そしてこれから…
今こうして書いている間にも世の中では様々なことが起こり、変化しています。その変化の中で僕達は生き、その変化の象徴の一つとして「ゆとり世代」と名前が付けられたりするのではないかと思います。ただこの名前は自分の名前と一緒で死ぬまで一生付き合っていかなければならないのです。いや、名前こそ変えようと思えば変えられるものの、自分の生まれた年はもう変えることはできません。名前よりも真剣に向き合って生きていかなければならないのかもしれません。逆に言えばいつ生まれたか、そんな誰かの付けた名前で自分の人生を左右されるな、自分は自分。どんな時代に生まれようが自分が生まれてここに生きているということに誇りを持てばいいんだ。その中で「ゆとり世代」と言うものにぶち当たるなら、「だからなんなんだよ。」という気持ちで自分の生まれた時代にさえ誇りを持てるようになればいい。とはいうもののそうは簡単にいかない場合もあるんでしょうけど。
世間が生んだ「ゆとり世代」。皆が騒ぐからここまで騒がれるだけで、メディアで取り上げられる時も「ゆとり世代」は勉強が出来なくてマニュアル人間で自主性がなくて頼りなくて、等と勝手に定義を決め、世間に広めてしまいました。その定義をぶち壊すのは相当難しいことです。
しかしこれからいよいよ「ゆとり世代」は30代と言う世の中を背負っていく働き盛りに突入していきます。その時に僕達が世間に認められるかどうかは周囲やメディアではなく、僕達自身にかかっています。どうせゆとりだからダメなようにしか見られないんだと思えば僕達もそれまでです。そうではなくて今まで「ゆとり世代」をバカにしていた人達を見返してやる気持ちでやって行かなければ「ゆとり世代」はこれからもずっと、そしてきっと歴史の教科書にさえも今の定義のまま載ってしまうでしょう。そんな歴史の教科書さえ変えてしまうチャンスはこれからです。恐らくいよいよ「ゆとり世代」への世代交代の時が来ると周りも注目していることでしょう。もうやってやるしかないんですよね。
だから、周りの他の世代の方々も、もっともっとこれからの若い世代に可能性を見て下さい。ゆとりだから心配だな、ゆとりだから信頼できない。どうせゆとりだから。そう言っている人達の方が僕らから見れば「ゆとり世代」よりもよっぽど頼りなく見えます。「ゆとり世代はこれからも先輩達についていきます。そして更に若い世代を引っ張っていきます。だから、もっと「ゆとり世代」を信じて見て下さい。
ただ、今はもう少しだけ、最後の20代を楽しませて下さい。来年には30代突入。そんなに変わるものではありませんが、きっとまだまだこれからもがんばります。「ゆとり世代」は。
第1稿 2016年7月27日
1987年生まれの僕が「ゆとり」について改めて考えてみた。 鶴田昇吾 @0420tkmoon
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