第7話 約束・・大番頭さんの念い

 曾おばあちゃんは、丁稚さんとしてやってきた大番頭さんが、店のことを、お客さんのことを、そして奥(家)のことをすべて覚えて番頭さんになったとき。

 自分と結婚をして店の主になると信じて大きくなりました。

 何の疑いもなく。

 そう信じて大きくなりました。


 そして曾おばあちゃんと同じ年頃の娘さんたちに縁談の話が持ち上がり、大番頭さんが店の主(曾おばあちゃんのお父さん)の代わりに番頭として、どこへ出向いても誰も何も言わない。それどころか「ええ入り婿さんになる」と周りが口々に言いだしたころ。

 曾おばあちゃんは、次は自分の番だと大番頭さんのお嫁さんになる日を心躍らせながら待っていたのです。


ですが、店の主である曾おばちゃんのお父さんが娘の婿に、この家の主になって店を盛り立ててほしいと何度話しても「自分のような者がお嬢さんの婿になど滅相もございません。ましてやこの店の主など恐れ多いことです。どうかお許しください」と額を畳に擦り付けて断り続ける。


 ならば色が黒く気の強い娘が、周りの娘さんたちに比べてお世辞にもべっぴんさんとはいえない娘が嫌いなんかと聞くと、「お嬢さんが一番べっぴんさんです。」とこの時ばかりは顔を上げ、まっすぐ自分の目を見て怒ったように言う。


 どうやら親が心配するほどというか、娘の容姿を嫌っているわけではなさそうだ。

 寧ろ本人の目から見て、娘は美しいと映っているようだ。それは娘のことが好きだということだろう。あの目を見ればわかる。

 本人にとっての娘は一番大事な存在であることに間違いはない。

 ならばなぜここまで意固地になって娘との結婚を断るのかが分からない。


 ほとほと困り果てた曾おばあちゃんのお父さんは、どうしてもその理由が知りたくて、大番頭さんのことを紹介してくれた知り合いの人や先生に頼み、娘はもちろんのこと親である自分たち、果ては店の者も世間の声も認めているのに、なぜそこまでして娘との結婚を断る理由があるのか聞いてほしいと頼んだのです。


 しかし大番頭さんは誰に対しても「滅相もございません。自分には分不相応なお話。もったいないことです」と言い続けて頭を下げるだけで訳も言わない。結果、話が前に進まない状態がしばらく続くこととなり。 

 やがてこの話は家の中、つまりは奉公人の口だけにはとどまらず、外の人の口にまでひそひそと上るようなってしまい、これ以上この話を拗らせれば娘に傷がつくと考えた曾おばあちゃんのお父さんは、新たに婿養子として来てくれる人物を探しはじめたのです。


 さて、いつの時代でも、どこにでも意地の悪い子というのはいます。

 この話がひそひそ話として人の口に上り、新たに婿養子として来てくれる人物が本決まりになり、父親に「泣いて嫌がってもどうにもならん」そう、どうにもならん。曾おばあちゃんは跡取り娘、家のために店のために婿を取り、跡継ぎをつくらなければならない身。

 どんなに大番頭さんと結婚したくても、大番頭さんのお嫁さんになりたくても、大番頭さん本人がその話を受けないのだから、家の跡取りとして違う人と結婚し子供をつくるしかない。嫌だからという感情だけではどうにもならない話です。


 そして本当にどうにもならず、泣きたい気持ちを必死にこらえていたところに

「あんな男前さんが、色の黒い不細工なあんたと祝言あげたないのもわかるわ。その顔で白無垢の花嫁衣裳?高いお金出して似合わん綺麗なべべは買えても…、買えんもんもあるな~」と、面と向かって同い年の子に意地悪く言われ。 


 そうなのかもしれないという不安な思いが自分の奥から瞬時に現れたと同時に、顔が熱くなって、思わず「似合わんべべ買うお金もないくせに」と人を蔑む言葉で言い返してしまったことを、その夜大番頭さんが「これはお嬢さんと私の二人だけの秘密です。お嬢さんには私の本当の心をわかってほしいんです」と言って渡された手紙を読んで後悔したのだそうです。


 あの時、一瞬でも自分で自分の容姿を卑下したことで、相手の発する汚らしい言葉にまんまんとのせられて、自分が人として使うべきではない言葉を口にしてしまったことをとても後悔し恥じたのだそうです。


 でも、たぶん、それはけがれた言葉を使ってしまったことを恥じたというよりは、手紙を読み終えるまで、自分の心の中に芽生えた大番頭さんへの疑いの心を恥じたのだと思います。信じられなかったという不安な心を後悔したのだと思います。


 そう、人は自分の中に崩れることのないもの、自分が信じるもの、信じ切れるものを何か一つ持っていれば、襲い掛かる他人の言葉がどれほど汚れていようとも惑わされることはない。

