与えられたものを捨てる覚悟

 夜、特にする事も無かった。

 理事長に渡された、軽くて冷たい丸っこい宝石みたいな珠をころころと転がしておくのも飽きてきたところだった。


 物置きから昔のゲームを引っ張ってきてもよかったんだけれど、自室のテレビは桜華の所だし、結局八方ふさがりだ。携帯ゲームも置いてきたし。

 本はあれども、なぜか今日は読むような気分にもなれず……。


 SNSを開いては閉じ、更新しては閉じ、手空きに宝石をころころと転がしているのが現状だった。

 桜華は真面目に勉強をしている。自宅だからってだらけているボクとは大違いだ。

 最初のうちは服が皺になるから着替えてきたらと言われたけれど、そういう気分でも無かったから、いい加減な生返事をしてごろごろを続けている。


「ねえ、桜華」


 流石にごろごろころころぽちぽちしてるのも飽きてきたから、体を起こして桜華に声を掛けた。

 いつの間にか冬休みの課題が三割も終わってる……。結構な量出てたはずなのに。


「なに?」


 シャープペンをローテーブルの上に置いて、桜華はぼんやりとした様子でボクを見返してきた。少し眠いのだろうか、目元をごしごしと拭っている。


「んー……、これ、使った方がいいのかな……」

「どうだろう……」


 好きなときに性別を切り替えられる魔法道具。


「私は使って欲しいけど……、でもそれを決めるのは燈佳だし」

「やっぱり、桜華は使って欲しいんだ」

「そりゃあ。えっちしたいもん」

「あーうん。とりあえず今日は使いません」

「そっか」


 身の危険を感じた。多分男に戻って夜を過ごしたら、性的に食べられてる予感がびんびんにする。危険すぎる。

 あっさりと引き下がったのは多分、ちょっとした話のネタなのだろう。


「でも、おじさんとおばさんの為なら一度戻ってあげた方がいいと思う」


 それはもっともだ。だけど一度でも戻ったら、もう二度と戻れないような、そんな気がして、使うのを躊躇ってしまう。


「戻れなくなりそうで恐い」

「理事長は意地の悪い人だとは思うけど、嘘は吐かないと思うよ」

「そうなの?」

「勘だけど」


 所謂女の勘という物だろうか。元々男のボクには備わっていない物だ。

 だから、簡単に人に騙されたりするんだけれども、それはそれで仕方ないと割り切ろう。

 今でこそやっと今の自分を客観的に見ることが出来るようになったから言えるけれど、はっきり言えばボクの姿はとびきりに可愛い部類に入る。それを驕るつもりも鼻に掛けるつもりも無いけれど、容姿がいいという事は、近寄ってくる変態も多いって事だ。そういう人物を見極める能力は今から養っていかないとこれから先厳しい状況に追い込まれることが多くなるだろう。

