一章:ひとつめの願い
家を追い出された日
日課であるリハビリを終えて、家に帰ってきた。
時間は午前六時前。
まだ起き出していない街中は静かで、それでも人通りを避けて活動しているため、早朝に活動している人達とすれ違うことも無い。
今日は珍しく荷物運搬用のトラックとすれ違った位には、この時間に何かもしくは誰かとすれ違うことは無い。
ボク――榊燈佳――は日中の人の目が多いところで活動することができない、重度の視線恐怖症だ。パーソナルスペースに入り込まれたり、じろじろと不躾な視線を浴びせられるだけで参ってしまうほどの重症だ。
それを克服するため……といっても殆ど荒療治に近いけれど、リハビリと称して、人の往来の少ない時間帯を歩き回っている。
大体は片道一時間先にあるコンビニに運動も兼ねて買い物に行くためなんだけど、ね。
近くにもそれなりにあるけれど、やっぱりあんまり自分を知らない人の所で買い物をしたくなるのが今の心理だ。
六時は丁度両親達が起き出す時間だ。
そこで、ボクは朝食を作って、自室に戻る。
所謂引き籠もりだ。家から出られるようになったのもここ半年の事である。
中学の時に負った心の傷が癒えないうちはということで、両親はボクを自由にさせてくれている。
まともに会話ができるのは両親だけ。それでもボクがやらかした事が大きすぎて、両親……特に母さんは腫れ物を触るような扱いをしている。
だから、一年半の間、甘えさせて貰っていた。
「おはよう、燈佳」
リビングに向かうと、既に両親は起きていてテーブルにはほかほかの朝食が用意されていた。
何かあったのだろうか……。いつもなら、ボクが作って、それを食べてから二人とも仕事に出かけるのに。
「おはよう。朝ご飯、ボクが作ったのに」
「たまにはお母さんに作らせてよ。冷める前に食べちゃいましょ」
母さんがボクに朝食を摂るように促してくる。
何かが変だ。
父さんは特に何も言わずに朝のコーヒーを飲んでいる。
「いただきます」
本当は朝食は自分で作って自室に持って行く。
今日もそのつもりだったんだけど、何かここから動いてはいけなさそうな、そんな空気を感じた。
「そろそろ学校が始まるわね」
「そうだな。燈佳ももう十五だ。一人で生きていくのもいいだろう」
「お父さん!」
「素直に話をしようじゃ無いか」
カタリとカップを置いた父さんが、ボクを見る。
底には憐憫や怒りという物はなく、ただ、自分たちの意思を伝える
何……。今から何が始まるの?
ボクはどうなってしまうの……?
「ど、どうしたの、急に改まって」
努めて平静を装えていたのかは分からない、だけど、その声を絞り出すことができた。
「ああ、燈佳。お前には今日をもってこの家から出て行って貰う」
「えっ――」
「心配するな。高校を卒業するまでの三年間の間だ」
何を言って……。朝すれ違ったトラック。家の近くで珍しいなとは思ったけれど……。まさか……!
