第2話 明太子プロパガンダ

先日、繁華街で明太子を買った。大きく立てた看板の言うには、博多から直送、今日は発売初日だから大盤振る舞い、とのことで大盛りかつ割引のサービスまであるという。

売り子のお姉さんの耳に残る博多弁につられて、ちらりと様子を覗いてみると他の店舗の前までせりだすほどの大行列。関西マダム(敬称のつもりである)が、自分の買う分は残っているかと気にして皆が先の方を覗き込んでいるではないか。

こうなると、私も関西人である。並んでみたくなるのは、あるいは血のせいなのかもしれない。

その店舗は一週間限定の店舗だった。いわゆる企画店舗で、その一角だけは一週ごとに出店される店が入れ替わる。時にはお膝元京都のよもぎ餅が、また別の時にはオスピターレというナポリ伝承のパイが。とにかくグロサリーに関するものなら、なんでも並ぶ。

今度は何が売っているだろうか、というのはここに来るときの小さな楽しみの一つ。ちょっとでも気になったりしたものが、今のみ限定!と言われると、ついつい「母に土産でも」と殊勝な理由まで作り上げて買ってしまうというもの。

この日もそんな気分だった。並んで待って、5分ぐらいで列は進んで自分の番が回ってくる。見ると、明太子がこれでもかと詰められた容器が狭しと並んでいる。その隣には、「今だけ100円!」と銘打った燻製のイカまで。やはり大阪人、抱き合せ、バーター商法にも弱い。明太の形が整って、量の多そうな容器を選んで店員さんに「イカも一緒に」と言って手渡す。

会計合計、1188円。予想外の出費だが、これなら許容範囲だ。財布からちょうどを出して渡すと、

「おっ、小銭助かるよ。」

なんて店員のおばちゃんが言って、燻製イカを少しばかり増やしてもらえた。こうなると気分もいい。形の崩れぬよう大事に右手に提げて、家路に着いた。

帰って開口一番、母に明太子を買ったと告げると驚いた顔。ただいま、というのを忘れていたほどだった。

いそいそと明太子を開けて見せると、やっと感心した顔になって「へぇ。」と品を見る。それから発した言葉は、「これでいくら?」という言葉。

私はしたり顔になって、いくらと思うかと尋ね返す。すると、「1000円ぐらい?」とニアピンな答え。当てられる(なんなら実際より低い値)と、複雑なのは私。折角「安い!」と思って買ってきたのに。

だが適当に答えたわけではないらしい。母は実によく見ていた。

形が綺麗とはいえ、端が破れていたりこぼれてしまった部分を無理に詰め戻したような跡。買ったときは、見えなかった私も冷静に見たらすぐに気づいた。たしかに挙げられた証拠を見たあと、母に「妥当な値段」と言われると返す刀がない。さっきまで立派に持っていた一本刀は姿を消して、おとなしく納得してしまった。

つまりは、「お得」と銘打ってそうでもなかったと。

これだけで終わるなら、私の「選球眼」の悪さが露呈しただけに他ならないわけだが、この話にはまだ続きがある。

数日後、もう一度その店の前を通った。今度も売り子は甲高い声で叫び、店主も安いよと謳っている。しかし、どうにも見た感じの客足が伸びない。列を作るどころか、買う人も疎ら。売れ具合は芳しくない。大方、数日の間で売り物の実際の価値を客の側に気づかれたのだろう。

ちらりと覗くと、パックに詰められている量は明らかに初日より多い。1本、2本分ほどは増えているだろうか。私がその数を数えだすと、この前とは別の売り子に「買っていきませんか。」と声をかけられた。私は、手を振って遠慮する。

実際、明太子は1日に米のごとくたくさん食べるようなものではない。前回買った分だけで、十分だった。多くなったからと言って、また買っていたら毎日明太子レシピを考案してもまだ残る。私は今度はなにも提げず、家路についた。


プロパガンダ作戦、と言おうか。世の中にはいわゆるcommerceが溢れてある。みな興味を惹くため様々な工夫を凝らし、実際に宣伝していないものよりは効果を上げているものも多い。

テレビコマーシャルというのはその典型で、その効果がもっとも高いものと言えるかもしれない。人気のある俳優、女優を(高い給金を払って!)起用してなお、利益が出るというのだから間違いない。彼らへの世間からのPositiveな感情を、商品にすり替えて大幅な売り上げUPに繋げているわけだ。

小さなところだと、地元スーパーの折り込みチラシ。もっと小さなことを言えば、twitterなどのインターネット媒体での自作小説宣伝もそうだ。

他にも例をあげればキリがないほど、世には宣伝が溢れている。その中には真に有益なものもあれば、逆に誇張表現や嘘で悪質なものもある。ネット界隈を見れば、それは一目瞭然だ。見たくもないリンクを踏まされ、名も知らぬ化粧品や健康食品のページを見たことがある人はかなりの数いると思う。

しかし、たとえイラつかれたのだとしても見てもらったのなら宣伝した側の勝利だ。気になった人は手を伸ばすだろうと思う。


だが、よい宣伝と悪い宣伝の差はここからに出る。人は誰しも「期待」というものをする。ある程度、自分が接するものに対してその価値の予想をつけるわけだ。低すぎるともちろん見向きもしないが、むやみに高すぎて良いものでもない。

行列のできるラーメン屋に並んでみたが、大したことなかった。というのはよくある話だ。

本質のレベルが期待値に追いついていなければ、たとえ対象物が平均より上の質を有していたとしてもその物は実際より低い評価を受けることになる。むしろマイナスと見なされ人が離れていく。

これが世の中の真理!

……というわけだ。

ならば、どうすればうまい宣伝ができるか。経済学など専門的なことは論じられないが、その答えは、「徐々に」にあると思う。まずは控えめに、ちょっとずつ狭い範囲の人から興味を持ってもらい、段々と人が増えてきたら宣伝の量や表現を増やしていく。人の期待を裏切らない宣伝の完成である。

爆発力は低いかもしれないが、地道な宣伝は長いスパンで見たら十分な効果が得られる。

あの明太子屋に関しても、必要以上のプロパガンダを打っていなければもっと買う人もいただろうに。



そんな所感を述べたところで、長くなった本稿をそろそろ締める。宣伝に関するどうでもよい考えが伝わったなら嬉しい。

ちなみに気づいてもらえただろうか?

終盤にかけて、カタカナ語や、エクスクラメーションマークが増えたこと。

これもなんとなく、という訳ではなかったりするかもしれないですよ。


今夜は明太子ピザだ。

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誰かの落し物 たかた ちひろ @TigDora

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