ボクはどうなってもボクでしかない
明けて翌朝。いつもの時間に目が覚めたボクは桜華を起こさないようにそっと自室を抜け出してリビングへ。
パソコンもないし、ネトゲはできないから、自室にいたってする事は何もない。
できたとしても桜華を起こさないようにしないといけないし、結局やらなかったと思う。
暇を持て余したボクができる事と言えば、朝食を作る事か、多分酷い有様になっているだろうリビングの掃除くらいだ。
でも、朝一から掃除なんてした日には、騒がしさでみんなが起きてくるだろうから、ここは朝食でも作る事にする。
そう思って、リビングを開けたら……酷い有様だった。
あの後どれだけ飲んだのだろうと思うくらいにテーブルの上が散らかっていた。
流石にこれはままならない。
散らかった物を片付けて、朝ご飯を作って。
それを食べながら、ボクは瑞貴にメッセージを送る。
瑞貴と付き合うことになったと言っても、メッセージのやりとりはいつもの調子だ。好きだとか、愛してるとか、そう言うやりとりは無い。
すぐすぐにそういうやりとりが増えると、ボクだって困るし、今の状況はとてもありがたいのである。日中ならすぐに返事が来るし、それだけで幸せだ。
内容はどうしようかと悩んだ末、枕詞とかそういうのを全部捨て置いて、用件だけを送る。
今日か明日にでも、家に来てくれないか、と。
時間的に返事は帰ってこないのは分かっていたから、見た時にでも返事をくれればいい。そう思っていたのに、返事はすぐに返ってきた。
「はやい……」
おっかなびっくり、中身を見る。
そこには今日は厳しいけれど、明日ならという返事があった。
それだけで嬉しくなる。心がぽかぽかとしてきて、昨日の夜に聞いた話を忘れてしまいそうになるくらいだ。
でも、こんな早く返事くるって考えると、少しだけ心配になる。
ボクはいつも起きる時間だけれども、普通の人ならまだ寝ていてもおかしくない時間帯だ。
無理していないかという返事を出したら、すぐにまた返事。
今から寝る、と。つまり徹夜でネトゲ三昧だったわけだ。ボクもしたいのに、パソコンがないからできなくて我慢してるのに!
ずるいと返事を送ったら、帰ってきたらいくらでも付き合ってやるからと、これまた早い返事が返ってくる。
「むぅ……」
ちょっと悔しい。よくわかんないけど、絶対寝てるタイミングであろう時間帯に送って即レスが返ってくると悔しいのだ。
しかも窘められた。それがもう、本当に頬が膨らむくらいに悔しいのである!
どうしてそんなに返信が早いのって送れば、また即レス。そりゃあ、好きな奴からのメッセには例え寝ててもすぐ返事すると、臆面も無く、読んでるボクの顔から火が出そうなほどに恥ずかしい返事がさらっと返ってきた。
「ずるい……」
緩んだ頬からぽつりと漏れる。ずるいなあって。
ボクが元々は男だって知ってるのに。それでも好きって言ってくれたのは嬉しい。だからというわけでもないけれど、そのメッセージ対する返事はちょっと困った。なんて返そう……?
うんうん唸りながら、スマホを目の前に置いているとがちゃりと扉が開く音がした。
そちらを振り返ると、居たのは父さんだった。
「……ああ、燈佳か」
一瞬の間。寝ぼけた様子から思い出したように言ってくれた。
ボクをボクとして認識してくれたことが嬉しくて。
「おはよう、父さん」
少しだけ弾んだような声が出てしまった。
「あ、ああ。おはよう」
「何か飲む?」
「いや、いい。水で大丈夫だ」
父さんはそのまま座らずに、台所に。そして冷蔵庫から水を取り出すと、コップに注ぎテーブルにやってきた。
ボクの対面。いつもの席に座る父さん。
少しだけ緊張で背筋が伸びた。
「……邪魔をしたか?」
ボクのスマホを指しながら、父さんは困ったように言った。
ああ、と。気を使ってくれているんだと。
それにボクは首を振って大丈夫と応える。あんまり付き合わせて、向こうの睡眠時間を奪うのも忍びないし。
手短におやすみとメッセージを送って、サイレントモードに。そして鳴っても気付かないようにスマホは伏せた。
「そうか。狐にでもつままれているのかと思ったが、やはり違うんだな」
「……? あ、ボクか」
「ああ」
「父さんは、元に戻れるなら元に戻った方がいい?」
今のボクの口から、その質問はするりと溢れた。
それに対して父さんは暫く口を閉ざし考え込む。
難しい質問をしたと思う。
「逆に問おう。燈佳は戻りたいと思っているのか?」
考え込んだ末の問い返し。ボクはそれに首を振って応える。
今は戻りたいとは思わない。
「ボク、今好きな人がいるんだ」
「……桜華ちゃんでは、ないんだな」
渋面を作って出てくる断定の言葉に、ボクはこくりと頷く。
瑞貴の事を考えると、やっぱりそれだけで心が弾む。心を閉ざしていた時期に、ハマったゲームでずっと付き合ってくれていたマスター。それが、高校で偶然の再会。そしてリアルでも何かと力になってくれている。
ボクの心は彼のことを友達の枠ではなくて、好きな人、心を曝け出してもいい人、心だけじゃなくて、体すらも求めたいと思った人、今はそうなっている。
「この姿で生活をして、今はもう戻りたいって思わない。男のボクには嫌なことが付きまとうし……」
ここに男の姿で帰ってくれば、否が応でも同級生と顔を合わせる事になるのは分かっていた。
