自転車盗難?事件
moai
自転車盗難?事件
入学式も終わり、初春を少し過ぎた頃、僕――
その部活の部長をやっているのが僕の先輩、
僕たちは長机を挟んで向かいあって座っている。僕も朝比奈先輩も自身が今読みかけの小説を読んでいる。ちなみに僕の好きなジャンルは日常の謎というものだ。
「……遅いなぁ」
僕は本から目を離し、朝比奈先輩に向ける。朝比奈先輩は読んでいるページに栞を挟んでそうぼやいた。誰か待っているのだろうか?
「誰か待ってるんですか?」
特に気になる訳ではないが、僕としては同じ部活に所属しているのだからそれなりに仲良くしたいと思っている。入部してから僕はあまり朝比奈先輩と話した事がない。それは別に朝比奈先輩の事を嫌悪している訳でも、蔑ろにしている訳でもなく、ただ単純にタイミングというかそういうを探っている内に結局今まで話せずにいたのだ。だから僕は朝比奈先輩に尋ねた。
朝比奈先輩は特に思惟する動作もなく答えてくれた。
「ちょっと話を聞く約束をしててね。そうだ! 神代くんも話聞いてもらっていいかな?」
僕は少々驚いた。朝比奈先輩の提案にではない。朝比奈先輩が想像していたよりもフレンドリーに話してくれたからだ。単に僕が気後れしていただけなのかな? なんて事を思いつつ、僕は朝比奈先輩の提案に首を縦に振った。せっかく仲良くなれる機会だ。無碍にする必要も無かった。
「本当!? ありがとう! 実を言うと私一人で推理できるか、不安だったの」
はて? 推理とな? 我が部活、ミステリー研究会にはピッタリの単語だが、しかし推理……か。話の内容について特に思量する事なく承諾をしたが、ひょっとしたら少々厄介な案件なのかもしれない。
「もう来ても良い頃だと思うんだけど……」
朝比奈先輩が言い終わるか、それより先に部室の片引き戸が開け放たれた。扉と木が当たる音が部室内に響き渡る。その音の大きさから急いで来た事は容易に想像できた。戸を潜り姿を現したのは女子生徒であった。胸の徽章は二年生である事を示していた。どうやら朝比奈先輩と同じく二年生であるようだ。
「琴音ちゃん。遅かったね。何かあったの?」
「ごめんね! せっかく話を聞いてくれる約束だったのに遅れちゃって……。実は生徒会の会議が長引いちゃってさ」
「ああそうだったの」
琴音と呼ばれた先輩はバツが悪そうにそう言った。そして、そのまま視線をスライドして、僕と目が合った。僕は軽く会釈をした。
「綾乃。この子が新しく入部した子?」
彼女は朝比奈先輩に説明を求めた。朝比奈先輩が彼女を連れて僕の方に来たので、僕も席を立って向かった。
「紹介するね。この子が私の友達の
如月先輩から離れ、僕の方に来て肩に手を置いて、
「この男の子が、神代雷くん」
僕は「初めまして」と言って、今度は会釈ではなく礼をした。紹介を受けた如月先輩は笑って見せて、
「元気が良くて大変宜しい。でも私にはそんな畏まらなくても良いよ」
きっちりとした見た目には反し如月先輩はフレンドリーだった。
お互い自己紹介が終わったところで朝比奈先輩は僕らを席に座らせた。勿論さっき長机だ。全員が座ったところで朝比奈先輩が如月先輩に話を促す。
「それじゃ琴音ちゃん。話良い? 神代くんも協力してくれるから分かりやすく頼むね」
「おお! それは心強い。それじゃ……」
如月先輩は一旦咳払いをし、件の話を始めた。
「話っていうのはね、私の後輩の自転車が無くなっていたらしいの。無くなったのに気がついたのは、今日つまり月曜日ね。それも放課後らしいの」
「琴音ちゃん。ちょっと良い? その話から推測すると、その子は自転車通学してる事になるよね。放課後に無いって気付いたのなら今日の朝はどうしたの?」
朝比奈先輩が疑問点を口にした。その点は僕も疑問に思っていた。
「今日は親に送ってもらったみたい。実は金曜日から自転車を学校に置きっ放しにしてたみたいなの。天気予報で金曜日の夕方頃は雨って言ってたでしょ? その子も知っていて雨具を持ってくつもりだったんらしいんだけど、朝遅刻しそうになって慌てて出たから忘れてしまって、それで案の定帰りは雨。もう遅くもなってたから親に迎えに来てもらって、自転車は置きっ放しになっていたみたいよ。それで今日帰る時に自転車置き場に行ったら、自分の自転車がない事に気が付いたって事になるわね」
一頻り言い終えて如月先輩は深呼吸をした。そして僕たちを期待を込めた眼差しで交互見つめた。
