過去のじぶんにダブる
逃げる。
走りにくい中、ボクは逃げる。人目につかないように。
だって、これ、明らかにファーストコンタクトが不味かった結果だから。
天乃丘の入学基準を思い出す。
なにがしかの問題があった生徒を受け入れる。まことしやかに囁かれていた噂だ。
つまり渡辺さんも過去に問題を起こしているのだろう。
それは、多分今日みたいな事。
そして、標的はボクだった。ボクがダメになればそれで溜飲が下がったのだろうけれど、ボクは折れなかった。それよりか、前より強固な絆を築いてしまった。
壊そうと思えば思うほど、仲良くなっていくボク達の事を僻んでいたのかも知れない。
警察に連絡することも考えた。けれど、穏便に済ませたい。渡辺さんを犯罪者に仕立て上げるのは流石にボクの良心が咎めた。
この際もう、恥は捨てる。下着とかは見られても仕方ないと諦めて、浴衣の裾とその下のスリップを捲り上げて、足の可動域を広げて走りやすく。
「はっ……やっと、つな、がった!!」
合わせて、瑞貴に連絡を取る。何度となくかけたけど、混雑してるのかぶつぶつと切れていたのだ。
逃げ続けて、人目の付かないところを選んで走って、すっかり息が上がっている。
「榊さん余裕だねえ!」
余裕じゃないよ、必死だよ。狂った人の相手なんてしたことないし。
自分が狂ったことならあるけれども!!
『燈佳、どうしたんだ? はぐれた場所に来たけどいないんだが』
呑気そうな瑞貴の声にまた少し、心に余裕が戻る。
少しだけ悪態を吐きたい思いをぐっと堪えて、
「そこから真っ直ぐ来て。人目の付かない路地の方にずっと逃げ続けてるから、できれば助けに来て欲しい。ボクだけでも何とかなると思うけど、抑えてくれる人が必要」
息を切らせて、一気にまくし立てる。
渡辺さんはボクを追いかけるのが今は楽しいのか、壊れた笑い声を上げて一定の速度でボクを追いかけている。
自分の身体能力を分かっていないのかな。彼女はボクより運動ができない。
冷静でいる限り、ボクは多分負けない。
ただ、狂っている限り、限界を超える事はあるだろう。
中二のあの日の事を思い出す。
荒れたクラス。割れた窓ガラス、引きちぎられたカーテン。砕けた黒板、ひしゃげた机や椅子。
泡を吹いて倒れている生徒。さめざめと泣く生徒。恐怖に怯える生徒。
ボクはその中心で楽しく笑っていたらしい。
多分渡辺さんの今の笑みはその狂気の類い。
心の底から壊そうと思うことが楽しいのだろう。
『何があった?』
一段と下がったトーン。やっと事の重大さに気付いてくれた。
こっちもほっとしたら、足に痛みが走った。
下駄の鼻緒が擦れてしまっているんだろう……。裸足で走るのも考えたけれど流石にそっちは小石を踏んだときが危ないから考慮から外していたんだった。
「渡辺さんに、追いかけられてる、刃物持ってるから……」
『わかったすぐ追いかける。場所は?』
「もうぐちゃぐちゃに走り回ったから分かんない……。現在地付きで逐一空メッセージ送るから、どうにかして……」
『ああ、分かった』
それきりで切れた。そろそろ走るのも限界だ。息も上がってるし、何より足の痛みが酷い。普通の女子より体力はあるけれど、やっぱり男のときと比べたら全然少ない。
前ならもっと走れたはずなのに、多分。
「はっ……はっ……」
止めどなく溢れる汗を、沙雪さんには申し訳ないけど、浴衣で拭ってボクは渡辺さんが来るのを待った。
ここまで来れば大丈夫。人の気配も感じられないし、騒がしさからも大分離れた。路面は多分大丈夫と思うから、下駄も脱ぐ。鼻緒の擦れた場所が真っ赤になってて痛々しく見える。というか実際とっても痛い。
空の位置情報付きメッセージを瑞貴に送って、とりあえずの場所は知らせた。
まさか、もうないと思ってたのに、この姿になって喧嘩の真似事をする羽目になるなんて。
小さい頃に色々やった中に、格闘技も含まれている。どれも性に遭わなかったから全部一週間程度でやめて基礎くらいしか学んでいないけれど……。
空手、柔道、剣道、合気道、少林寺、レスリング、相撲、スポーツチャンバラ、薙刀、それに護身術。
人を殴ったり蹴ったりがダメだったけど、昔は筋がいいって褒められたっけ……。
「あれー? もう逃げるのはお終い?」
にたにたと笑う渡辺さんに、ボクは過去暴れたときにはあんな笑顔を浮かべていたのかなと、自己嫌悪で一杯になる。
できれば会って謝りたいけれど……今はもうそれは叶わないかな……。
「うん。もうお終い」
ボクは向き直る。凶行を止める手立てはあるし、ちゃんと体が動けば被害も出ない。
