怪異(十二)

 夜になった。

 劉協はまだ曹節の畑から去ることができなかった。

 伏皇后は、劉協の妻である。

 その妻が人間二人を生き埋めにして、鍬で頭部を粉々に砕いたのだ。

(恐ろしい)

 劉協は、呆然としていた。

(恐ろしいことだ)

 伏皇后の振り下ろした鍬は、劉協の心も打ち砕いていた。

 曹憲も曹華も去っていた。

 あまりの伏皇后の蛮行に、すっかり怖気づいていた。

 と、すっかり魂の抜けたような劉協に近づく者がいた。

 頭に白藤色の冠を戴いた人物である。

 片足を引きずっていた。足が悪いらしい。

 左右の目の大きさが違う雌雄眼である。

 その人物は粉々に砕かれた兵士の頭に向かって、

「おやおや、もうお役目は終わったぞ」

 そう言って懐から赤い布を取り出して兵士の潰れた頭にかけた。

 すると潰れた頭は、西瓜に変化した。

「これは……」

 劉協は絶句した。

 人間の頭が西瓜になってしまったのだから。もっとも、劉協は西瓜を知らなかったが。

 さらに言えば、この中原に西瓜という果物はまだ存在しなかったのだが……。

「申し遅れました。私は左慈と申します」

 そう言うと、左慈は割れた西瓜をつかんでむしゃむしゃと食べた。

 目の前で起きた不思議な現象に、劉協は肝を潰すような思いがした。

「これは人間ではありませぬぞ。道術ですり替えたのです」

「そなたは妖術使いか?」

「いいえ、道士です」

 道士、の箇所を強めて言った。

「陛下をお守りしていた兵士は死んでおりませぬ」

「なに?」

「道術で西瓜を兵士に変えていただけのことです」

「いや、そんなはずはない。朕はたしかに兵士が泣き叫んでいるのを見た」

「部屋に戻れば、またいつもの兵士が警護を続けているのことでしょう」

 そう言って左慈は頭を掻いた。

「私が原因で兵士たちを死なせるわけには参りませぬからな」

「なに?」

「宝玉を変えたのは私です」

「なんだと」

 劉協は驚いた。

「では、もとの宝玉をどこへやった?」

「どこへもやっておりませぬ」

「おかしいではないか。そなたはたった今宝玉を変えたと言ったではないか」

「変えたとは言いましたが、すり替えたとは言っておりませぬ。私は宝玉には一切手をつけておりませぬ。私はただ宝玉に陛下の三姉妹への想いを吹き込んだだけでございます。もっとも、陛下がお望みであればすぐに元に戻しますが」

「なぜそのような真似をする?」

「退屈しのぎですな」

 あっさりと左慈は言った。

「では、退屈しのぎに朕を殺すこともできるのか?」

「天命次第で。天命が尽きていない者を殺すことはできません」

「朕の天命はどうだ?」

「それを言うのは天機を漏らすことになるので言えません」

 左慈は西瓜の種を吐き捨てた。

「それよりも陛下に嫁いだ曹家の方々ですが。誰だったかな……。背が高くて痩せているのは? そうだ。真ん中の方ですな。あの方と会ったことがございます。といっても、向こうは知らないでしょうが。夢の世界で屈原と会っているのをたまたま見ただけのことで」

 それを聞いた劉協は、かつて曹節が夢のなかで屈原と会ったということを思い出した。

「曹節がそなたのような妖術使いだというのか?」

「道術ですな」

 と、左慈は訂正した。

「もっともあの方はまだまだ未熟なようで。あれで皇后さまから身を守れるかというと、まだまだ難しいところですな」

「皇后が命を狙っているだと?」

「はい。かくいう私も殺されそうになりました。もっとも、私はそう簡単に殺されません」

「ふむう……」

「とにかく陛下は皇后にお気をつけになった方がよろしい」

 そう言って、左慈は去った。

 いったい目の前で起こった出来事はなんだったのか……。

 信じられない出来事の連続だった。

 劉協は宮殿に戻ると、侍女たちが夕食の用意をした。

 しかし、恐るべき光景を目の当たりにした劉協は、食事が喉を通らなかった。

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