「どう? 分かる?」
「う~ん……。話を聞いただけじゃなんとも……。ただ無いって事は第三者が何かしたって事だよね? そう考えると可能性は二つあると思うの」
「ほうほう」
朝比奈先輩は困ったような表情をしつつも、二つの可能性を提示した。如月先輩は興味津々そうに身を乗り出して聞いていた。
「一つ目は何者かが作意的に自転車を持ち去った場合。この場合は、盗難とか当て嵌るかな。二つ目は正当な理由があって自転車を移動した場合」
「正当な理由って?」
「ほら、うちの学校って自転車通学する場合、乗る自転車にシールを貼る決まりでしょ? その子の自転車のシールが何らかの理由で剥がれていて、生徒指導部が移動させたとか」
「なるほど」
如月先輩は得心したように何度も頷いていた。
僕も朝比奈先輩の推論には賛成だった。朝比奈先輩の言う通り、自転車が無くなるという事は第三者が何らかの意思があり移動させた事になる。その意思が悪意ならば前者、善意ならば後者になるだろう。ただ、朝比奈先輩の推論の中で僕は一つ気になる点があった。
「朝比奈先輩。一つ質問良いですか?」
「何? 神代くん?」
「もし仮に生徒指導部が移動させた場合、事前に何らかの通告があると思うんです。幾ら生徒指導部といえど何の知らせも無しに移動というのは考えにくい気がするんですが……」
「う~ん……。確かにそうね」
朝比奈先輩は腕を組んで唸る。しばらく俯いてから顔を上げて如月先輩の方を向いた。
「琴音ちゃん。そういう忠告的な事を受けたってその子は言ってた?」
如月先輩も俯いて唸り、しばらくしてから顔を上げた。
「そういう話は聞いてないかな。あえて喋らなかったっていう可能性もあるけど、そうする理由もないし、そういったのは無いと思うよ」
「そっか」
二つ目の可能性は無しか。残るは盗難になる訳だが……。この学校は土日は校門が閉まっており、中に入るのは容易ではない。仮に入れたとしても、盗った自転車を敷地外に持ち出すのは骨が折れる。月曜日の放課後に気付いたのを考慮すると、盗難が可能なのは金曜日ないし月曜日で、行われたのも二つの曜日のどちらかだ。しかし昼はリスクが高いし、自転車が必要な距離なら最初から自転車を使う方が遥かに効率が良い。そう考えると盗難の可能性もかなり低い。
「残るは盗難になる訳だけど、その子は二重ロックとかはしてた?」
朝比奈先輩も盗難の可能性について検討を始めた。
「してたみたいだよ。だから本人も自転車が無くなってびっくりしてた」
「となると、盗難の可能性も低いかなぁ。二重ロックなんて簡単に外せるもんじゃないし」
一つ目の可能性も無くなったか。わざわざ二重ロックの自転車を盗もうなんて奴はそうそういないだろう。リスクが跳ね上がるだけだ。しかしこうなると……。
「……振り出しに戻っちゃったね」
会話が途切れる。僕を含めおそらくその場の全員が同じ事を思ったのだろう。仮説を検討して昇華していくのは大切だが、仮説が無くなってしまえば元も子もない。推理は振り出しに戻ってしまった。
しばらくの沈黙の後、如月先輩が口を開いた。
「やっぱり、本人から話を聞いた方がいいよね」
「え?」
朝比奈先輩が小さく驚いた声を上げた。
「実はその子から話を聞くアポを取ってあるの。ここに来る前に急に決まった話だったから言い忘れちゃったけど」
「話を聞くって何処で? ここじゃないの?」
朝比奈先輩に聞かれた事に対し如月先輩はかぶりを振った。
「ううん。自転車置き場で説明してくれるみたいだよ。このあと二人は空いてる?」
意外な提案ではあったが、手詰まりな今、実際に本人から、しかも現場で説明してもらえるのは有り難かった。僕は首を縦に振った。朝比奈先輩も同様だった。
「よし! それじゃ早速行こうか」
如月先輩が足早に部室を出て、それに僕と朝比奈先輩が続いて退室する。最後に朝比奈先輩が部室に鍵を掛けて僕らは如月先輩の後輩が待つ自転車置き場に向けて歩き出した。
◆
自転車置き場に向かう道すがら、如月先輩は「あっ」と一声上げて、鞄から一枚の紙を取り出した。
「これ、役に立つかは分からないけど、この学校の自転車置き場の鳥瞰図のコピー。良かったら見てみて」
そう言って如月先輩はその紙を僕らに差し出した。紙は朝比奈先輩が受け取り、それを僕が横から覗き込む形で見ている。
