女の子になっちゃった

 頭が痛い……。

 えっと、何があったんだっけ?


 そう、確か、ボク榊 燈佳は高校の入学式を前に下宿先へとやってきた。

 それから、無理矢理運び出された荷物を解いて、同居人で同じ学校の同級生になる桜華ちゃんにパソコン設置とか、配線関係とか、色々聞こうとして、リビングへ降りてきて……。


 そこから先が曖昧だ。

 何があったんだっけ。覚えているのは光に包まれた事だけ。

 頭を振って、何があったのか思い出そうとする。こめかみに後頭部に鈍い痛みが走る、がそれでも少しずつだけど思い出してきた。


        ・


 部屋の片付けをある程度済ませて、後は最後のPCの設置しようとしていた。

 PCは今のボクがボクらしくあるために必要な物。例え誰かに挨拶も程ほどにそれっておかしいんじゃないかと言われても、ここを譲ることはできない。

 ボクが、夜半に限るけれどやっと外に出ることができるようになったきっかけだから。

 とても大事な、ボクの繋がり。


 小一時間ほど掛けてPCを配置して、はたと。


「LANってどこにあるんだろう……」


 部屋にそれらしき物は見当たらなかった。桜華ちゃんなら何か知ってるかな?

 下に居るって言っていたから、行ってみよう。

 一階に降りて、一番大きな部屋、多分そこがリビングだと思う。


 ドアを開けると、不思議な光景が広がっていた。


「変えて……。私が燈佳くんを護れるような存在に変えて!」


 室内が淡く明滅し、方眼紙のような大きな紙に書かれた円形の所謂魔法陣みたいなものが床に広げられている。

 スマホを手に持つ桜華ちゃんは必死に祈っているようにも見える。

 そして、音に気付いた桜華ちゃんがボクを振り返る。


「……っ! なんで、燈佳くんがっ……!」


 そして、何より奇妙な光景は、魔法陣の中央で宙に浮くように居る、黒猫だ。

 物理法則とかそういうのの一切を無視した存在。

 そのいっそ清々しいまでの異様な光景に、ボクは立ち尽くしてしまった。


「その願い、聞き届けたー!」


 黒猫の気の抜けた声と共に、光が弾けてボクに襲いかかってくる。

 そうして、ボクは意識を失った。

 意識を失う直前に見たのは、悲壮的な顔の桜華ちゃんと、ドヤ顔の黒猫さん。


        ・


 思い、出した。

 慌てて体を起こすと、そこはリビングで、ボクはソファーに寝かされていたみたいだ。

 そして、はらりと、長い髪が、亜麻色のとても長い髪が垂れた。


「何……、これ?」


 小さな手が、亜麻色の緩くウェーブの掛かったロングヘアーをおっかなびっくりと持ち上げる。

 病的な色白さとはかけ離れた、健康的な白い素肌に見える細い指先。ひっくり返せば、細長く綺麗な爪が見える。

 自分の意思を反映して動く腕に恐怖を覚える。見たことの無い腕なのに、なぜ意のままに操れている……?

 そして、着ていた服のサイズが合っていなくて指先しか見えていない……。

 おかしい、この服はサイズが少し小さいくらいだったはずなのに? なぜ、こんなにも着られているのだろう?


「え……? えっ……?」


 状況が飲み込めず言葉が曖昧にしか出てこない。

 周囲を確認しようとして、目の前には桜華ちゃんがいることにやっと気付いた。

 眉間にしわを寄せて、無愛想なのにさらに愛想が悪くなった表情で、ボクをじっと見ていた。正直に言って凄く怖い。

 その視線に射竦められるだけで、恐怖に体が固まってしまった。


「燈佳くん……気分は、どう?」


 どう、と聞かれても、答えは決まっている。


「最悪……一体……何が起こったの……?」


 言葉を発して、その声の調子がいつもと違う事に気付いた。喉を揺らすような感覚が一切ない……。


「燈佳くん、驚かないでね」

「な、なに?」

「燈佳くんは、私の代わりに巻き込まれて、女の子に……」


 女の子……一体どういうこと?

 ボクは榊燈佳。十五歳。男。二日後に難関私立の天乃丘高校に入学予定。

 難関私立というのは眉唾だけれど。入試の問題、勉強していた範囲より先の問題が出て、三割くらいは分からなかったし。

 一説に寄ると、問題を起こした生徒、不登校だった生徒、そう言った人達の受け皿になっているとか何とか。詳しいことはよく分からない。

 よし、大丈夫だ、別の誰かになったわけでも、記憶を書き換えられたわけでもない。

 違うとしたら、体だ。

 今目の前に居る桜華ちゃんはこんなにも大きかっただろうか? 精々ボクと変わらない程度の身長だったはずなのに。

 それにこの頬を撫でる長い髪は? 喉を揺らす不快な声変わりして低くなった声はどこに?