朝食もほどほどに、ボクは慌てて二階にある自室へと向かう。
扉を開けて、絶望した。
何も、無かったのだ。
家具は残っている。だが、ボクの部屋にある生活に必要な私物という私物の一切が無くなっている。
「お前が出かけている間に運び出させて貰ったよ。話を聞いてくれるか?」
「父さん……」
「何だ?」
「ボクの事、嫌いになったの……? ボクが落ちこぼれだから……?」
淡々と言う父さんの声に恐怖を覚えた。声が震える。目尻に涙が浮かぶ。
イヤだ。家を追い出すなんて……。
「そうではないが……燈佳のためだ。出て行ってもらう」
威厳に満ちた父さんの声。
いつもは優しくて頼りになる父さんなのに、今日はとても怖かった。
怒っている。きっとそうだ。ボクが明後日には高校の入学式だというのに何も変えられていないから怒っているんだ。そうに違いない。
受験についても母さんが学校に送って行ってくれた上に特別教室で受けさせて貰った。
高校には通うと決めて、学校を提示した時に泣いて喜んでいたのだけは覚えている。だから、嫌われたんだとは思っていなかったのに……。
でもそうじゃなかった。ボクの事を嫌いになって追い出そうとしているんだ。
「お前の住む場所は用意してある。桜華ちゃんは覚えているな」
父さんが何かを言っている。だけど、その意味を理解することができなかった。
そこに住めだとか、女の子との二人暮らしだからくれぐれも間違いが無いようにだとか。意味が分からなかった。
頭の中にはなんで、どうして、という思いだけ。
そして、たった一つ分かることは、ボクが家を追い出された、それだけだ。
味のしない朝食を終え、最低限纏めてあった荷物を持って、帽子を被ってボクは家を出た。
渡されたのは、駅までの地図と降りる駅のメモに必要なお金。それと、通帳やキャッシュカード、印鑑といった物。
何でこれらが必要なのか分からなかった。生活費は渡された通帳に振り込まれるらしい。メッセージアプリにそんな事が書き込まれていたけれど、意味が分からなかった。
行ってこいと言われて、送り出されたが正直なところ、もうダメなんじゃ無いかって思っている。
・
日中、人の往来に怯えながら、ボクは何とか駅まで辿り着いた。
帽子を目深に被って背中を丸め、努めて影を薄くして行動する。
そうしないとボクはダメになってしまうから。
人に見られたら動けなくなることが分かっているから。ボクなりに考えて暗いけれども前向きに、なってしまった事への向き合い方としてやっていることだ。
何とか切符を買って、電車に乗ることができた。
スマホを見ると、母さんからどうしてこんなことになったのかというメッセージが届いている。
曰く、桜華ちゃんのご両親が海外に出張になって、娘一人を家に残すのが忍びないからボクに一緒に住んでくれと。
曰く、父さんも母さんもボクの事を嫌いになったわけでは無いと。
曰く、元々から決めていて、ボクと桜華ちゃんが十五になったときに、一人立ちをさせようと思っていたと。
どれもこれも信じることができなかった。
常識的に考えて男女二人を一つ屋根の下で生活させるなんてあり得ない。例えそれが笹川家からの要望だったとしても、榊家は飲んじゃいけない条件のはずだ。
意味が分からない。
貰ったメッセージには何も返事を出さないでおく。ボクの中での小さな反抗だ。
その間にも、ボクのスマホにはメッセージが届く。
ボクがやっているゲームのギルドマスターからだ。
いつもログインしてる時間なのにいないけれどどうしたのかと。続けて体調不良なのかと心配のメッセージが入っていた。
それにボクは、家を追い出されたと答えておいた。嘘じゃ無いし。
『嘘乙。そういやさあ、このサイトって知ってるか? どー思う?』
相変わらずの気楽さにボクは少しだけ元気になった。不安が少しだけ紛れる。
送られてきたURLを開く。
あなたの願いが叶うおまじない。
そんな胡散臭さ全開の文言が書かれている。
『胡散臭い、なにこれ』
『最近はやってるらしいぞ。やり方も簡単だし』
『マスターはやったの?』
『いいや? そんなんやるのはよっぽど切羽詰まってる奴だけだろ。俺は別に』
そんな何でも無いやりとりをして気持ちを紛らわせた。
電車の乗り継ぎを経て、何とかこれから過ごす天乃丘に辿り着いた。途中電車の中で気分が悪くなって何度も降りては休憩をして、乗り込んでを繰り返した。そのたびマスターとメッセージのやりとりをして、それを心の支えにして目的の駅まで向かった。
そしてここから、歩いて三十分近く。
