自ら進んで女の子になったボク

 それから、日が経つのはあっという間だった。

 年を越して、桜華と母さんに無理矢理振り袖を着せられて、初詣に連れて行かれたり。お昼からはそのままの格好で瑞貴と緋翠と桜華とボクの四人でまたお参りに行ったり。

 断固として振り袖は拒否したのに、共闘した女は恐い……。

 まあ、瑞貴をドキドキさせられたっぽいし、怪我の功名と言う事で満足しておいた。


 理事長には休んでもいいと言われたけれど、学校にはちゃんと通っている。それが学生の義務だし、ボクだけ特別扱いというのはよろしくない。

 時折顔を合わせるけれど、返答を急かすような事はなく、ただ挨拶を交わして別れるだけだ。どこにでもある教師と生徒の姿そのものだろう。


 心は決まっていたけれど、まだ戸籍の問題とかが残っているから、解答を保留しているだけだ。

 いろんな人を泣かせたし、いろんな人に迷惑を掛けた。

 それは自覚しているし、完全無欠のハッピーエンドにはほど遠いけど、ボクの心を平穏と、そして今後のための事を考えれば合格ラインのハッピーエンドの軌跡が描けている。

 後ろ髪を引かれる思いは一杯ある、だけど、先を見据えた結果では現状がベターなのには違いない。


 だから、父さん達から知らされた結果を受けても、やっぱりそうだったかーという気持ちしか沸いてこない。

 女のボクは正式に、親子関係が証明された。

 そして、ボクの扱いは今後、榊燈佳の双子の妹という扱いになるそうだ。

 戸籍の提出をしていなかったことや、今までの経歴、全部でたらめなものになるけれど、そこはそれ。

 病弱で小学校中学校は通えておらず、療養のため親元を離れて過ごしていた。

 兄とは生まれてこの方、面識は数度しかない。

 そういう設定だ。


 そのせいで、名前を変えないといけないのだけれど、高校を卒業するまでは在籍名は今の名前で大丈夫と、了承は得てある。

 だから、今のところ何も気にする必要はない。

 難しい事は全部父さん達がやってくれた。今後の為に覚えておくと言ったけれど、気にするなの一点張りだったのが気がかりだ。 

 気がかりだけど、教えてくれない物を教えろとごねるほどボクも子供じゃない。


 そんな話を瑞貴にしたら、ものすごく渋い顔をされた。

 曰く、必要な事ではあるのだろうが、やはり男のボクの存在が無くなるのは辛いとのことだ。

 男のボクも女のボクも、榊燈佳という個ある事には変わりないからと。

 確かにそうではあるけれど、これから先、榊燈佳という個は女として生きていくのだから、ケジメは必要だというと、ものすごく悲しい顔をされた。


 だって、もう準備はできている。

 男の姿の写真も撮ったし、別れる日も決まっている。


 別れの日は、今週末。

 DNA鑑定の結果も出て、父さんの仕事も一段落した所。

 ボクの新しい名前は、また父さんと母さんに考えて貰った。その名前を名乗るのはまだ気恥ずかしいけれど、いずれはその名前で生活していくことになるだろう。

 だから、これから行われることは、完全なる別れの儀式だ。


 自宅には、ボクの他に、父さんと母さん。

 それに、桜華と瑞貴、後はくるにゃんに、ボクの担当医の白川先生。


「それじゃあ、始めようか」


 リビングに集まったみんなに向かってボクが言った。

 それに、小さく頷くみんな。

 神妙な顔をしている両親。

 柔らかく笑ってくれている先生。

 桜華と瑞貴は、なんかよく分からない感じ。


 そして、くるにゃんは満面の笑みだ。


「黒猫さん」


 ボクが声を掛けると、すぐさまに黒猫の姿になったくるにゃん。

 猫の姿で、背中の羽を器用にぱたつかせて、宙に浮かぶ姿、初めて見たときの、そして、願い事を叶えるときにいつもいた姿だ。


「最後のお願いだよ」

「うん、わかったよ」


 脈絡なんて必要無く、用件さえ言えばにっこりと笑顔で頷いてくれる黒猫さん。


「また少しだけ、無茶な注文をするけれど、いいかな」

「しょうがないにゃあ」


 やれやれと言った様子で、その猫の体で肩を竦めて見せた黒猫さんがおかしくて、ちょっと笑ってしまった。

 それに最近知ったけれど、黒猫さんのその台詞がネットスラングの一環だって言う事もまた笑いを誘う。


「ちょっと細かいけれど」


 ボクはそう前置きして、黒猫さんに自分の用件を告げる。

 男のボクと女のボクを同時に存在させて欲しいこと。

 そして、ほんの数分でいいから、意識を男の方に移し替えて欲しいこと。


 一番伝えたい人に伝えたい言葉があるから。

 ほんの少しだけでもいいから、また男の姿に戻らなければいけないと思った。


「同時に起きてることはできないけど、いいのかにゃ?」

「うん、ただの自己満足だから」

「りょーかいにゃよー」


 今まで一番雑な猫っぽさで、黒猫さんが言う。

 無理してるなら辞めればいいのにと思いながらも、ボクは何も言わずに事が済むのを待つ。


 光が溢れる。