だけど、この浴衣が少しだけ汚れてしまうのだけは覚悟しないと。
気に入っていただけに残念だけど……この状況を予想出来ていなかったボクが全面的に悪い。
あれだけ偏執的に嫌がらせをやってきたんだから、少しだけ考えを巡らせれば良かっただけなのに。
プールで瑞貴と触れ合って浮かれてしまっていたんだろうなあ……。
「大丈夫、安心して。その歪んだ思い、ボクはちゃんと受け止めるから」
ボクのこの一言は渡辺さんを狂わせることができたようだ。
「なによ……なによなによ!!」
思いの丈をぶちまけて貰うのが一番だ。
だから、まずは凶刃を振われる前に無力化をする。
「自分ばっかり不幸だって顔をして、それが気に入らないのよ。少し可愛いからってみんなから注目されて!!」
ああ……。そうか、確かに入学したてボクは世界の不幸を全て背負ったかのような顔をしていたかも知れない。だけど、それを取り払ってくれたのが桜華や瑞貴だ。彼女らが居てくれたお陰でボクはたかだか三ヶ月四ヶ月の間に真っ当になれた。
「私だって、瀬野くんと話をしてみたかったのに、存在が遠かったし、なのに、貴女はさっとそこに入り込んで、あまつさえ元々の知り合いだったとか。ずるい、ずるいずるい、ずるい!!」
近しくなりたいなら、露骨でも良いから話しかけるべきだったと思う。
瑞貴は言ってた。何も知らずに告白されるより、話をしたいって、そんな感じのことを。
入学式の日も、ボク達が教室に来るまでに瑞貴はいろんな人と話をしたんだと思う。それが彼なりのやり方だと思うし。出来る事なら軋轢を産まないようにしたいと思っていたはずだもん。
「傍から見てて、色恋と無関係そうだった子が、恋に落ちていく様を見せられる苦痛が分かる!?」
「それは、分からないかな……。だって、ボク自身がよく分かってないし」
血走った目がどんどん近づいてくる。
でも、正直、桜華にもその気持ちを抱かせてたのかなって言う思いはある。
だけど、好きになったのはしょうがないし……。
「あのね……渡辺さん。ボク、本当は……」
正直に言ってしまおう。
この姿で、言った所で説得力はないだろうけれど。
「男なんだ。訳あって、女の子の姿してるけど、ボク、本当は男だよ」
「はあ!? 何!? 男だから、恋愛感情はないって言うの!?」
「ううん、男だけど、瑞貴のことが好きになった」
「それが何だって言うの!」
「あのね……、この思いを明かせない辛さ、分かる? 言ったら嫌われると思う気持ちは分かって貰えるかな? でも、それでも、ボクのこの思いはどうしようもなく瑞貴のことが好きだって言ってるんだよ。それもこれも、きみが……渡辺さんが策を弄してボクを貶めようとした結果だよ?」
ボクだって辛さを抱えている。近しいところにいるが故に、より辛い思いをだ。
だから、ただ恋に落ちていく様を見せつけられたからって言って、はいそうですかとごめんなさいと謝るわけにはいかない。
責任の一端は渡辺さんにもあるんだ。
あんなことがなければ、ボク達はただ、仲のいいゲーム友達のままだったかも知れないのに。
「うるさいうるさい、うるさああああああい!!」
考えることを放棄した渡辺さんが、刃物を振りかざして突っ込んでくる。
予期できた自体だったから、躱すことは容易い。
そのまま腕を掴んで極め、握りの緩んだ包丁を奪い取って、遠くへ投げやる。
体を使って暴れるけれども、こういうときにへたに振り回されるから拘束を解かれてしまう。ちゃんと地に足をつけて、ぶれない体幹で持って制御する。
「ねえ、ボクはきみが思っているほど弱い人間じゃないんだ。こうやって自衛できる程度には力がある」
「うるさい……どうして、どうしてあなたなのよ!」
「そんなのボクだって知らないよ。ボクだってまだ選ばれた訳じゃないし」
言いたいことは分かる。だけど、やっぱり話になっていない。
錯乱してるし、心がぐるぐると渦を巻いている。
ああ……、あの時のボクに足らなかった存在は、こうやってその場で止めてくれる人だったのか。
「渡辺さん。ボクは今の立ち位置を譲れないけれど、気にくわないなら、奪いに来なよ。ボクも桜華も、多分、緋翠ちゃんも。面と向かってくるならちゃんと勝負には応じるよ」
力なくへたり込む渡辺さんにボクはそう言った。
狂乱は収まった。被害も特にない。
ちょっと浴衣が汚れた位だけれど、やっぱりそれだけでも結構ショックだ。
でも、まだ、油断できない。瑞貴が来てくれるまではしっかりと気を張っていないと……。
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