もしも、男の姿で顔を合わせるような事があれば、たぶん、ボクはまた前のようになってしまうだろう。人の目に怯えて、発作を起こし、最悪は倒れてしまうかも知れない。
今のこの姿なら、多分少し身構えるだけで大丈夫だと思う。今のボクは榊燈佳であって榊燈佳ではないのだから。そう言い聞かせれば今のボクは一人でだって外に出ることができる。
「ああ、そうだな。オレは父親として子を守るために、家に居ること許可した。中学を卒業するまで限定と、オレの心の中に定めて、な」
「やっぱり、そうだったんだ」
今でこそわかる。厳しくも優しい親心であると。
家を追い出された事を恨む間もなく、巻き込まれて女の子になったボク。
それは地元の人と顔を合わせないという利点に繋がった。
怯えなくていい、のびのびと過ごせる。
いまでこそ、笹川家に行って良かったと、そう思っている。
「話は変わるが、お前は野球は好きか? 昔少しやった程度ではあるが」
習ったのは一週間。小さいボクには何が楽しいのか分からず、上手い反応を返せなくてすぐに次の習い事に移った物だ。
サッカーにバレー、バスケ。バドミントンに卓球、他にも剣道や柔道、空手、少林寺、合気道。更に言うなれば、ピアノに茶道、華道と様々な習い事を体験したことがある。
小さい時のボクは、何が楽しいのか分からなくて、どれも上手な反応ができずに一週間でやめていったものばかりだ。
その中でも、野球のキャッチボールは中学校入るまで父さんとたまにやっていた。それがボクと父さんの家族としての触れ合いだった。
「体を動かすのは好きだよ。でも急にどうしたの?」
「いや、なに。嫌々付き合っていたのかなと思ってな。今の趣味はほら、あれだろう?」
苦笑しながら台所を顎でしゃくって見せる。
ああ、そういうことか。
料理が好きなのは、一番分かりやすかったからだ。自分の作った物に味がついて、それを食べると、とても美味しかった。
幼心の中で、一番興味を惹いたのが、体を動かすことよりも、味わうことだったというだけだ。
違うよと、胸に手を当て笑って応えると、
「ほら、あるだろう。心の性別と体の性別が違うという、あれだ。それなのかと思いはしたが」
「父さん、大丈夫だよ。あんまり言いたくなかったけど、この前、好きな人に自分の事を知って貰う為に男に戻って、その時桜華にお願いされて、桜華を抱いたから」
だから、ボクの心はたぶん男のまま。
もしかしたら違っていて、どっちつかずという可能性もあるけれど。いや多分、ボクの心の性別はきっとどっちでもないんだろうと思う。
だからこそ、男の子も女の子も好きになれたし、どちらも嫌おうと思えば本気で嫌いになれる。
それはとても素晴らしいことだと、思う。
桜華も好きだ。でもそれ以上に瑞貴が好きなんだ。
歳も学校に行ってないことも知っていてなお、それに言及せずにずっと一緒に遊んでいてくれた瑞貴が好き。男の時なら親友になれただろう。
でも、今、瑞貴はボクの事を守ってくれる。ピンチになれば駆けつけてくれる、ボクのヒーローみたいな人。
ボクの桜華を抱いたという言葉に父さんが眉をぴくりとつり上げた。ほうと少しだけいやらしそうな笑みを浮かべて、そうかとぽつりと呟いた。
「一つ気になったのだが、戻ろうと思えば元に戻れるのか」
「あと一回だけ。そこで女として生きていくのか、男に戻るのか決めないといけないみたい。期限は決まってないよ」
「そうか……」
目を細めて、ボクの方を見ていながらもボクを見ていない視線で、父さんは小さくそうかと何度も繰り返していた。
「息子が、娘になるのか……」
「やっぱり、父さんは嫌?」
「そういうわけではない。どのように生きるかはお前次第だ。それに口を挟む権利は例え親であろうとない。オレにとって、今のお前の姿は昔の無邪気な頃の様で好ましいとさえ思っている」
立ち上がって、挟んだテーブル越しから伸ばされる父さんの手がボクの頭に触れて、小さい頃にされたように乱暴に頭を撫でてくる。
「難しい事は考えずに好きに生きろ。難しい事は父さん達がなんとかする。あまり一人で抱えるな」
頭から手が離れて、ボクは顔を上げる。そこには今まで見たことも無いような柔らかな笑みを浮かべた父さんの姿があった。
拒絶されるのを怖がっていたボクの思いを吹き飛ばすような、全力で今のボクを肯定してくれる態度に喉の奥がひくついていく。
泣くつもりはなかった。
でも、目尻からにじみ出した雫が一度頬を伝えば、後はもう止まらなかった。
「い、今まで、黙ってて、ごめん、なさい……」
肩が震え、嗚咽がもれる。取り繕うような言葉は一切出てこず、ただただボクは涙を流しながら謝った。黙っていてごめんと。
それに父さんは、柔らかな声で何度となく、気にするなと。オレもその年頃は隠し事があったと言ってくれた。
暫く、止めどなく溢れる涙を拭い続けて、ようやっと気持ちが収った頃。洟をかんで、深呼吸をして。
「父さん。明日、ボクの恋人を紹介するね」
今日は先生とくるにゃんがくるから。それに瑞貴は今日は無理だって言っていたし。でも、ちゃんとボクの友達を、ボクの事を助けてくれる、そして一緒にいたいと思っている恋人を紹介したかった。
「そうか、では、楽しみにしておこう」
それに父さんは小さく笑って応えてくれた。
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