おわかれ・中

 暗くなった部屋の電気を付けて、時間を確認して。

 もう夕飯の時間はとうに過ぎていた。


「下に行こうか」


 未だに聞き慣れない自分の低い声に戸惑いながらも、スッキリとした顔付きの桜華を見やる。

 桜華はぐしぐしと目元を拭って涙を拭き取り、立ち上がってくれた。


「泣いたらお腹すいちゃった」

「そうだね。ボクもお腹すいたよ」


 そのまま一緒に下に降りると、誰もいなかった。

 書き置きがしてあり、戻ってくるのは深夜だという事が書いてあった。


「これって……」

「配慮してくれたのか、それとも逃げたのか、どうなんだろう」


 後ろから覗き込んできた桜華に、ボクはきっと逃げたのだと思うと答えておいた。


「そんなにおじさんとおばさんが嫌い……?」

「ん、どうだろ? でも、今ある現実を受け入れて欲しいから。例え何と言われようとも、ボクの決断は変わらないよ」


 嫌いかどうかはさておき、きっとボク達の話が聞こえていたのだろうに、待つことをせず、外に出て行った二人に不信感が沸く。

 どうして、逃げようとするのか。どうして、面と向かって立ち会ってくれないのか。親なら、子供の生き方くらい認めて欲しいと思う。


「桜華、夕飯食べた後、付き合って」

「えっと……えっちなこと?」

「それ、今は冗談でもやめて」

「あ、うん。ゴメン……」


 改めて、ボクは桜華に父さん達が帰ってくるまで一緒に待っていて欲しい旨を伝えた。

 それに桜華も快く応じてくれた。

 何度も、酷い事をしているのにそれでもボクに愛想を尽かさない桜華には、本当に頭が下がる。


 それから、味気のしない食事をして何をするでもなく、二人で両親の帰りを待った。

 帰ってきたのは十時過ぎ。深夜にしては早い時間帯だった。


「おかえり。どこ行ってたの?」


 玄関の開く音がすると、ボクは弾かれたように廊下に出て、自分でも恐いくらいの低い声で、問い詰めた。

 暫くボクと父さんの間に沈黙が流れた。


「あ、ああ……燈佳か……一瞬誰かと思ったぞ……」


 こんな時間にしては酒気を感じさせない父さんの足取り。

 何をしていたのかさっぱり想像ができない。


「……話があるんだ。この姿じゃないとできない話」

「そうか。夕飯は食べたか?」

「うん」


 車を片付けていたのだろう、母さんが家の中に入ってきて玄関の扉を閉めたことで、底冷えするような寒さが幾ばくか緩和される。

 母さんはボクの姿を見ると、微笑を浮かべただけで、それ以上は何も言わなかった。ボクが何をしようとしているのか理解しているのだろうか……?