 ボクの体を包み込む光、そして、質量を伴いながら目の前に輪郭をかたどった体が現れる。

 輪郭が像を持ち、質量をもったところでぐぐっと体の芯が引っ張られる気持ちの悪い感触がする。

 存在を置換していた今までとはちがって、器の中身を入替えるような不快感。


 胃の中がひっくり返りそうな不快感にたまらず嘔吐く。

 それがどっちの自分が発した声なのか、もう分からない。

 だけど、多分それは女のボクが発した物だろうという確信がある。

 空っぽの方の器に入れるだけなら多分、気持ち悪いと言う事は無いのだろうし。


 光が収り、視界が開ける。

 目の前には、桜華や瑞貴たちがいる。

 ボクの後ろにいたはずのみんなが、ボクの目の前に居る。

 そして、床には、髪を乱して倒れている少女が一人。

 見知った髪の色、見知った顔立ち、見知った服装。

 今日のボクが一生懸命考えたコーディネートを着た少女。


 女のボクだ。


「……うん。ええと……」


 しゃがみ込み、倒れたボクを抱きかかえて。

 改めて感じる女のボクの頼りなさ。

 小さくて、今のボクの腕の中にもすっぽりと収ってしまうくらいに弱々しくて。

 それでも熱を持っていて。


「今までありがとう……、それと、これから頑張ってね……燈里あかり」


 これから頑張って貰う自分自身に檄を飛ばす。

 そして、ぎゅっとその小さな体を抱きしめて、生きている証である鼓動を直に感じた。


「ボクのワガママを聞いてくれてありがとね」

「きにしにゃーい」


 黒猫さんに微笑みかけ、女のボクをそっと横たえて。


「もう大丈夫。だから、戻してくれて大丈夫だよ」

「ま、待ってくれ!」


 父さんが慌てたような声をあげた。


「ま、待ってくれ……燈佳……最後に父さんのお願いを聞いてくれ……」

「え、うん。いいけど」


 ボクにとってこれはもう確定した事柄だから、時間が残されている限り付き合うことは可能だ。


「助かる」


 父さんが台所に消えていく。

 そして、すぐさま年代物の箱をもって戻ってきた。


「すまないが、今日だけは無礼講として見なかったことにしていただきたい」


 父さんが先生に頭を下げる。

 それに先生はにこやかに、どうぞと答えた。

 出てきたのは、お酒の瓶。


「本当なら、二十歳まで寝かせるつもりだったが……、門出だ、酌み交わしてくれるか……?」


 不安そう様を見せる父さんに、何を怖がっているのか分からないボクは、ただ一言、


「お酒って飲んでみたかったんだよね」


 調味料で使う料理酒やみりんなんか、それ風味の物だし。実際飲んだことはない。

 お屠蘇やビールすら飲んだことないボクにとって、それは未知の品物だ。


 ボクの答えに、薄い表情の中に晴れ間を滲ませ、酒瓶のコルクを抜く。

 そして、ボクにグラスを握らせ、瓶を傾ける。


 とぷ、とぷ、と。瓶に空気が入り込む音と、静かにグラスを打つ液体の音を耳にしながら、不思議な香りが鼻をくすぐってきた。


「注いでくれるか?」


 グラスを床に置き、父さんに差し出された瓶を受け取って、同じように注ぐ。

 また同じように音と匂いを楽しみ、そして、注ぐ度に少しずつ軽くなる瓶の重さも楽しんだ。


「無理して飲まなくていい、せめて一口だけでも付き合ってくれ」

「わかった」


 グラスを打ち付け、注がれたお酒を口に含む。

 嚥下すると、焼けるような熱さが喉を伝っていく。

 それが、とても辛くて、咳き込んだ。


「なにこれ……」

「度数が強い奴だからな。ああ、最後にいい想い出ができた」


 父さんは薄く笑って、グラスの中身を一気に飲み干した。


「もういい、かな?」

「ああ。付き合わせて悪かったな」

「これくらいなら。今度は可愛い娘が酌をしてあげるから、楽しみにしてるといいよ」

「ああ、それはとてもいい物だな。将来の楽しみにしておこう」


 それが、男のボクと父さんが交した最後の言葉だった。

 多分、仲直りはこれでできたのだと思いたい。

 ボクの今後を肯定してくれる。女になったとしても、ボクという存在は続いていくと言うことに、折り合いを付けてくれたのかも知れない。


「黒猫さん、お願い」

「りょーかいにゃー!」


 その気の抜けた声が響くと、また中身を無理矢理剥がされるような不快感。

 それでも、二度目は慣れた。

 目を開けると、天井が目に入ってきた。そして、崩れ落ちるような音。


「先生、お願いします」


 ボクは、倒れた男のボクを介抱しながら、先生の宣告を待った。


「本当にいいんだね?」

「ええ、お願いします」


 先生が、男のボクの死亡を告げる。

 肉体的な機能は損なっていないけれど、そこに心がないから。

 男のボクが現時点をもって死んだ。

 顔を歪ませる人はいる、それだけで、ボクは充分だと思った。

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