女の文学論(十五)

「漢豊。あなたにはわからないのよ。私の立場が」

「姉上……」

「漢の王室に嫁いだ貴方にはわからないでしょうね。そして、夏侯惇と親しい貴方には……。私の夫の夏侯楙は、父親の夏侯惇とは似ても似つかない最低のケチ野郎なのよ!!」

「姉上。落ち着いてください……」

「いいえ、これは言わずにはいられないわ。私の夫は人の皮をかぶった獣のような男なのよ。もっと立派な男と結婚するはずだったの。それがどういうわけだか知らないけど夏侯楙に嫁がされて……。私の夫は性欲のかたまりのような男で、女と見れば手をつけずにはいられないような男なのよ。『英雄色を好む』というけど、うちの夫は英雄でもないのに色だけは誰にも負けないわ。というか、色と金のことしか考えていないわ」

 これだけまくし立ててもまだ清河長公主の怒りはおさまらない。

「それなのにあなたは夫の愛情に答えようとせず、夫をやたらめったら女に種付けさせる淫獣に仕立て上げようとしているんだわ。あなたみたいな女は死ねっっっっ!! 死ねばいいんだわっっ!!」

 もはや耐えられないのは辛憲英ばかりではなかった。

 劉協の精神も墨のように磨り減っていた。

「念のために言っておきますが」

 冷静でいようとつとめていたが、その声は興奮のため擦れていた。

「皇帝と曹三姉妹の件、誰にも漏らしてはいけませんよ。漏らせば不要な騒ぎを引き起こすことになります」

 その瞬間。

 場が水を打ったように静かになった。

「心配は無用です」

 清河長公主は優しげな声色で言った。

「私たちは決して言いませんわ」

 王異もにこやかに笑った。

 面罵されたばかりの辛憲英もわずかに頷いた。

(ああ、これは……)

 女官たちに囲まれて暮らしている劉協は直感した。

(これは、しゃべるな)

 いかに賢婦人と謳われているとはいえ、王異も辛憲英も女である。

 いや、王異と辛憲英は言わないかもしれない。

(しかし……)

 劉協は、清河長公主を見た。

(彼女は絶対に話すだろうな)

 勢いで何でもしゃべってしまう人間である。たった今その実例を目撃したばかりである。

 清河長公主がしゃべる。

 周りの人間はみんな知る。

 曹操も知る。

 言うまでもないことだが、清河長公主の父親は曹操である。

 あの曹操が耳にしないはずがない。

 『噂をすれば曹操が』と言われているくらいなのだ。

 当然、曹操は宮廷に圧力をかけてくるだろう。

 これを躱(かわ)す方法はある。

 簡単なことである。

 曹節を抱けばいいのである。

 曹憲を、曹華を抱けばいいのである。

 子種を注げばいいのである。

 しかし……。

(朕にも意地がある)

 男としての意地でもあり、漢の皇帝としての意地でもある。

 無意味なことかもしれない。

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