「改めてみると、この学校の自転車置き場って「」を左右反転したみたいな形ね」
朝比奈先輩の言う通り、この学校の自転車置き場の外形は文字に例えると「」を左右反転させたような形をしている。上が道路側で下が校舎側になっている。その中に縦に何列か置く場所があり、その列の数は自転車通学の生徒も多い事もあってかなりものだ。しかし、これが分かった所で特に影響は無さそうな気がするが、とりあえず頭の片隅に置いておく事にした。
「そろそろ着くよ」
如月先輩の問いかけに僕らは鳥瞰図から顔を上げた。いつも良く見る自転車置き場へ繋がる渡り廊下を抜けて、僕らは自転車置き場に辿り着いた。
辿り着いてすぐに、
「こんにちは」
後ろから声をかけられて全員が振り返る。そこには、一年生である事を示す徽章を付けた女子生徒が立っていた。如月先輩は彼女に駆け寄り、僕らの紹介を始めた。一頻り僕らの紹介が終わったところで、今度は彼女が自身の紹介を始めた。
「
丁寧な自己紹介だった。全員の紹介が終わったところで、再び如月先輩が場を仕切る。
「それじゃ京香。説明お願いして良い?」
「はい。それじゃ皆さん、付いて来てもらっていいですか?」
綾崎さんが手招きをして、僕らはそれに付いて行く。しばらくして着いたのは、校舎側から自転車置き場に入って一番左側の列だった。
「この列に止めたの?」
朝比奈先輩が尋ねる。綾崎さんは首を縦に振る。この列なら校門からも近いし、急いで来たならここに止めるのは妥当だろう。
「他に何か覚えてる事はある?」
再び朝比奈先輩が尋ねる。しかし、今度は先ほどとは違い答えるのを渋った。そして申し訳なさそうに口を開いた。
「実は……。左側に止めた事以外あまり覚えてないんです。その日は本当に焦っていて他の事は気にも留めてませんでした。土日を挟んだ事もあって、左側に止めたなぁ、と漠然としか覚えてないんです」
朝比奈先輩や如月先輩は少し驚いたような様子だった。実際僕も少し驚いた。しかし誰も綾崎さんを責めたりはしなかった。綾崎さんの表情や口振りからして、それは本当なのだろう。しかしこれは困った。部室で立てた推論はなくなり完全な手詰まり上に、本人の記憶も曖昧……ん? 記憶が曖昧……。
僕はここに来る前に見た自転車置き場の鳥瞰図を思い出した。そして一つの可能性を思いついた。綾崎さんの記憶が曖昧だからこそ起きた勘違いを。
「先輩、綾崎さん。ちょっといいですか?」
呼ばれた全員が僕の方を向いた。朝比奈先輩が訊いてくる。
「何か分かったの? 神代くん?」
僕の推論が正しければ、綾崎さんの自転車は一番右側にあるはずだ。それを確かめるべく僕は三人を誘導して移動する。そして僕は綾崎さんに自分の自転車を探すように促した。
「綾崎さんの自転車はおそらくこの列にあると思います。探してみてもらえますか?」
綾崎さんは「え?」と納得のいかない表情もしながらも、何も文句を言わず自転車を探し始めてくれた。その代わりと言わんばかりに先輩二人が一斉に僕に尋ねる。
「神代くん。綾崎さんは自転車を左側に止めたって言ってたよ。それなのにどうして右側を?」
「幾ら京香が急いでいたとしても左右は間違えないと思うけど……」
その質問に僕は綾崎さんが探しているのを気にしつつ自分の推論を口にした。
「綾崎さんは左右を間違えていません。本当に左側に止めたんだと思います。けどそれは――」
綾崎さんが一際大きな声で「あった!」と叫ぶ。その声を聞いて先輩二人は綾崎さんの方を振り向いた。僕は内心安堵した。当たっていて良かった。
「――道路側から入って左側だったんです」
綾崎さんが自転車を引いて近寄ってくる。その表情は先ほどとは違い、とても晴れやかそうだった。
僕は綾崎さんが来たのを確認してから、推論を再開した。
「如月先輩。さっきの鳥瞰図を出してもらっていいですか?」
「いいけど……」
如月先輩は不思議そうにしつつも、鞄の中を探り鳥瞰図を見せてくれた。
「この図からも分かる通りこの学校の自転車置き場は「」を左右反転したような外形をしていて、二箇所ある出入り口の内、一箇所は道路側と直結しています。もし、この学校の自転車置き場が一旦学校敷地内に入りそこから入るタイプもの、つまり出入り口が一箇所ならば今回のような勘違いは起こらなかったと思います」
全員が不思議そうな表情をいていた。しかし、すぐに朝比奈先輩は「あっ」と声を出し、何度も頷いていた。流石は我が部の部長だ。
