父と娘

 曹操は宮中へと赴いた。

 皇帝に拝謁を賜るわけではない。

 三人の娘に会うためである。

 乱世の姦雄といわれた曹操とて父親としての情は持っている。

 娘たちがかわいい。

 嫁いだ先の夫とうまくいっていないとなると、当然心配になる。

 曹操はじっとしていられない男であった。

 真っ先に会いに向かったのは、曹憲だった。

 曹憲は部屋で茶を飲んでいたが、曹操がやってきたと聞いて驚いた。

 一方、曹操も、

(これはいかんな……)

 哀しくなるような思いで娘のことを見た。

 ただでさえ器量のよくない根暗な曹憲だが、さらに精気を失っている。

(どうも、自分で自分自身を追い詰めている……)

 ただでさえ後ろ向きなところのある曹憲である。

 これで夫に放っておかれているのだから、すっかり滅入っている。

 そもそも劉協は曹憲の部屋を訪れようとはしないのだ。

 父の曹操でさえ、その気持ちはわからなくもない。

 男からみれば、曹憲は鬱陶しい女である。

 口をひらけば、礼節がどうだこうだと言う。

 曹操は、曹憲の堅物過ぎる性格は女としての自信のなさからくることを見抜いていた。

「おお、元気か」

 曹操はつとめて明るく娘に声をかけた。

 いきなり漢の皇帝との仲が上手く行っていないのはなぜだと怒鳴るような野暮な真似はしない。

「こうして二人きりになるのもいつ以来かのう」

「父上……」

「喉が乾いた。茶でも飲みたい」

「これ、父上にお茶を」

「いや、畏れ多くも貴人の家来さまにお茶を入れて頂くなど滅相もない。どれ、わしが自分で淹れよう」

 そういって曹操は自分で茶を淹れると、曹憲の分も差し出した。

 曹操は自分で淹れた茶をじつにうまそうに飲んだ。

「すまんな」

「父上?」

「戦ばかりで、あまり子供に愛情をかけてやれぬ父親だった」

「父上……」

「漢の皇帝などではなく、もっと普通の男に嫁ぎたかったか?」

「とんでもございません。これも天下国家のためでございます」

「何か欲しいものはあるか?」

「いえ、とんでもない……」

「父親の前でくらい我が侭を言ってもいいのだぞ」

「滅相もない……」

「そうか」

 曹憲は自身を押し殺しつづけて生きてきた。

 そういう人間が自分の意思を口にするというのは、なかなか難しい。

「そなたは頑張っているのだから、もっと他人に甘えてもいい。たとえ陛下に対しても」

「陛下にですか!?」

 曹憲は驚きの声を上げた。

「そ、それはあまりに畏れ多い……」

「そんなことはあるまい。陛下はそなたの夫でもあるのだから」

 優しく諭すように曹操が言った。

「そうだ。何か物でもねだってみてはどうかな?」

「物を……?」

「うむ。貴人なのだから、ひとつくらいは我が儘を言っても罪にはなるまい」

「しかし、漢の皇帝に対して……」

「それがいかん。男というのは、女の我が儘がかわいく思えるときもあるのだ。あのお転婆を見ろ」

 曹憲は曹華の屈託なく笑っている姿が脳裏に浮かんだ。

(でも……)

 曹華は生まれつき美しい。

 しかし、自分はそうではない。

 己の顔の出来は曹憲自身よくわかっている。

「その服装がいかん」

 曹操は、落ち込む曹憲を見てぴしゃりと言った。

「服装がでございますか?」

「うむ。とても貴人の着る服ではない。粗末過ぎる」

「ですが、天下国家の民が飢えているこの時代に……」

「では、せめて何か宝玉で飾ってはどうだ?」

「宝玉でございますか」

「そうすればそなたはより綺麗になれる」

「私がでございますか?」

「この曹操、嘘はつかん」

 曹操は大見得をきって言った。

「後宮において大勢の女を見てきた余が言うのだ。間違いない」

 そして曹操は召使いの女たちの方を向いて、大声で言った。

「貴人はたいへん美しいお方だ。そうであろう?」

「そ、それは……」

「もちろんでございますわ。ほほほ……」

 召使いたちは無理にでも笑って見せた。

 曹操の機嫌を損ねれば、彼女たちの命はない。

 そんな簡単なことは誰でもわかっている。

「ところで妹はどうしておる?」

「妹……どちらの方ですか?」

「二人ともに決まっておる」

「漢豊ならいつものように本を読んで暮らしていると思いますわ。ですが晴玉は貴人の位に上がったというのに、いまだにおかしな格好を止めようとしないのだから困ります」

「芸伎の格好であろう?」

「あのままでは先が思いやられますわ」

 やれやれと言わんばかりに曹憲は溜め息をつく。

「だが、男というのは我が儘で自由奔放な女のほうがかえって可愛くみえることもあるのだ」

 と、曹操が言う。

 おそらく自分にも身に覚えがあるのだろう。

 曹憲はそんな曹操をすこし疎ましげな眼差しで見た。

「父上……」

「なんだ?」

「いえ……。何でもありませんわ」

「ん? そうか」

 曹操は髯をしごきながら立ち上がった。

「どれ。他の娘たちの顔でも見にいくか」

 そう言って曹操は席を立った。

「貴人さまも一緒に参りましょう」

 曹操はおどけた口調で言った。

「いや、私は……」

「同じ血を分けた姉妹。なにを遠慮することがありましょうか」

 曹操と曹憲は部屋を出た。

「操成」

 曹操は父親の顔になっていた。

 不意に字を呼ばれた曹憲は驚いた。

「あまり己を押し殺すなよ」

 そういう曹操の顔は、すこし悲しげだった。

 しかし。

 曹憲とて、父の言わんとする所がわからないわけではなかった。

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