困ったこといっぱい

 とりあえず、一度自分の姿を見ようと、洗面所に向かってみた。

 目線の高さからおおよそ自分の身長は理解していたけど、たぶん今は140センチとちょっとくらいしか無いみたいだ。

 前から比べて20センチ近くも身長が縮んでいる。

 そして、桜華ちゃんが言っていた可愛いの意味も漸く理解した。

 小さいから可愛いんじゃなくて、だれがどうみても可愛いと言う容姿になっている。


「えっと、これがボク?」


 腰まで伸びた淡いミルクティーブラウンの髪はゆるく波打ち、元着ていた服はだぼっとずり落ちていて、健康的な肩や鎖骨がちらりと見えている。

 目は髪よりも少し濃い色のハシバミ色でくりっとした可愛らしい感じだ。若干ぼんやりしている感じがボクらしいと言えばらしい。

 朱が差した頬や、小さな鼻、それに桜色の唇。それに色白くはあるけれども健康的な肌。バランスが取れていて、いっそ一つの小さな芸術のように感じる。

 体の方は胸が細やかながらに主張してくれているけれど、詳しいことはまだ分からない。だけど、うん、これは客観的に見たらとても可愛いと思う。


 鏡に映る女の子の姿に恐怖を覚えてしまう……まるで自分じゃあ無いみたいだ。

 それが自分だと認識したいが為にボクは鏡に手つく。そうすると鏡に映る子もボクの手にくっつけてくるし、驚いた顔をすれば、向こうさんも驚いてくれる。

 でもやっぱり、どこか他人な気がする。

 だって、鏡の中のボクがボクを見つめているだけで、ボクはどんどん泣きそうになってしまうから。

 自分で自分を見ているだけなのに、その視線が怖くて怖くて仕方が無かった。

 まるで、別の人がじっとボクの事を見ているような気がして。


「っ! は、はぁ……はぁ……」

「だ、大丈夫?」


 気がつけば、桜華ちゃんに後ろから抱きしめられていた。

 柔らかく、それでいて力強く抱きしめられていると、不思議と落ち着いてきた。

 荒れた呼吸が何とか収まって、ずるずるとその場に座り込む。

 やっぱり、ダメみたいだ。

 人の視線に晒される、目と目を合わせる行為、すぐ近くに人が居るということ。

 それがあろう事か、姿が変わってしまったボク本人の鏡映しさえ駄目だなんて。

 脳はどうしても、昔のボクを認識していて、変わったボクを他人だと思っている。

 怖い。たまらなく怖い。


「落ち着いて、ゆっくり深呼吸して」


 無我夢中で耳から入ってくる言葉を実践した。

 深呼吸して、目を瞑って、また深呼吸して。

 暖かく、柔らかな感触が背中にあたっていることに気がついて、顔が赤くなる。


「お、桜華ちゃん、もう大丈夫だから」

「そんな、泣きそうな声で言われても…」

「だ、大丈夫だから、離して。あの、その、胸当たってるから……」

「燈佳くんなら埋めてもいいよ?」

「冗談はそれくらいにして欲しいな……」


 流石に男のボクがそんな事をしていいわけがない。

 そりゃちょっといいかなとか思ったりもするけれど、やっぱり良心が痛んでしまう。


 でも、なんとか落ち着けた。

 まだ、鏡をまじまじと見るのだけはやめておこう。

 この姿のボクをボクと認識できるまでは、今みたいに発作が起こってしまうだろうし。


「桜華ちゃん、ありがとね」

「ん、気にしないで。おじさんとおばさんにはよろしくってお願いされてるから。私が守ってあげるから」

「それって、どっちかというとボクの台詞……」

「その姿で言うこと?」

「あっ……」


 現実は受け入れたけど、まあ頭の中で処理し切れていないようだ。

 でも、それがおかしくて、ボクはくすくすと笑ってしまった。


「うん、やっぱり笑ってるのが一番可愛い。前からずっとあなたは笑ってる所が可愛かった」

「やめてよ。男に可愛いなんて」

「でも、だって、ホントだもん。うん、落ち着いたみたいだね」

「うん、ありがとね」

「気にしないで」

「これから一杯迷惑かけちゃうけど、許してね」

「うん、分かってる。ね、そろそろ夕御飯にしよう?」

「もう、そんな時間なの?」


 言われて、風呂場の窓ガラスから差し込む光に陰りがあることに気付いた。

 いつのまにか、とっぷりと日が暮れていてびっくりした。


