逸らした。
「……って、おばあちゃんが言ってた」
こりゃ怪人なんて大した事なかったなと、俺はつい笑ってしまった。
オンリー(ユア)ヒーロー 髙橋螢参郎 @keizabro_t
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