お着替えとお化粧と
朝ご飯は適当につくって、いつもの癖であてがわれた自室に自分の分を運び込む。
桜華ちゃんの分はラップを掛けてリビングのテーブルの上に置いておいた。レンジでチンすればすぐに食べられる。
この時間はどうやら桜華ちゃんはまだ眠っているようで、家の中はしんと静まりかえっていた。
『ただいま』
『おかえり、姫さま。アリアは今日は用があるって先に落ちたよ』
『そか。アリアさんがこんな時間に落ちるなんて珍しいね』
『ん、まあ姫さまには言ってもいいかな。今日始業式なんだって。アリアも学生だったみたい』
『へー。なんか意外。達観してる感じがあったからもっと年上だと思った』
『まあ、俺も明日入学式なんだけどな』
『新事実……』
『まあ、隠してて悪かったなー。ほら姫さま進路に悩んでるとかで結構みんなに相談してただろ。特に沙雪さんと相談し始めてからすぐ進路決まったみたいだけど』
『うん、沙雪さんって凄いよね。いつも酔っ払いとか言ってるけど、ちゃんと事情説明して相談したらしっかり相談に乗ってくれたんだよね』
『ま、俺も相談したよ。沙雪さんってなんかおかんみたいだよなあ』
ボクとマスターの共通の知り合い。というよりもギルドに入っている人なんだけど。
いつも仕事忙しい、デザイン決まらないとか嘆いている服飾デザイナーの人でお酒を飲んでる人。
どうやらゴシックラテという女の子向けブランドの専属デザイナーらしいけど、まあ眉唾である。
『ね、マスターってもしかしてボクと歳一緒?』
『まあな。今年高一。大学生だと思って欲しかったが、まあ自分でも思うけど子供っぽいところあるしな』
『そうだね』
短く返事を打つと、部屋の扉がノックされた。
「燈佳くん、起きてる?」
「うん、起きてるけど?」
「朝ご飯ありがとね。早速だけど今日の予定決めよ?」
薄ピンクのパジャマを着た、桜華ちゃんがまだ眠そうにしながら提案して来た。
時間は八時を少し回ったくらい。
外に出るにしては早い時間だ。
「ちょっと待ってね」
桜華ちゃんに断って、ぱぱっと文字を打ち込む。
『ごめん、マスター、同居人が今日の予定決めようって言ってきたから行ってくるね』
『あいよ。それじゃ俺も今日は落ちるかね。少し明日の用意するよ』
『うん。またね』
『ああ、またな』
シェルシェリスを落として、入り口で待っていた桜華ちゃんにお待たせと告げる。
薄手のパジャマは体のラインをくっきりさせる。正直目の毒だ。
下品な程には大きくないが、ほどよく育った桜華ちゃんの胸が自己主張をしていた。
いや、これは胸の下で腕を組んでいるからわざと主張させているのか。なるほど、胸置きの腕……。
いや違う。そうじゃない。それはどうでもいいんだ。
「げーむ?」
「うん。シェルシェリス・オンラインっていうやつ」
「へー、インターネット使わなくてもできるんだ、オンラインなのに」
「ううん、無線で繋いでやってたよ。回線はテザリング。あ、そうだ。この部屋のLANってどこから出てるのかな?」
「ん、それも説明するから一階に来て」
「あ、うん」
一階に向かい、椅子に座る。
桜華ちゃんが飲み物を入れてくれている。どうやら僕の作った朝食は既に食べ終わって皿は洗ったらしい。
「何飲む?」
「甘いのなら何でもいいよー」
「じゃあ、とびきり甘いカフェオレにするね。ちょっと待ってて」
暫くして、二杯のカフェオレが出てきた。
一つは桜華ちゃんの席に、もう一つはボクの席に。
お互いまだ、パジャマのままだ。
「えっと、今日は、天乃丘の制服をまず買いに行って、寸法から何から合わせてもらってから買い出しに行くけど、時間って大丈夫? 結構早くから起きてたけど眠くない?」
「制服……、そっか。今の制服じゃダメなんだ……」
言われてはたと思い至る。
ボクの天乃丘の制服は男子生徒用のブレザーにスラックスだ。当然女子用の制服は持ってない。
もしかしたら、一度も袖を通すことが無いまま、あの制服はお役御免になってしまうのかな。
こんな所で女の子になってしまった弊害が出てくるなんて。
ボクの決死の思いが詰まった天乃丘の男子制服を着ることがないかもしれないなんて、ちょっと悲しい。
「うん。時間が無いから、朝行って夕方引き取る形だけど、大丈夫かな?」
「大丈夫だよ」
