おわかれ・前

 魔法の珠の使い方はよく分からなかった。

 だけど、わからないけれど、多分こうなんだろうなという直感が働いた。


 念じる。

 ただ、念じる。

 男のボクにして、と。


 戻して、じゃなくて、ただ、して。


 今のボクに取って男のボクは過去の物。

 だから、戻してじゃなくて、ただ男にして欲しい。

 そう念じる。

 願うのではなく、想う。


 想う度に強く、魔法の珠から光が溢れ、ボクを包み込み、撫でていく。

 撫でる先から姿が、女のボクから男のボクに。

 衣服を身に纏った状態で戻っていく。


 くるにゃんも言っていたけれど、多分これはサービスだ。

 そう言うことにしておいた方が無難なのだろう。深く詮索するべきではない。

 光が収り視界が開けると、頭一つ分以上視野があがっていた。


「燈佳くん」

「うん」


 喉仏が震えるような低い声。

 女のボクからは聞いたことの無い低い声。

 その声が耳朶を打つ。

 違和感たっぷりのその声に、首を傾げながらも、目の前に居る桜華にボクは向き直った。


「改めて、桜華」

「うん」


 クリスマスのあの日に戻って以来、この姿でやっと人の目を見て話せるようになった。その切欠を作ってくれた桜華には感謝してもしたりない。望む物があればいくらでも与えてあげたいと思う。