地図はある。
駅通りなのもあって、人は多いけれど、見渡してみると市街地に行くほど人が少ない。
ただし車通りが多い辺り、ここら辺では移動手段に用いるのは主に車なだけで、人が居ないわけではなさそうだ。
「行かなきゃ……」
この時間のボクはダメダメ人間だ。お店でジュース一本すら買えない。タクシーにも乗れなければ、バスも難しい。電車はもっての外だったけれど、耐えきれた。これだけは凄いって自分の事を褒めてあげたい。
だから、早めに避難先に到着しないと。その避難先が本当に居場所なのかどうかも怪しいけれど。唐突な出来事で後ろ暗い思いの方が強くなる。
本当はこの一年半で治したかった。けれども無理だった。でも少しだけでも前向きに物事を考えられるようにはなった。
もうお昼も回ろうかという時間帯になって、漸く着いた。
表札には笹川。うん、目的地のはずだ。
下宿先の現在の家主は笹川桜華ささがわおうかちゃん。ボクとは幼馴染みの関係にある子だ。
目の前の家を見上げる。大豪邸とは言えないけれど、大きな家だ。
庭付きの一戸建て。これを桜華ちゃんが生まれたときにご両親が自分で建てたらしい。そう父さんが自慢気に話をしていたのを思い出す。なんで父さんが自慢げなのかはいまいち意味が分からなかったけれど。
インターホンを押し、家主が出てくるのを待つ。
暫くして、玄関が開き中から一人の女の子が出てきた。
艶やかな黒髪を背中にかかるくらいまで伸ばした、綺麗な子だ。
「いらっしゃい。久しぶり、燈佳くん」
少し無愛想だけど、落ち着いた声音は疑いようも無くボクの中の桜華ちゃん像と結びついた。
「お話聞いてるから、早く入って?」
「う、うん」
「自分の家だと思ってくれていいから」
招き入れられて、荷物を玄関に置いて、
「お邪魔します……」
「違う」
上がろうとして、間違いを指摘された。
「えっと……」
「私、自分の家だと思っていいって言ったよ?」
「あっ。でも、今日だけはえっとじゃあ、これからお世話になります」
「ん、許してあげる。付いて来て」
桜華ちゃんがボクを、これからボクの自室になる部屋に案内してくれる。
二階の三部屋あるうちの一番奥。日当たりのいい部屋だ。
いいのかな、ボクなんかがこんないい部屋で……
「荷物全部運んであるから、この部屋は自由に使っていいよ。私下に居るから、分からない事があったら聞いて?」
「うん」
そう言って、ボクを部屋に残して、桜華ちゃんはいなくなってしまった。
部屋は八畳程度の広さの部屋だ。最低限の家具が置いてあって、目立つのは大きな本棚。次に立派な机がある。ベッドには新品らしき布団一式が置いてあって、ベッドの前には一人用の敷物が敷いてありその上には足の短い机がある。
ボクの荷物は入ってすぐの所に大きな段ボールで六箱。うち二つはPCとメモ書きされている。
まず、ボクは本と書かれた段ボールを開く。別にそこまで量があるわけでは無いけれど、お気に入りの漫画や小説ばかりが詰められている。それをシリーズ毎に丁寧に並べてしまって。
「燈佳くん」
ノックも無しに部屋の扉を開けられた。
内心びっくりしたけれど、口には出さない。だって、家主は桜華ちゃんだから。
「えっと、何?」
「お昼届いたら呼ぶから、携帯のアドレス教えて?」
「あ、うん」
スマホを取り出して、桜華ちゃんとアドレス交換。
親同士が友人だから、会うときは親を含めてということもあって、ボク達は互いの電話番号すら知らなかった。不思議な関係だ。
「じゃあ、それだけだから」
そう言って、また部屋から居なくなってしまった。
ボクの事気に掛けてくれてるのかな……。そうだと少し嬉しい。
改めて、荷解きを再開する。
ぼんやりととりとめの無いことを考える。
天乃丘はこれからボクが通う学校の最寄り駅だ。
電車で通うこともできるが、毎日通学に一時間以上かける事になる。
だから、父さんも母さんもこの家に預けることを選んだのだろうと、善意的に取ればそう取る事もできる。
だけど、今のボクにはそれすらも難しい。
思考が思惑を悪意的に取ってしまう。
変えたかった。昔のように額面通り受け取ることができるようになりたかった。
今は裏の悪意を探ってしまう。
ただ、でも、今はこの状況を受け入れるしかない。
なってしまった物はしょうが無いのだから、適応して生きていかなきゃ。
差し迫っては桜華ちゃんに迷惑をかけないようにしないと。
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