 だからこその勘というのは一種の感性の極致。自分の事を信じているからこそ導き出せる答え。


「ボクにもその勘欲しい」

「……女の子歴の浅い燈佳にはまだ早い」

「えー」

「暫くは私が守ってあげるから」

「一人立ちがしたいですね」

「そんな事言わずに」


 桜華が襲いかかってくる。殆どじゃれついてくるのと変わらないから、拒絶はしないけれども。


「桜華がそうやって実力行使に出てくるなんて珍しいね」

「うん、まあ」


 そういって、ベッドに腰掛けるボクにぎゅっと抱きついてくる。

 顔をボクのお腹に押しつけて、何かを噛み締めるようにぎゅっと、ぎゅっと抱きついてくる。


「どうしたの?」

「よかったなあって」

「そうだねー」


 何を言わんとしているのかはわかる。

 ボクもやっと肩の荷が下りた感じだ。


「一杯迷惑かけてごめんね」

「いいよ。その迷惑のお陰で、ボクこうなれたんだから」


 外に出られた、人と目を見て話せるようになった。仲のいい友達が出来た。

 そして――恋人が出来た。

 それはとても喜ばしいことで。

 かけがえの無いもので。

 桜華の言う、迷惑が無ければあり得なかった今で。


 前のままだったら、ボクは早々にダメになっていたかもしれない。

 ダメのまま、自分に絶望して、この世から去っていたかもしれない。

 あり得た過去で、この姿が変わると言う事で、無かった過去に出来たこと。


「桜華、いつも、ありがとね」


 ボクはお礼代わりに、桜華のさらさらの黒髪に指を通す。

 指を通る絹糸のように滑らかな黒髪は、少し羨ましい。

 ふわふわとしたこの髪も好きだけれど、やっぱりそれはそれ、これはこれ。隣の芝生は青いのである。


「うん、どういたしまして。好きよ、世界で一番あなたのことを愛してるわ」

「ボクも桜華の事は好きだけど、その愛は重いなあ」

「振られちゃった」

「痛い痛い。もうちょっと力緩めて!」

「やだー」


 ぎゅうぎゅうと、ボクの腰が折れそうなくらいの力で抱きついてくる桜華。

 流石にまだ大丈夫だけど、あるときぽっきり行かないか心配だ。


「燈佳、男の子に戻って私とえっちしよう?」

「あれが最初で最後の約束でしょ」

「だって、スイッチみたいに切り替えられるんだよ、使わなきゃ損だよ」

「いーやーでーすー」

「わがままー」

「どっちが!?」

「どっちも?」

「明らかに桜華だよね……」


 嘆息。そして苦笑。本当なら、こういうじゃれ合いですら、瑞貴に対する裏切りなんじゃないかなって思うのに、どうにもボクは桜華には弱い。

 長年の付き合いというのもあるし、ほっとけないという気持ちもあるし。


「そういえば、明日瀬野くん来るんだよね」

「あ、そうだった」

「忘れてたの?」

「まあ、うん。これがあんまりにも衝撃的すぎて……」


 宝石のような珠をころころと転がしてみせる。

 結局の所、ボクの今の悩みの種はこれなのだ。

 もう、女の子として過ごすことは決めている。だけど、目の前にぶら下げられた餌に飛びつきたい思いもある。

 毒でもあるし薬でもあるそれ。一ヶ月という期限はある物の自由に切り替えるというのは必要以上に魅力的な物だ。

 だからといって、使いたいって思わないのが現状。

 でも、使わないといけない場面があるのは確か。


「どうせ使わないんでしょ?」

「うん、まあ」


 曖昧な返事。桜華はボクのお腹にくっつけていた顔を上げてボクを見る。

 もう少しすれば、キスできそうな、ロマンティックな距離。だけど、見つめ合うだけに留める。

 どこかぼんやりとした桜華の目元。それが問いかけてくる。

 宝の持ち腐れだねって。

 全くもってそうだ。でも、使ったらもう終わりだと思う。


「使わないよ。父さんと母さんに懇願されたら分からないけど」

「なるほど……攻めるはおじさんたちか……」

「恐いこと考えないで!?」

「冗談だよ」

「冗談に聞こえないから」


 全くもって油断ならない。


 許して貰えて、今のボクの存在を認めて貰えて。

 一番安心をしたのはボクではなくて、桜華だろうと言う事は想像に難くない。

 ボクも本当の意味で肩の荷が下りたのは今日だから。


 父さんと話ができて、認めて貰えて、そのままでいいと言ってもらって。

 だから、今渡されたこの宝石みたいな珠は実は意味を成していない。

 ボクが元の姿に戻る理由がないから。


 しいて言うなら桜華との関係だけだけど、今は今で全くもって問題ない感じだ。


「ところで、桜華さん」

「はい、なんでしょう」

「さっきから、やってるこれはなんですか」


 人が真面目な話をしているときに、甘えてくる桜華を甘やかしている最中に。

 どうして彼女は、ボクの脇腹をぷにぷにとつまんでいるのでしょうか。


「ぷにぷにやわやわ」

「人の脇腹をつまむのやめて貰えます?」

「……燈佳、もしかして太った?」

「太ってないよ!? 四〇キロ前後から全然変わってないから!」

「そう……? じゃあ脂肪を蓄えたのね」

「胸に行って欲しいやつ……」

「悲しい格差社会」


 全くもってその通りだ。悲しい格差社会なのである。そしてボクには成長の見込みがないのもちょっと悲しい。


「……揉む?」


 何をとは聞いてこないけど、なんなのかは分かる。

 削ぎたいおっぱい。胸がない人のことも考えてください。


「いりません」


 丁重にお断りして、不満げな声をあげる桜華をべりべりと引っぺがして。

 お風呂に入ってくると桜華に伝えて部屋を出た。


 明日は瑞貴がくるから、少しでも体を綺麗にしておきたい気持ちがあったのだ。

 もうそんなことを考えていることに気付くと、やっぱりボクはもう心が女の子になってしまってるんだなあって思ってしまう。

 こうあることが当然であったかのように。


 可愛い服に、化粧に、小物のアクセサリー。最初は全く興味が無かったそれら。

 しいて言えばゲームの中のキャラクターを可愛く着飾るのが好き程度だった。

 だけど今は違う。少しでも見た目は良くしたいし、好きな人には可愛いって言ってもらいたいし。


 だから、ボクはこのままでいいんじゃないかなって。そう思った。

 貰ったものはとても便利なものだけれど、今のボクには必要の無いものだった。

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