盗み聞き
タンブラーに入れたお茶を二人で飲みながらリビングの話に聞き耳を立てる。
積もる話は一杯あるのだろう、おじさんは旅先の話を大仰に話していた。
それに父さんが短いながらも突っ込みを入れて、母さんとおばさんが茶々を入れる。昔ながらの友達なんだろうなあというのを伺わせる話し振りだ。
ボク達にとっては退屈な話。親の思い出話とか、そういうのはやっぱり興味が湧かない。
毛布を敷いているとは言え、厳寒時期の夜。お風呂上がりの熱はすぐに飛んで行ってしまう。
有り体に言えば、寒い。桜華とくっついてるとは言え、爪先から徐々に冷えてきている。
「寒いね……」
「そうだね」
声を押し殺して、呟いたボクに桜華が同意してくれる。
先ほどまでの攻勢ぶりはなりを潜めているから少しだけ安心だ。
そんなことを考えていると、リビングの方が静かになった。
「……こうやって酒を酌み交わすのも後何回あるだろうかね」
しみじみとした言い分の父さんの声が聞こえた。
厳格な父としての喋り方ではなくて、柔らかさを含んだ声音だ。今まで、滅多に聞いたことがない喋り方だ。
「どうだかなあ。桜華も、燈佳くんも、高校を出れば家を出て行くだろうし」
「そうだな。しかし……男子三日合わざればとかいうが……」
「ははっ……神の悪戯って奴だなあ」
「笑い事じゃあ、ないぞ」
しみじみとした父さんの物言いが胸に刺さる。
確かに今のボクの状況は笑い事ではない。
だからこそ、ボクたちを庇ってくれた裏で、そんなことを考えていたのかと思うと、酷く傷ついてしまう。
はあ、と扉越しでも聞こえる溜息。
「息子とな……二十歳になったら酒を酌み交わすのが夢だったんだよ……母さん、持ってきてくれるか?」
「はいはい」
ごとりと音を立てる。椅子から母さんが立ち上がったのだろう。
酒を酌み交わす。その意図がよく分からなかった。
「別にな……燈佳が息子だろうが娘だろうが、どっちでもいいんだ。生まれてくるときまで性別は隠してくれと、香織共々頼んだくらいだ」
「それはよくわかる。自分の子が息子だろうが娘だろうがなんて些細な事だな。血を分けた家族だもんな」
「ああ……」
「なら、いいじゃないか。燈佳くんが男だろうが女だろうが。二十歳になったら酒を酌み交わせば」
「そうは言うがな……お前、桜華ちゃんが二十歳になって一緒に酒を飲もうと思うか?」
暫し考えるような間。
ことりと、小さな物音。グラスがテーブルを叩く音だろう。
それからおじさんの大きな溜息が聞こえた。
「……なるほどなあ。難しいなあ」
「成人した息子と、男の苦労を分かち合いたい親心って奴だ」
「うちも息子がいれば、そう言う気になったのかねえ……」
また沈黙。
感慨に耽るような、氷がからりと音を立てているかのようなそんな音と、時折重い物がテーブルの上を叩くような、そんな音が聞こえる。
「はい、これね。燈佳が二十歳になったら空けようと思って買った燈佳の誕生日に醸造されたやつなのよ」
また一際大きな音が響いたかと思うと、母さんがそんなことを言った。
台所に隠していたにしては、ボクが与り知らないのが解せない。
「ほお……ラベルも何もないのか」
「特注で仕上げて貰ったからな」
「ああ、確かにこれは楽しみだ。お前は酒好きだったもんなあ」
「そうだ、だから趣味を共有したいという思いもある、わからないか?」
父さんの問いかけ。ボクもその気持ちは少しだけ分かる気がする。
「分かるわー。あたしだって桜華とは趣味を共有したいもの」
その問いに答えたのはおじさんではなく、おばさんだった。
声が聞こえないから、既に部屋に戻っていたのかと思ったけれど、ずっと話を聞いていたらしい
おばさんの声を聞いて、桜華が身をすくませる。
「でも、あたしは、例え桜華が男になっていようが、付き合いを変えるつもりはないわ、だから冬馬くんも今まで通り接してあげるのがいいんじゃない?」
間を置いて、ぽつりと、
「それでいいのだろうか?」
そう漏れる父さんの声。
「いいも何も、香織を見ならいなさいな」
「そうねえ……。燈佳が燈佳であるなら姿形はどうでもいいような気もするわね」
「ほら見なさい。これくらい楽天的でいいのよ。全く男ってやつはこれだから」
おばさんがぼやく。
いや、それはどうなんだろう。そこまで楽天的でいいのだろうか?
性別が変わったんだよ、もっと大袈裟に騒いでもいいような?
「こんな大事な事を両親にひた隠しにするなんて、ホントあんた何やったのよ」
「それは……」
父さんが言い淀んでいる。
別に大したことではないだろうと思う。
ボクが引き籠もってることに業を煮やして、心を鬼にして強制的に追い出しただけだろうし。
それを止めなかった母さんにも恨みはあるけれど、父さんの手前強くでれない部分があったのだろう。
「まあ、深くは詮索しないけど、ちゃんと話をしなよ」
「そう、だな」
「あれだよね、ここまで隠し通した桜華と燈佳くんが凄いのかな」
からからと笑って机を叩いている。何がそんなに面白いのだろうか、それともただの酔っ払いなのだろうか。
呂律の回って無さから考えても明らかに後者か。
動きも分からなければ本当の表情も分からない。
ボク達はただ盗み聞きをしているだけなのだ。
これ以上は聞いてはいけなさそうな気がする。
「桜華、戻ろう」
「そうだね」
酔っぱらい達がいつトイレに立つとも分からない。余り長居するのはよろしくなさそうだ。
でも、父さんが話をすることに納得していた。
母さんにもちゃんと話をしないといけないし、父さんにも話をしないといけない。
ボクがこれからどうやって生きていきたいのか。
ちゃんと、話をしたいと思う。
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