怪異(十一)

 宮廷から出た老人は、周囲を見回した。

(ふむ……)

 誰かが後をつけている気配はなかった。

(どうやら、口封じのために消されるという心配はないようだ)

 老人の目は、並みの男の目ではなかった。

 幾多の死線をくぐり抜けてきた男の目であった。

(しかし)

 老人は自らの衣服を省みて、溜め息をついた。

(我が身のなんと落ちぶれたことか……)

 老人は、かつて黄金の鎧を纏って戦っていた輝かしい過去を思い出した。

 かつてあの張飛と戦い、一度は互角に戦ったこともあった。

(それにしても、あの皇后……)

 老人は伏皇后の顔を思い出した。

(まさか自ら毒を買うとは)

 誰かを毒殺したいなら、毒など配下のものに買わせればいいのである。

 なにも自分で買う必要はない。

 それとも部下が信用できないのか。

(それとも、自分でなんでもやらないと気がすまない性格なのか……)

 伏皇后の顔は、殺意にとり憑かれていた。

 老人は、そういう顔をかつて見たことがあった。

 老人の主君が晩年に同じような顔をしていた。

(短いかもしれんな)

 皇后の命が、である。

 伏皇后からはかつての自らの主君、袁術と同じ匂いがした。

 しかし、紀霊にとってはそれはもはやどちらでもいいことであった。

 昔は将軍であったが、いまは薬草を売って暮らしている。

 時代は変わった。

 袁術の武将など、誰も覚えていないことだろう。

(俺も年を取ってしまった)

 紀霊は嘆息した。

 この事は近いうちに露見するかも知れぬ。

 そうなると、害は紀霊にも及ぶだろう。

(これは都を離れた方がいいかもしれぬ)

 早速、家に帰ったら逃げる準備をしなければならぬ。

 が、それにしても、

(俺も死ぬのが怖くなったのか……)

 若い頃は、死ぬのが怖くなかった。

 草を打っているうちに、すっかり自分が小さくなってしまった。

 年をとるということはこういうことかと、紀霊は自嘲した。

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