「確かにそれなら勘違いになるよね。盲点だったよ」
盲点。確かにそうだ。僕も最初は気が付かなかった。けど、如月先輩が鳥瞰図を見せてくれたおかげでこの推論を導き出す事が出来た。そう考えると、今回の件の功労者は如月先輩なのかもしれない。
「え? 綾乃、どういう事?」
「私もいまいちピンときません……」
以前如月先輩と綾崎さんはピンときていないようだった。
「僕たちは最初、綾崎さんが左側に止めたという事でそちらへ向かいました。誰もそれには疑問を持ちませんでした。確かに僕たち左側に行ったんです。ですが綾崎さんが行った左側、より正確には金曜日の朝綾崎さんが自転車を止める為に向かった左側というのは、道路側から入って左側だったんです。要は視点の違いによる問題だったんです」
朝比奈先輩は頷いてる。如月先輩と綾崎さんもしばらく考えて得心がいったようだった。
「道路側と校舎側からでは入った時の左右が異なります。道路側から入った時の右側は校舎から入った時には左側になります。そして、綾崎さんが止めた左側は校舎から入った場合には右側になってしまいます。綾崎さんは左側以外の事は覚えておらず曖昧だった。しかも、それ自体も漠然としか覚えていかなった。左側という印象だけが綾崎さんに先入観を与えてしまい今回のような勘違いを引き起こした」
沈黙。自分の知らず知らず内に悦に入り少し調子に乗って話してしまったのではないかと心配になったが、
「なるほど……。それなら確かに京香が勘違いしても無理はよね。すごい! 神代くん!」
「そんな勘違いをしていたなんて……」
「視点の違いねぇ。私も気付かなかったよ。これは神代くんに一本取られちゃったなぁ」
みんなからの称賛の声を受けて僕は少し変な気分になった。僕は賞賛されたいが為に謎解きをした訳じゃなかった。ただ自分の推論を述べたにすぎない。だからどう反応していいかいまいち分からなかった。
「あ……。いえそこまで褒められるものでも……」
「何謙遜してるのよ。十分すごいよ!」
「私もそう思います。神代さん」
「部長としても鼻が高いよ。神代くん」
ますますどうしていいか分からなくなってきた。推論を述べていた時の熱が引いてきた所為もあってか、次第恥ずかしいさが込み上げてきた。推論に自信があったとはいえ、やはり人に話すのは恥ずかしい。
「いやーそれにしても分かってみれば案外単純なんだね。今日は二人ともありがとうね。特に神代くんには感謝してもしきれないわ。いつかお礼させてね。それじゃそろそろ帰ろうか、京香」
「あ、はい。それでは神代さん今日は本当にありがとうございました。自転車が無事見つかり助かりました」
如月先輩と綾崎さんは深く一礼をして去って行った。ここまで人から感謝された経験がない僕はどう返していいか分からず、素っ気無い返事で返してしまった。やがて二人の姿は見えなくなる。
「無事解決して良かったね」
「そうですね」
「にしても……」
朝比奈先輩はどこか含み笑いがある感じだった。
「どうかしました、先輩?」
朝比奈先輩はふふっと微笑を浮かべながら、
「神代くんって実は結構喋れるだなぁーって思ったの。ほら、入部してから全然会話した事なかったし、喋る苦手なのかなって思ってたの。でも違ったよ。結構頭も切れるし、ホント入部してもらって良かったよ」
ほんの一瞬。僕の中を恥ずかしさとはまた別の何か駆け巡った……ような気がした。それが何なのか僕には良く分からなかった。まあ分からないのならば特に気にする必要もないだろう。
「それじゃ私達も帰ろっか」
「そうですね。もうそろそろ下校時刻ですし」
朝比奈先輩が少し前を導して歩き出した。僕もそれに続いて歩く。少し歩いたところで朝比奈先輩が振り返る。
「あと一つ言い忘れてた」
「何ですか?」
「これからは敬語禁止ね。せっかく今日話せたんだし、もう堅苦しいのは無しね。それにもっとラフな方が仲良くなれると思うの。良い?」
何とも突然な提案だった。部長の直々のお願いならば断る事も出来まい。僕は朝比奈先輩に聞こえるよう大きな声で、
「分かりました……じゃなくて、分かった」
「よろしい」
その時の朝比奈先輩の微笑みは僕の中で妙に印象に残った。
こうして、自転車盗難?事件は無事解決したのだった。
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