「他の用事とかは特にない? あるならそっちを優先してもいいけど。ただ、ブラとショーツは買わないといけないから、ランジェリーショップには絶対行くけど」
「あ、うん……」
ダメだ、やっぱりボク、自分が女の子になっているという自覚が薄いみたい。
必要な物がなんなのか何も分かっていない。
最悪私服は桜華ちゃんの物を暫く借りると言うことでも大丈夫だろう。
でも下着はそうは行かない。
身につける物だし、股にぴったりと密着するものだ。何かの弾みで汚してしまうこともある。桜華ちゃんも自分のパンツをボクに穿かれるのは嫌だとおもうし。
だから、昨日新品のパンツをわざわざ買ってきてくれたんだろう。
やっぱり女の子歴一日も経っていないボクには荷が重いなあ。
でも制服とか下着とか、急を要するものばかりだし、ずっと家に引き籠もっているわけにはいかないもんね。
高校では変わるって決めたんだから。
「時間は大丈夫だよ。どうせ家にいても本読むかシェルシェリスやるかだし。身近な人とはアドレスも交換してるから連絡はそっちで事足りるしね」
「そう、それなら今日一日付き合ってね? もし疲れたら言ってね。休憩するか帰るかするから」
「うん、わかったよ」
とんとん拍子で予定が組まれていく。
今のギルドはマスターの方針で基本的にリアルの事優先だ。
だから、別に一日空けても問題無い。そもそもボクは読みたい本があれば平気でログインしない人だし。
たまにマスターから連絡が入って来るときもあるけど、大体本読んでるからで一蹴してる。
「それじゃあ、着替えて行こう? 天乃丘の制服は近くの服屋さんで仕立ててくれるから」
「うん、あ、でもボク、服」
「私の部屋に用意しておいたから、それ着ていいよ」
「あ、ありがとう」
しょうがないとはいえ、やっぱり女物の服を着るのには覚悟がいる。
それに桜華ちゃんの部屋に入るのもやっぱり緊張する。
女の子の部屋なんてもう何年も入ったことが無いし。
でも、結局勇気をださないといけないんだから、腹をくくろう。
連れられて足を踏み入れた桜華ちゃんの部屋は、家具や小物のさりげない配置が女の子らしさを醸し出している。
それに棚に飾ってあるぬいぐるみのいくつかは、昔ボクが桜華ちゃんにあげた物もある。
小さい頃、桜華ちゃんがボクのお気に入りのぬいぐるみを気に入ってしまって、ボクも泣く泣く手放してしまった物だ。
こんなに大事にして貰えるのはやっぱり嬉しい。
「ボクがあげたぬいぐるみ、大事にしてくれてるんだ」
「うん。ぼろぼろになったりしたから、補修は何度かしてるけど。捨てられないよ」
「そっか。懐かしいなあ。あ、そうだ着替えだったね」
感慨に耽るのは帰ってきてからでもいい。
今は予定を早くこなしてしまおう。
「これ、たぶん入ると思うけど……」
ハンガーに掛けられている小さなクリーム色のノースリーブワンピース。ジャンパースカートみたいな感じになっていて胸元が大きく広がっている。重ね着を前提とした服なのだろう。それに袖がフリル状に広がっている桜色のブラウスと、濃い灰色のニットのケープ。
いきなり女の子らしさ全開でたじろぐ。これは敷居がちょっと高くないですか。
昨日のロリータファッションっぽいのだって、抵抗あったのに。階段を五段くらいすっ飛ばしている気がするよ。
「ね、もっと地味なのないの……?」
「いや?」
「ボクには敷居が高いかなって」
「似合うと思う」
「えっと……」
「折角だから、可愛い格好しよ?」
「はい……」
無表情の圧力に負けた。
絶対着せたい鉄の意志を感じてしまった時点でボクの負けだ。
「着替えてくるね」
「ここで着替えてもいいよ?」
「流石に恥ずかしいかな……」
「分かった。私も準備するから、着替えたら声かけてね」
「うん。って、わああああ!!」
返事する前に桜華ちゃんがパジャマを脱ぎだした。
空色のブラジャーに包まれたおっぱいが惜しげも無く晒される。
急な事に動揺して、みっともない叫び声を上げて、ボクは顔を覆った。
朝から酷い。桜華ちゃん、もう少し羞恥心を持って欲しい。
「ぼ、ボク部屋戻るね!!」
「うん。でも、燈佳くんなら別に見られてもいいのになあ?」
背中に聞こえた声に恐怖を感じた。
このままじゃあ、きっと絶対お風呂にまで突入されてしまう……!