「こちらも、燈佳に話をするために席を外していた。今後の話をしよう」

「うん、ボクも、これからの話をしようと思ってた」


 空気は一触即発。どうしても、父さんの物言いはボクの神経を逆撫でる。

 女の時はそうでもなかったけれど、男の姿のボクはとても気が短くなっている様に思えてならない。

 違う、多分、今のこの姿に苛立っている。違和感が拭えないから。

 それくらいに、今のボクと元のボクはズレている。もう、きっと元には戻れないんだなあって我が事ながら他人事のように思えて仕方が無い


「そうか。父さんたちも、これからの事のために少し出ていた。どうやら、大事な話をしていたようだしな」


 含みを持たせた言い方で、ボクと後ろにいる桜華を見やった父さん。

 確かに大事な話だ。桜華にお別れを告げていたのだから。

 父さんがボクの横を通り抜けて、リビングへと向かう。その後を追うように、母さんが。


「少しだけ、お話をしましょう?」


 横を抜けて行き様に、ボクの体を反転させてリビングに押し込む。

 その少しだけ、というのは、ボクの今後の事だから。少しだけな訳がないのに。


「ちゃんと、話しようね」

「わかってる……」


 一歩後ろを歩く桜華に、ボクは素直な相づちが打てなくなっていた。

 リビングに入り、いつものように食卓座る。

 ボクの対面に父さんがいて、その横に母さんが座って、ボクの隣には桜華がいる。


「ねえ、父さんと母さんにとって、ボクはどっちで居て欲しいの?」


 誰も端を発することはない。

 暫くしんとした時間が流れたのにやきもきし、ボクは口火を切った。


「……好きなように、としか言えないが……」

「そうねえ。お母さんは、別に女の子でも構わないわよ?」


 それは無責任な言葉で、ボクの胸には空虚な声として響く。

 主体がない。その答えは、今のボクが欲している物じゃない。

 だから、


「そうじゃない! 父さんと母さんは、どうしてそんなにもボクの事を気にしてくれないの!?」


 腫れ物を扱うように、かと思えば、無慈悲に。

 今の扱いは、無関心のそれに思えてならない。

 だから、辛い。

 別れを告げると決めて、この姿に戻って、今の二人の言葉を聞いたら、とても胸が痛む。

 どうして、ボクの事を一番気にして欲しい両親にここまで、蔑ろにされないといけないのか。


「そんなに、ボクの事が――ッ!」


 言い終わる前に、ボクの頬が張り飛ばされていた。


「気にしていない訳がないだろうが!」


 耳鳴りと共に、飛び込んでくる父さんの怒声。

 矢継ぎ早にまくし立てるように、そして、まるで諭すかのように。

 ボクが決めたことを尊重する事が親の努めである事。

 今後の生き方を決めたのなら、そこに自分たちが口を挟む物ではないこと。

 無関心を決め込んでいるわけではなく、ボクがやりたいことを出来るように尽力すると。

 そんなことを、今更言われても信じられなかった。

 耳障りの言い言葉を並べ立てて、ボクが納得するとでも思うだろうか。


「それにだ……、お前を追い出し事を今でも後悔している」


 突然の懺悔にボクの気勢を挫かれた。

 返す言葉を探していたボクは、中途半端に口を開いたまま、また別の言葉を探していた。


「それって、どういう……」


 なんとか絞り出せた言葉に、更に追い打ちを掛けるように、


「桜華ちゃんがな、電話をして来たんだよ。あんなにも弱っている人を外に放り投げるとはって。鬼畜に外道、親の風上にも置けないと。今にも死にそうな姿を見て嬉しいと思ったのかと」

「死にそうっていうのは、比喩だけど、あの状況の燈佳くんは見ていられなかった、です……」

「散々に怒られたからな……」


 ボクの与り知らぬ所でそんなことが起こっていたなんて。

 ああ、だから、執拗に電話を掛けたりとかそういうのが無かったのか。

 近況報告といえば、声を聞くべき物だろうし。


「そんなことがあったなんて、ボク知らない……」

「今だからこそ明かしたが、桜華ちゃんの話を聞いて、元気になるまでそっとしておこうと、母さんと二人で話し合ったんだよ」

「なんで、ボクに言ってくれないのさ」

「外を全く信用していない状態のお前が、今の話を信じるか?」


 言葉に詰まる。

 確かに、あの時のボクは何一つ信じていなかった。

 裏切られた気持ちの方が大きい。


「信じて、いなかったと思う」


 素直なボクの答えに、父さんが大仰に頷いて、


「こうやって、対面して分かったが、やっと燈佳としっかりした話ができるようになったと思う」


 そんな事を言った。

 前までのボクなら確かに、聞く耳を持たなかっただろう。


「ん……迷惑をおかけしました」

「他人行儀はやめてくれ……」


 父さんが困ったように笑う。ボクだって実際、どういう風に対応していいのか分からないんだ。今の姿もとても嫌で、出来るなら早く戻りたいという気持ちもあるし。


「まあ、そのだな……母さんと話し合った上で、決めたのだが……。燈佳、これからのことを話し合おう。燈佳が女として生きる事を望んでいるのは分かっている。だから、女として生きる上で、必要なこれからのことを話し合おう」

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