 けれど、不安な感情が心に広がりだすと同時に、大きな穴が開いて他人の汚れた言葉が容赦なく流れ込んでくる。。やがてそれは己の心をゆっくりとむしばんでゆく。



大番頭さんからの長い手紙には、

 私はお嬢さんが好きです。私のお嫁さんはお嬢さんだけです。

 ですがお嬢さんを私のお嫁さんにすることは出来ません。

 旦那さんやおかみさんが許しても、世間は許しません。今は許しても許しません。

 今はいい、ですが旦那さんやおかみさんが居なくなったら、お嬢さんと私らの子に世間は容赦しません。

 私はいいです。

 好きなお嬢さんと一緒になれて幸せです。

 何を言われても我慢できます。ですがお嬢さんをおとしめ、子をけなされるのが怖い。死ぬほど怖い。

 それでも私が生きている間は私が盾になってお嬢さんと子を守り抜きます。ですが私が先に逝ったらと思うと耐えられないくらい恐ろしい。



と、ここまで聞いて、なんで世間が許さんことがそれほど恐ろしいのか疑問に思った私は、祖母に聞いてみた。

「おばあちゃん、世間が許さんって何?今は許しても許しませんて何?意味わからん」と。



 世間が、今は許しても許さんのは大番頭さんの生まれ、貧しい木こりの子として産まれたこと。

 人はずるい。

 今、店の主として婿養子に入った曾おばあちゃんのお父さんは武家の出。武士から商人になった人。つまり上から下におりた人。

 それに曾おばちゃんのお父さんがまだ若かりし頃、新妻の容姿を揶揄され激怒し。日本刀で相手を切り殺す勢いでというか、本当に日本刀を持って花街にいる相手のところに乗り込んでからは「絶対に怒らせるな。怒らせたら命がない」と誰もが認識し、表立ってはなにも言われなくなったのだとか。


 でも大番頭さんは違う。

 たかが木こりの子が大店の主になる。

「あんなもんがなりよって…、」の、悔しい妬ましいの口には出さん世間の心。

 それが、下から上になった人ということ。

 それに大番頭さんは誰に対しても、本当に小さな子供に対しても申し訳なさげというか困り切った顔で「すみません。すみません」と腰低く頭を下げる人。

 我慢強くて優しい人。


 悲しいかな世間というのは、弱い者には強く。強い者には弱い。

 今はその強い曾おばあちゃんの父さんが店の主やから、その主が何をしても、何を言っても、許しても、世間は何も言わん。ただ黙って従うだけ。

 でもね、その強い主が居なくなったら、弱い主は世間の格好の標的になる。

 それまで言いたくても言えなかったことを堂々と声にして言い出す。しまいに有ることも、無いことさえも、さも今自分が見てきたかのように声高々に話し出す。

 そうなったらもう誰も止められへん。



「それって差別?」

「そう、本人がどれほど努力してもどうにもならないことというか、どうやっても出来ないことを責め立てて相手を見下し、貶めてることで、自分の思い道理の奴隷にしようとする差別と一緒。誰の心にも潜んでいる人間の恐ろしい本性が、世間という名の得体のしれんもんになって襲い掛かってくる。大番頭さんは、それで上のお兄さんを亡くしてるから余計に恐ろしかったんやろう。」


 

悲しいね…。


それでも、手紙の最後には


 私のお嫁さんはお嬢さんだけです。

 私は、この世では誰とも結婚しません。

 お嬢さん、あの世の仏さんの前では誰でも同じ、上も下もない同じ人間、天子さんも私らみたいな卑しい身の出の者でも、仏さんの前では同じ人間やそうです。

 そやから、あの世で私のお嫁さんになってください。

 それに女の人は支度が大変でしょうから、私はお嬢さんより一日あとに逝きます。

 約束します。

 お嬢さんさんより先には逝かんと約束します。あの世で綺麗な花嫁衣裳を着て待っててください。私だけの花嫁さんになって待っててください。

 これは私とお嬢さんの二人だけの約束です。

 それだけで、この約束だけで私は生きていけます。

 その日まで私はこの店の番頭としてお嬢さんを、お嬢さんの店を守ります。

 どこにも行きません。

 お嬢さんのそばにいます。



 曾おばあちゃんはその手紙を読んで一晩中泣いて、翌日曾おじいちゃんとの結婚を承諾したのだそうです。


 一方独立してはどうかというのれん分けの話を断り、番頭から大番頭になった大番頭さんは、以後何度も持ち込まれる見合い話を断り続け、約束どおり一生独身でした。


 でも、人の寿命なんて人には決められない。

 どんなにおもっても願っても、神の領域に手を出すことは出来ない。

 悲しくてもそれが現実。

 やがて二人が我慢したことが何だったのかという出来事がやってくる。

 そう、二人だけの最期の約束は守られることはなかったということ…。

 



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おばあちゃんが、私に話してくれたこと しーちゃん @sea-chan4

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