さいごの願い
男のボクが死んだことを告げられてからは早かった。
あっという間に葬儀の用意が済まされる。
訃報が回され、自宅に問い合わせの電話が鳴り響く。
父さんと母さんが対応に見舞われ、ボク達は手持ち無沙汰である。
先生は葬儀の手配や死に化粧の手配を済ませたら帰って行った。
葬式の時にまた来るとそれだけだった。
「ここまでするのかー……」
呆れた声をあげたのは瑞貴だった。
ボクもここまでするとは思っていなかった。
「びっくりだよね」
ボクの部屋に三人。
桜華の言葉にボクと瑞貴が頷いた。
「てか、これだから黒のネクタイとスラックスもってこいって言ってたんだな」
「うん。男のボクが死んだって事にしておいた方が後々の事を考えると面倒が少ないらしいから」
ボクのその言葉に桜華が表情を曇らせる。
「いつでも戻れるようにすればいいのに……」
「まだ諦めてなかったの……」
「うん、まあ」
ボクの呆れた声に、桜華が肩を竦めて見せる。
年末の事が尾を引いてるのは確かなんだけど、それでも執着は薄れているような気がする。
あくまで気がする、だけど。
それから、ボク達は喪服に着替えて下に降りる。
本当は家族である、ボクだけでいいんだけど、多分ボクだけだったら笑い出してしまいそうだったから一緒に来て貰っていた。
それに、もし、万が一、弔問客の中に今のボクを作った元凶が来たときに背中を押して貰いたいから。
そのことは二人に説明してある。
来るかどうかも分からないけれども。
それから暫く、すすり泣きの聞こえる室内に慌ただしく客の応対をする父さんと母さんを見ながら、時折声を掛けてくる人達の思い出話に耳を傾ける。
あれだけ一人だと思っていた自分が、これだけの人の記憶に残っていたのかと思うと、ようやっと寂寥感が沸き上がってきた。
「大丈夫か?」
「うん……」
なんの疑問も持たずに、ボクをボクの妹と信じて疑わない人達。
そんな人達から温かい言葉を掛けられて、本当に別人になったんだと思わされる。
そして、そんな折、保護者に連れられたボクらの年代に近い人達が来た。
中にはボクがケガをさせた人もいる。
一様に顔は暗く沈んでいて、表情がなんで今頃になってという思いで満ちているように見える。
そういうあからさまな敵意を見ると、なぜか安心した。
だから、去り際に、兄のためにありがとうございますと丁寧にお礼を言ったら、ぎょっとした顔で驚かれた。心外である。
「意外と大丈夫そうだよね……」
「心外だなあ!」
皮肉を返したボクに桜華がそんなこと言う。
本当に心外である。
でも、ボクは未だにあの人達を許していないし。よってたかって一人の人間を苛める行為は許せない。
「あいつらが?」
「そんなところ」
「そうか、それじゃちょっと一発」
「やめよう」
拳を握る瑞貴を制止して、弔問客に挨拶をしていく。
主にボクが頭を下げるだけだけど、桜華の事も知っている人は桜華にも声を掛けていく。
そんな時間が過ぎていき、夜も更けてきた時刻。人気も大分疎らになってきている。そんな中、背中を丸めた一人の男の子がやってきた。
玄関の灯りに照らされた姿を見れば彼がが誰か分かる。
息が詰まりそうになる。
「ほ、本日はお悔やみを……」
彼が喪服を着たボクに声を掛けてきた。
おどおどとした物言い。
小学中学と共に過ごした親友。
年末、瑞貴と一緒に外で見かけたときよりも、より憔悴しているように見える。
全く着た形跡の見られない制服。とりあえず進学はしたけれども学校には行っていないのだろうか……。色々と憶測を立ててしまう。
「ありがとうございます……こちらにお名前を」
弔問客の名前を控えるためのノートに、名前を書いて貰う。
名前を見て、やっと気付いたと言った風を取らないといけないのはちょっと手間では合ったけれど。
「あの……」
「……?」
力の無い澱んだ目でボクを見る、元親友。
「すみません、わたし、妹の燈里といいます」
「あいつの、妹……?」
「ええ」
「嘘だろ……。あいつは一人っ子って」
目を白黒させる、元親友に、ボクは少しだけおかしくなって、からかってやろうという気持ちが芽生えた。
けれども、彼にとって、今のボクとは殆ど初対面だ。そう言うことをするわけにも行かない。
どうやって説明した物かと思い、考えを巡らせていると。
「なあ……アイツが死んだって嘘だろ、嘘だよな……」
「いいえ、事実です」
こちらに身を乗り出してくる彼に、ボクはぴしゃりと言い放つ。
彼に恨みは無いけれど、彼のためにねじ曲がってはいるけれども事実を教えてやらねばならない。
「どうぞ、ご案内します」
ボクは先だって、元親友の前を歩く。
リビングに据えられた棺桶。特段豪奢というわけでもなく、飾り気の無い棺桶だ。
そこに、死に化粧をしたボクが眠っている。
本当はまだ心臓も動いているし、脈もあるけれど、起きることはもう無いから、血色を悪く見せるための化粧が施してある。
「嘘だろ……」
棺桶に縋り付くように、元親友は崩れ落ちた。
泣き言を、恨み言を、謝罪を述べ続けている。
「俺……お前にまだ、謝ってないんだぞ……なんで死んでんだよ……」
何でと言われても、女になったから、としか言いようが無い。
だけど、それは近しい者達の胸の内に秘める事柄で。
気の済むまで、元親友の泣き言を側で聞いてあげることしか、ボクにできない。
「お前……、なんで俺なんかを庇ったんだよ……、陰キャラなんか庇わなければ、お前はずっとクラスの中心だっただろ……」