慌てて自室に戻って、パジャマを脱ぐ。
キャミソールにパンツ姿。桜華ちゃんと比べたら凹凸はないに等しい。
けど、腰のくびれや、お尻の丸みはしっかりとあって、自分が女の子なんだと再認識してしまう。
ぴったりと張り付いたパンツの前面に、今まで付き合ってきた所謂息子の存在が無い違和感は半端ない。
昨日はそれどころじゃ無くて、感慨に耽る暇も無かったのだ。
一晩明けて、やっと実感が沸いたというかなんというか。
「何なんだろうね……」
ボク自身よく分かっていない独り言が出た。
諦めて、服を着よう。
ボタンに四苦八苦しながら、ブラウスを着る。どうして男女のシャツのボタンはあわせが違うんだったっけと雑学を思い出そうとして諦めた。
ブラウスは昨日の物よりも全然大人しい造りだ。袖がふわりと広がってるのは、見てる分にはいいけれど、やっぱり自分が着る物じゃないなあと思う。
ワンピースは背中に当たる部分がチャックになっていて、足を通せばすぐに着ることが出来た。
あ、でも手が届かないからチャックをあげられない。後で桜華ちゃんに手伝ってもらおう。
最後のケープ。肩にかけるだけの構造でなんとも心許ない。どっちかというとストールなのかもしれない。でも、胸元で結わえるリボンの赤が鮮烈な印象を残している。これも結び方がよく分からないから後で桜華ちゃんにやってもらおう。
結局本当に着ただけで、着こなしまでは無理だった。
これなら桜華ちゃんに手伝ってもらった方がどれだけ良かったことやら。
そして、スカートはとても冷える。
暖房が効いているというのに、素足でフローリングに立つと冷えて冷えて仕方が無い。
ズボンが恋しい……。恥は忍ぶから、せめて足下全体を覆える靴下が欲しいです。
少し震えながら、桜華ちゃんの部屋の扉をノックする。
「桜華ちゃん、ごめん。着替え難しかった……」
「あ、うん大丈夫。分かってるから。後これ忘れてた」
新品のパッケージに入ったストッキングみたいな物。
80デニールとかいう文字が見える。
確かデニールって厚さだったっけ? ということは、これはまさか。
「タイツ穿かないと、まだ寒いよね。後、最後の調整するから、任せてね」
桜華ちゃんがてきぱきとワンピースのチャックを引き上げて、ケープのリボンを結わえる。
そして、いつの間にかボクは鏡台の前に座らされていて、髪には櫛を通されている。
ケープの上にさらに床屋さんで髪を切るときに着せられるような合羽みたいなのを着せられて、
「ええと、桜華ちゃん、なにするの?」
「うん、少しお化粧しよう。本格的なのじゃ無くてちょっとしたのだから。私のはたぶん色が合わないから、チークとグロスだけね」
ごめんなさい、一体何を言っているのかさっぱり分かりません。
チーク? グロス? 一体なんですか、それは。
ボクが困惑しているのをお構いなし、刷毛にピンクの粉みたいなのを取って、ボクの頬にうっすらと撫でつける。そして唇にジェルみたいな何かを塗り込まれて。
あ、チークが頬紅で、グロスは口紅か。
「みて、可愛くなったよ」
「えっと……」
鏡はまだ怖い、けれど恐る恐るのぞき込むと、そこには血色のいい顔立ちの女の子が困った顔を浮かべていた。
昨日洗面台で見た自分とは少し違う印象だ。
ほんの少し化粧するだけでもこんなに印象が変わるなんて。凄いなあ……。
「それじゃあ、出かけようっか」
「あ、うん」
玄関の前。
最後に小さなポーチを桜華ちゃんから借りて、準備万端。ポーチの中にはお財布とスマホ、それにハンカチとティッシュくらいしか入っていない。残念なことに桜華ちゃんから借りた洋服にはポケットらしき物は一切ついていないのだ……。
主な荷物は桜華ちゃんが持っている。
ここは男のボクが持つべきだと主張したけど、却下された。
気がつけばもう十時を回っていて、女の子の準備には時間が掛かると身をもって体験させられてしまった。
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