 顔や体をぺたぺたと触ってみるが、どこもかしこも、帰ってくるのは柔らかな感触ばっかり。

 そんな手触りに少し胸がどきどきした。いけないことをしているような、そんな感じだ。


 体が、ボクの物じゃない……。自分の体のことは自分が一番よく知っている。

 だから、これがボクの体じゃ無いって事はボクが一番よくわかる。

 なんだこれ!

 そう大声を上げたくなる気持ちをぐっと抑える。恐怖はあるが、余所様の家だ。耐えないと。


「何がどうなって……」


 分からない。分からない事だらけすぎて、自分自身頭の中の整理が追いついていない。

 ただ、今分かっていることは、体が変化している。それだけは事実として受け止めよう。


「ごめんなさい迂闊だった。なんであなたが降りてこないって思い込んで……。そもそも、なんで今日試してみようとおもったんだろう……」


 最後のは独白に近い嘆きの言葉。

 ふと思い立って、ということは往々にしてあり得る。それがたまたま今日の今さっきだったというだけのことだ。それについてはさておいて全然構わない。


「ま、それも運命にゃー」


 いつの間にいたんだろう?

 テーブルの上に緑の瞳の黒猫が一匹居た。

 しかも、今その黒猫が喋ったような……。

 いや……、この黒猫はボクが気を失う前に見た宙に浮いていた猫だ。


「あなたは出てこないでって言ったじゃない」


 桜華ちゃんの怒気を孕んだ冷たい声音にボクは身を竦める。

 怖い。いくら綺麗になったと言っても、今のボクに、強い言葉キツイ。見られるだけではなくて浴びせられる言葉にすら弱くなっている。


「そうかりかりするにゃー。桜華、もう、諦めるにゃー。燈佳も怖がってるしー」

「燈佳くんを引き合いに出せば私が引き下がるとばかり思って……」

「事実そうにゃ。燈佳が気を失ったときに、燈佳、燈佳ってこの世の終わりのような顔をして抱き起こしてたのは誰にゃ?」


 心配してくれるのは嬉しい。


「そ、それは私が巻き込んだから……」

「そうだけど、本当にそれだけかにゃー?」

「煩い……そろそろ本題に入って。どうして燈佳を巻き込んだの」

「しょうがないにゃあ。いいよ。燈佳もよおく聞いてね?」


 にゃーにゃー煩いのはさておいて、目の前に黒猫がボクに色々説明をしてくれるらしい。

 でも、本当に何が何だか分からないし、喋る猫とか、女の子になってしまっているかもとか、目まぐるしく押し寄せてくる情報に驚くとかそう言うことがどこかの次元の彼方に吹き飛んで行ってしまっている。ただ圧倒されて、状況に流されるしかない。


「あ、この喋り方やめていいかにゃー? 疲れるんだよねー?」


 早速キャラ崩壊の憂き目に遭う不思議な黒猫さんです。

 それが少しおかしくて、ボクは苦笑が漏れた。


「うん、楽な喋り方でいいよ?」

「ありがとー、燈佳、好きー」


 にゃーとテーブルの上から降りてきてとことことボクの膝の上に座ってごろにゃんとする黒猫さん。

 かわいい。撫でると毛並みの柔らかさが返ってくる。喋る猫なのに、体温は成猫のそれで、触れているだけじゃあ変な猫とも思えない姿だ。

 もふもふしていると、じとーっとした桜華ちゃんの視線を感じた。出来ればあんまりボクを見ないで欲しい。


「なにこれ、あなた順応力……ん、元々高かったね」

「うん、その場で起こってるんだから、疑っても仕方ないよ。信じられないけどボクは女の子になっちゃった……うーん、まだ全部確認してないから断言できないけど」


 起こってしまったのは仕方が無い。

 そう、ボクは家から追い出された事も起こってしまったことだし、なぜか体が縮んで髪がのとても伸びて、女の子の様な声が出ているのも起こったこと。

 とりあえずはまだ一縷の望みを自分の股間に掛けてるけど、絶望的だろうなあ。

 だって、股間におちんちんの感覚が無いんだもん。妙に股がスッキリしててとても変な感じがする。

 これからどうすればいいんだろう……。ボクどうなるのかな……。

 いくら順応力が高いと言っても、この出来事は俄に信じがたいし、説明が欲しい。


「それじゃあ、説明するよー!」


 ボクの膝の上に居る黒猫さんが脳天気な声をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る