そうだ。
この、元親友さえ助けなければ、ボクの生活はまた違っていただろう。
きっと桜華と交際を始めて、いろんな人に冷やかされて、それでそのまま先の未来も在ったことだろう。
だけど、ボクは目先の利益よりも、小学校来の付き合いの親友が辛い目に合っているのを見過ごすことなんてできなかった。
「なんで死んだんだよ……」
縋り付くように、涙を零す元親友に、ボクは掛ける言葉を探した。
「……元は、君が悪いんじゃん……」
そして、漏れた言葉は、ずっと胸の内に溜め込んでいた、元親友への恨み言だった。
冷えていく頭の中で、言葉を組み立てる。
「君が、ボクの事を恐いなんて言わなければ、ボクが引き籠もることも無かった。君がボクの未来を閉ざした元凶じゃないか。なんで被害者ぶってるの?」
「なに、を……」
親友が、驚愕したかのように、言葉に詰まっている。
「君が、君を守ったボクを畏怖しなければ、ボクは病まなかったし、これからも明るい未来があったはずだ。全部、全部、全部、君が壊したんだよ。
そんなに、暴力に訴えたのが恐かったか。怖がるほどに、君はボクに助けて欲しくなかったのか。あのままで、中学生活を終えるつもりだったのか。
ボクはそんなの見たくなかった。楽しく笑って過ごせればいいと思って、君が苛められてるのが見るに堪えられなかったから……」
涙が溢れる。
口に出した言葉を自分の中で、咀嚼すればするほど元親友を助けた行為が自分の正義感による、押しつけだと言うことに気付いてしまったから。
「……ご、ごめんなさい。兄の遺書を読んだので……感情的に……」
「い、いや、こっちこそゴメン……そうだよな……アイツの行為を受け取れなかった俺が悪いな……」
取り乱していたのが嘘のように立ち直った、元親友は少しだけスッキリした顔をしていた。
「でも、ボクって……ホント榊みたいな喋り方だな……」
「あ……えと、それは……ほら、双子だし……」
苦しい言い訳である。
「そうかー……」
多分釈然としてないというのはわかるのだけど、面倒な事を避けるために納得したフリをしてくれている、元親友に感謝をしながら、ボクは彼に少し待って貰うように伝えた。
ボクが最後に男であったときに書いた、手紙を渡さなければいけない。
こうなってしまった事への謝罪の意味を込めてだ。
部屋に戻って、机の上に置いてあった手紙を取り、親友の元へと戻る。
別に長々と書いた訳では無いけれど、そこにはボクが死ぬ理由、嘘の病気、自殺では無いことを書き、最後に御礼と謝罪を書いた簡素なものだ。
「これ、読んで下さい。兄から貴方に宛てた物だから」
それと、とボクは話を続ける。
できればその手紙は今この場では読んで欲しくない物だから。
「兄の“さいごの願い”です」
そう、言って、ボクが彼にかけてあげる最後の言葉を紡ぐ。
「ボクの事はたまにでいいから思い出してくれたら嬉しい……だそうです……」
いなくなる者にとって、忘れて貰うのが一番なんだろうけれど、ボクはそこまで達観しきれなかった。
だって、女としてボクは生き続けるんだから。
それなら、忘れて、じゃなくて、たまには思い出して欲しい。
桜華にも言ったけれど、男のボクは確かにいたんだって、覚えていて欲しい。
それが、男のボクの事を知っている人みんなに伝える“さいごの願い”だ。
「わかった……。なあ、俺はもう気にしなくていいのか……?」
「そもそも、中学を卒業してからは、気にしてませんでしたよ」
というか、気にする余裕が無かったというか。
「それでもここ一年の話じゃないか……」
「ええ、なので、もう気にしないでください。過ぎたことです」
そう、過ぎたことだ。
だからもう縛られなくていいし、自分が楽しい過ごし方をしてくれていい。
たった一人の人物のためだけに心を砕くのはバカのすることだ。
元親友は、わかったと言って、去って行った。
少しはスッキリした様を見せてくれた当たり、もう踏ん切りはついてくれたのだろうと思いたい。
ボクの“さいごの願い”は、性別の選択だけでは無くて、ボクに関わってくれた全ての人が、男のボクという人物がいたことを覚えていて欲しい。
そんなありふれた願いだ。
だって、そうじゃなきゃ、あまりにも報われなさ過ぎるから。
誰かの心に一欠片でも存在していれば、それはそれでとても嬉しいことだ。
「いいの?」
「なにが?」
元親友を見送って、胸のつかえが取れたところに、桜華が声を掛けてきた。
言っている意味が分からなくて、聞き返してしまったけれど。
「本当の事言わなくていいのかなって」
「言った所で、もう、男のボクは動かないし信じて貰えないんじゃないかな」
「そっか」
「うん、だから、彼の中でボクは死んだんだよ」
足かせになっている人間は殺すに限る。
物理的か精神的かは問わないけれど。
それが一番いいんだ。
「まあ、本当の事を知っている奴もいるから大丈夫だろ」
「そうだねー」
「男だと知っても、好きな気持ちは変わらないしな」
「ちょ、いきなりそういうのは卑怯!!」
一月の終わりの日曜日。
気がつけばあっという間に一年が過ぎ去っていて、また春がやってくる季節も近い。
開きっぱなしの玄関の冷気に身震いしながら、ボクは二人に振り返る。
「ありがとね」
今だからこそ、ちゃんとお礼を言わねばと思ったのだ。
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