 ボクがこの家に着いたのが、お昼をちょっと回ったくらいで、それから三十分から一時間くらい? 荷解きをしてて……。

 目が覚めてからそんなに時間は経っていないはずだから……。


「ボクってどれくらい気絶してたの?」

「三時間くらいかな」

「うわあ……」


 それをきいてげんなりする。やらないといけないことを完全に忘れていた。

 多分、ボクのスマホ、今凄い事になってるんじゃないかな……。

 実家を追い出された事までは伝えたけど、ネット環境があるかどうかとか、そういうの調べてマスターに連絡する手はずになっていたのをブッチしちゃったし。

 スマホ、見たくないなあ。


「何か困ったことでもあるの?」

「えっと、うん。ボク、オンラインゲームやってて、そこの集団のリーダーさんに、ネット環境があるかどうか確認取れ次第連絡する事になってたんだけど……」

「もしかして、それを聞くために一階に降りてきたところで、巻き込まれた感じ?」

「そう。時間が結構経ってるからスマホ見るのが怖い」

「トラブルに合って連絡が取れなかったって言えばいいと思う」

「そうなんだけどね」


 でも、今日って確か、サーバー対抗のイベントがあったはずだし、今からご飯とかつくって食べたとしても、間に合うか怪しい。

 土壇場で欠席の連絡だけでもしないと。

 でも嫌だなあ……。

 もう同居人にご飯作ってたら見るの忘れてたとか、すっとぼけちゃおうかなあ。

 基本うちのギルドはリアル優先って事になってるし。


「うん、とりあえず。ご飯でも作りながらどうするか考えるよ」

「え……? 料理するの?」

「するけど。食材ってある?」

「なにもない。私料理できないから、店屋物かコンビニで済まそうと思ってた」


 女の子がそんな食生活をしたらダメだと思う。

 出来るならちゃんとした食生活は大事だと思う。まだ高校生なんだから特に。

 そんなことを母さんに言われたことあるし、ボクもそう思う。


「栄養偏っちゃうよ。近くのスーパーってどれくらいだっけ」

「自転車で10分くらい」

「お金持ってる?」

「うん。今日は奮発しようと思って一万円ある」

「じゃあ、それで食材何か買ってきて。食べたい生の食材買ってきてくれたらボクが食べれるように料理するよ」

「出来るの?」

「ボクが実家で引き籠もりやってたとき、桜華ちゃんたまに来てたでしょ。その時に食べたおやつとかボクの手作り。母さんボクの作ったの誰かにお勧めするの好きだから」

「わかった。美味しいご飯期待するね?」

「任せて。後そろそろ解放して欲しいかな?」


 洗面所に座り込んだまま、抱きしめられて、そのままずるずると切羽詰まった不安なことと、今日の夕飯のことを喋ってたボク達。桜華ちゃんの髪から甘い香りがして、正直とてもドキドキする。

 暖かくて落ち着くんだけど、やっぱりそろそろ気恥ずかしさが先立ってきた。

 もう、自分でも分かるくらい顔が真っ赤になっている。


「ん、もうちょっと。小学校卒業してから、こういうことやらなくなったから」

「だって、ボクだって男だよ。流石に恥ずかしいって」

「一年半前に顔も見れなくなったもん」

「それは、ごめん」


 素直に謝る。中学校の最初の頃は日帰りでたまに遊びに来てて、ちらりと顔を見ることはあった。

 だけど、ボクもまだ学校が楽しかった時期だから、休みの日なんかは遊び回っていたから喋ることは殆ど無くなっていた。


「でも、無理言って、この家に残って良かった。燈佳くん、これからよろしくね」

「うん、ボクもよろしく。女の子初心者だから色々教えてね」

「任せて。じゃあ、ちょっと行ってくる」

「うん。その間にこの体にちょっとでも慣れておくよ」


 気持ちだけは前向きに。

 起こってしまったことは仕方の無いことだから。

 その結果で人様に迷惑を掛ける事はしないようにしないと。

 この小学生に間違われても仕方が無い低身長とこれから暫く付き合って行かないといけないんだ。


「えっと、その前に、服用意しておくね? 流石にそれじゃ動きづらいと思うし」


 確かに、だぼだぼした服は動きづらい。

 実際問題洗面所に来るまで何度もズボンの裾を踏みつけて転びそうになったし。

 ただ、ズボン自体はお尻に引っかかってくれてるからずり落ちないで済んでいる。お尻ちょっと大きいのかな……?


