夜釣りの足音

田辺屋敷

一話完結

 水辺には霊が集まる。

 そんな話を聞いたのは、いったい何処だったろうか。テレビか、本か、もしかしたらインターネットだったかもしれない。

 なんにせよ、僕がその言葉を知ったのはそれなりの年齢になった頃で、海釣りが趣味の父に付き添っていた幼少期には知る由もない話だった。

 なので、釣り竿を手に真っ暗な海を眺めていたとき、決まって聞こえてくる正体不明の足音に対して、あまり恐怖を抱かなかったのも致し方なかったのである。


 そして現在、僕はとある連休に男友達二人と海釣りに出掛けた。

 一人は昔から川でも海でも釣りをしていた友人Aで、たまに一緒に出掛けていた。

 もう一人は最近になって釣りを始めた友人Bで、まだまだ仕掛けを作るのにも四苦八苦するほどの素人であった。

 そんな僕達三人はとある港にて、昼頃から釣りを始めた。

 釣れ具合から言えば、良くもなく悪くもなく。しかし本番が夜からと考えていた僕達からすれば、暇潰しにはちょうど良い釣れ具合であった。

 こうして時は進み、日暮れ時になると周囲にいた釣り人はちらほらと帰り始め、気付けば暗闇の中には僕達三人だけとなっていた。

 夜空にくっきりと浮かんだ月の下、AとBはそれぞれに釣れるポイントを探して移動を始め、僕はその場に留まることにした。

 消波ブロック――テトラポットの上で、ひとり釣り竿を握る。真っ暗な中、波の音だけが聞こえてくる。

 こういうとき、僕はぼんやりと過ごす。釣りを趣味にしているのも、魚が釣りたいと言うよりも、潮の香りを嗅ぎながらぼぅーっとするのが好きだからだ。

 そんなとき、遠くからバタバタと忙しい足音が近付いてきた。

 何処の釣り場に行っても足音というのは聞こえてくるものなので、僕はいつものアレかとも思ったのだが、どうやら違った。

 防波堤の上をライトが疾走してくる。

 すぐにBだなと気付き、僕はどうしたと尋ねた。

 Bは慌てた様子で「やばい」やら「すぐに帰ろう」などと言うだけで、どうも要領を得ない。

 しかしこんなBをこのままにして釣りを続行するのは不可能。仕方なく僕はAの携帯電話に「Bが帰ろうって言ってる」と伝え、車へと引き返したのだった。

 そしてAが車へと戻ってきて、僕達は帰路につくのだが、帰りの車中でBに何事だったのかと尋ねると、彼は神妙な顔で言ったのだ。

「いや、あそこの釣り場はやばいって。足音が聞こえたもん、誰もいねえのに。ぜったい幽霊だって。あそこには行かない方がいいって」

 必死の様子で訴えてくるBを見やり、僕とAは気の抜けた吐息を洩らした。

 海釣りにおいて、正体不明の足音を聞くことなど驚くに値しない。その程度、慣れておかないと夜釣りなんて出来ない。

 僕とAがそう言うと、Bは納得できない様子で言ったのだった。

「お前らはおかしい」

 と。

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