 ベッドに腰掛けて、桜華の隣に座る。ぎしりとスプリングが音を立てて沈む。

 未だ涙の滲む桜華の目を見て、ボクは桜華の肩に手を置き、そのまま抱き寄せた。


「今までありがとう」

「うん」

「男のボクは消える」

「うん……」

「だから、桜華の思いには二度と応えられない」

「……うん」


 また涙声。震える肩を優しくさすって。子供をあやすかのようにぽんぽんと叩いてあげて。余計に酷くなる震えに苦笑が漏れた。


「男のボクがいたことを、覚えていて。桜華が好きだった男のボクのことを」

「うん……」

「だから、ボクは桜華の思いには応えられない。好きな人がいるから。その人と結ばれたいと想うから……」

「うん」

「好きでいてくれてありがとう、きっとボクよりも素敵な人が桜華を幸せにしてくれるから」

「そんな人、いないよ……」

「それはそれで嬉しいけど」


 漏れる苦笑。

 ボクだって人生に絶望している中でたった一年でここまで戻ってきたんだから、きっと桜華だって大丈夫。

 根拠の無い自信だけれど、きっと大丈夫だと思う。

 だからぐずぐずに泣いている桜華を力一杯抱きしめて、


「でも、ごめんなさい」


 耳に届くのは桜華の嗚咽の声。

 もらい泣きをしそうになるのを必死に押しとどめて、最後にもう一度力一杯抱きしめてあげる。

 キスも無ければそれ以上も無い。

 それ以上をねだるのはルール違反だって、桜華も気付いている。


 だから、親愛の情を込めて、力一杯、精一杯抱きしめてあげることしか出来ない。

 ぼろぼろのくしゃくしゃに泣いているのがよくわかる桜華が、ボクの背中に爪を立てるようにしがみついてくる。

 行かないでと、男の子に戻ってと言う泣き言も聞こえる。

 でも、ボクはそれにただごめん、無理だと毅然として応えるだけだ。

 わんわんと大泣きした桜華を慰める言葉はもうボクには持ち合わせていなくて、ただひたすら落ち着くまで抱きしめてあげることしか出来なかった。


 どれくらい時間が経ったのか分からないけれど、部屋の中は真っ暗になっていて響くのは時計の針の音と、桜華が洟をすする音だけになっていた。

 道を歩く人の声も、車の音も、聞こえない。


「みっともないところみせちゃった……」

「そうだね。ボクだってもっと酷いところ見せてるから、お互い様だよ」


 すんすんと洟をすすりながら、ボクの肩を止めどなく溢れてくる涙で塗らした桜華はやっと落ち着いたようだ。

 もらい泣きを結局してしまい、零した一筋の雫はバレなければよかったけれど。


「燈佳くんもやっぱり悲しいんだね」


 結局バレて、小さく笑われた。

 電気も付けず、窓から差し込む街灯の光で照らされた部屋の中。

 憑物が落ちたかのようなスッキリとした笑みを浮かべてくれた桜華にどきりとした。

 今までの影のある様は一切なくて、それがとても魅力的で。


「うん。やっぱり、少しはね」

「そっか」

「それに、一個勿体ないなっておもっちゃった」

「どうしたの?」

「桜華の笑顔がとても可愛かったから、ボクが二人いればいいなってちょっと思った」


 ボクのその一言に桜華が固まる。

 暗がりでも分かる位、朱の差した頬。

 ぱくぱくと薄付きの唇を動かし、何か言いたげだけれども、言葉になってない様子がとてもおかしくて。


「最初から後ろめたいとか思ってなければよかった……」


 最終的に残念そうに唇を尖らせて、頬を膨らませた。


「うん、可愛い女の子のお人形さん扱いでずっと続いてたらよかったかもね」

「覆水盆に返らず、かー」

「そうだね」

「ずっと空回ってたのかな……」

「それはわからない」


 ボクは首を振って応える。桜華のやっていることが全部が全部裏目に出ていたわけじゃ無い。過保護すぎたらボクはきっとダメなままで、きっと高校でも虐めに遭っていただろうし。

 適切な距離間で、時に突き放し、時に甘やかし、時に守ってくれたからこそ、今のボクになれた。

 変わりたいと願ったとおりに、変われた。

 だから、一概に全てが悪いわけじゃない。

 全てタイミングだ。

 女の子になった初めての日、きっと驚いていたのだろうけれども、それをおくびにも出さずに戸惑っているボクに何でもしてくれた桜華。

 そして、一人で放り投げるのでは無く、連れ添って外に出てくれた。

 それから、瑞貴に出会い、同じ学校、クラス、実は前からの知り合いだった事。

 最初の願いは、桜華のために使った。


 それから、それから、それから……。

 思い起こせば一杯あった。

 一年にしては濃密で、貴重な体験が女のボクに降りかかった。

 目立つ事ができなくなった、男のボクの代わりに、様々な出来事が起こった。


 決定的だったのは、女になったボクが、女だと言う事を自覚させられた事。

 月の物が来て、それから同級生に襲われて、瑞貴に助けて貰って。

 転がるように、今の自分が女なのだと気付かされた。

 それから、とても楽しくなった。男のボクを知らない人ばかりだと言う事に気付いて、楽しくなった。

 そして、いつの間にか瑞貴に惹かれていた。目で追っていた。

 粗相をしても引かない男の友達に恋をしていた。いつも助けてくれる顔も合わせたことの無かった友人に恋をした。


「でも、ね。ボク今が一番楽しいんだ。女のボクとして過ごすのが」

「そっか。それじゃあしょうがないね」

「うん。可愛い格好をするのも、最初は戸惑ったけれど、可愛いって言ってもらえるのはとても嬉しいことに気付いてからは、好きになったよ」


 桜華の事は蔑ろにはしたくない。

 このまま答えを出さずにずるずる引き延ばすのもそれはそれで、いいのだろう。

 だけど、それはボクだけが気分のいい物であって、桜華にとっても瑞貴にとってもよくないことだ。

 だから……ボクは片方を選ぶ。


「もう一度言うね」


 ボクの言葉に身を強ばらせ息を飲む桜華。

 ボクの心は穏やかだ。ここまで男のボクの事を好きでいてくれた人がいたことが嬉しい。その大きな想いを受け取れて満足した。

 だから、もう消えて居なくなることに恐怖はない。


「男のボクは、これから数日の内に消える。残るのは女のボク。女のボクには好きな男の子がいて、桜華の気持ちには応えられない。だから……ごめんなさい」


 桜華は、ボクの言葉につうっと一滴の涙を零して頷いてくれた。


「ボクは欲張りだから、男のボクの事をずっと覚えていて欲しいし、なんなら男のボクがいたことをたまにでいいから思い出して欲しい」


 偶然の奇跡が呼び起こして、巻き込まれて女の子になったボクの事を。

 覚えていて欲しいと、そう切に願った。

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