「少し防虫剤の匂いとかキツイかも知れないけど、私のお古あるから。下着も……我慢できる?」

「あっ……パンツも絶対それじゃないとダメ?」

「恥ずかしいなら、男物でもいいけど……。でも料理するのにそのぶかぶかなのは止めた方がいいと思う」


 パンツも実は大丈夫だったりする。お尻に引っかかってるんだ……。だから、まだその一線は越えたくないかも……。


「そうだね。じゃあ、とりあえず服、お願いします」


 決して下着まではお願いしない。

 そもそも、桜華ちゃんだってボクに穿かれるのは嫌だろうし。

 ボクも自分の下着は出来れば穿かれたくない、かな。


「じゃあ、用意してくる」


 洗面所から出て行こうとしていた桜華ちゃんに軽く頭を下げた。


 まあ、昔の桜華ちゃんの服装って、たしかとってもふりふりな女の子女の子した物ばっかりだった気がするけど。

 最悪上だけで、下のジーンズは幾重にも折ってベルトを極限まで絞れば大丈夫じゃないかな。

 ズボンを穿かないという手もあるけど……。流石にそれは一人じゃないんだからやっちゃいけないことだろうし。


 桜華ちゃんに用意してもらった服は、残念なことに、今のボクにとっても似合っていたらしい。

 桜華ちゃんの無愛想ながらも些細な表情の変化で、気持ちが分かる程度には付き合いの長いボクにはとても喜んでくれているのが分かる。

 所々シミが出来てるけど、白いふりふりのブラウスに、フリルとレースをいっぱい使ってあるティアードスカート。


 ゲーム内で見た事あるようなアバターアイテムがリアルに出てきてたじろいだ。

 第一声がこういうのリアルに存在していたのか、ということで色々察して欲しい。

 それと同時に、桜華ちゃんと一緒に遊んだ記憶も思い起こされて、なんか少し嬉しかった。


 それから一番怖かった、スマホの件は杞憂だった。

 14時頃まではいっぱい通知が入っていたみたいだけど、最後に


『なんか立て込んでそうだから、今日のサーバー対抗のイベント、姫さまは欠席でみんなに伝えておくなー』


 と、優しいメッセージが残っていた。

 それにボクもほっと胸をなで下ろして、


『ごめん、今見た。ちょっと今日は無理そう。出来れば深夜に入りたいけど』


 そう返事を返しておいた。

 一つずつ不安の種は取り除くことが出来て、やっと安心したところで、桜華ちゃんが帰ってきた。

 買い物袋にいっぱい食材を買い込んで……。


「ねえ、桜華ちゃん」

「何?」

「食材、どれだけダメにするつもり?」

「ダメだった?」

「多すぎるよ。ボクと桜華ちゃんの二人なら一週間十分持つよ。でも殆どが生鮮食品だし。傷んじゃうよ」

「れ、冷凍庫に入れれば……」

「あんまりよろしくは無いけど……そうするしかないかなあ。あ、でも半分はお菓子……。桜華ちゃん太りたいの?」

「大丈夫、お菓子は別腹だから」


 ちょっとあまりにも、あれなので、ボクも沸々と怒りが沸いてこないことも無い。いや正直に言おう、少し怒ってる。

 これは食材に対する冒涜だ。

 それに、お菓子だって、材料を買えば安くつくってあげられるのに。

 ダメだ、この子に買い出しは任せられない。

 ボクがしっかりしないと。


「燈佳くんが凄い決心した顔をしてる、可愛い」

「うん。これから買い出しに行くときはボクもついていくって決めた」

「一緒にお買い物……! アイス半分ことか、クレープ食べ比べとかしたい」

「そんな期待に充ち満ちた顔されても、やらないよ? 作った方が安上がりだし」

「つく、る? すごい。燈佳くん、お嫁さんに来て。私一所懸命働いてお金稼ぐから。無理だったら風俗も辞さない」

「えっちなお仕事は断じて許しません。はあ……うん、夕飯作るから黒猫さんと遊んで待ってて」

「分かった。クソ猫虐めて待ってるね」


 ちょっとトゲのある一言。

 どうやら桜華ちゃんは黒猫さんに殺意を抱いているらしい。

 さて、とりあえず、桜華ちゃんが買い出ししてきた食材から適当に作る物を決めるとしようかな。

 食材を見て、献立を決めるのはやっぱり楽しいなあ。

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